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「十二国記」パラレル 『もう一つの慶の物語』 を読む前に

この話は、予青四年頃から話がはじまり、舞台はほぼ原作通りの慶で、 陽子は蝕で流れてきた胎果の海客だけど、王ではないという設定です。
ただ原作通りにいくと、この年の陽子の年齢は十三〜十四歳ということになりますが、その点は原作初登場の年齢をそのままスライドさせて十六歳程だと思ってください。もちろん仙ではありませんので、少しずつ大人になっているという設定です。

この<第2部>は<第1部>の続きになります。

以上の前提をふまえ、お楽しみください。

 
     
 
<1>
 

 予青五年大晦日の夜、金波宮は新年を迎える準備に追われていた。各所に焚かれたかがり火は堯天の空を赤く染め、常ならば宵には固く閉じられている雉門も今日ばかりは大きく口を開けていた。

 その門を粛々と、貢納物を運び込む諸州の人馬の列がくぐっていく。

 その列に浩瀚はいた。

 騎馬した浩瀚は、麦州の徴を翻しながら先導する州師の後を黙々とついて行く。ちらりと辺りに視線を飛ばせば、門の脇には矛や長槍をもった衛兵がいつも以上に待機しており、歩墻にも弓矢を備えた師士らが詰めている。

 ―――何と物々しい警備か。

 そこのあるのは到底これから新年を祝おうとする祝賀の雰囲気ではない。

 辺りに響くのは異様な空気に興奮した馬のいななきと、歩墻を行きかう軍靴の音。それに時折、夜風に激しくはためく軍旗の音が交じり、浩瀚は戦場に立っているような錯覚に陥りそうだった。

 ―――いや、ここは間違いなく戦場だな。

 気を抜けばやられる。そこかしこに罠が張られ、陰謀という名の矢が飛んでくる。命が惜しければ、見ざる言わざるしゃべらざるで盲目を通して大人しくしていることだ。

 だが、そんなことをしにここへやって来たのではない。

 ―――命は惜しいが、やるべきことがある。実に由々しき問題だ。

 浩瀚は麦州に残してきた愛しい少女をちらりと思い出して苦笑すると、表情を引き締めて前を見据えなおした。

 すれ違いざま、門脇にいたひとりの男がじろりと浩瀚をにらんだ。明らかに敵意のこもった視線であった。それを素知らぬ顔でやり過ごし、浩瀚は正殿へと向かった。

 やがて新年の明けた空に大きな銅鑼が響く。

 路門前で馬を降り、朝堂で時が来るのを待っていた朝賀の参列者一同は、その銅鑼の音を合図に殿庭へと進む。

 日が東の空から上ろうとしていた。白んでくる空に浮かぶ茜の暁雲が瑠璃色の鴟尾にふれる。無慈悲な冷たい夜風が緩み、やがて正殿に黄金の光が差し込んだ。それを合図に銅鑼が再度打ち鳴らされた。御簾が降りる。その場にいた全員が一斉に叩頭した。

 「主上のおなり!」

 天官が紙を引き破るような声でそう告げたが、真実その向こうに主上が現れたのか誰もわからなかった。上げられるべき御簾は最後までその奥を見せることはなく、日が届かぬその奥をうかがい知るすべはなかった。

 万歳!万歳!

 景王舒覚の御代を祝うことほぎの声が新年の空に白々しく響いていた。

 とにもかくにも、こうして予青六年の幕が上がったのである。


 
     
 
 
     
 
<2>
 

 諸官のことほぎと、諸州侯の貢納が済むと朝賀は終了した。朝賀の参列者らは一旦下がり午後からの元会に臨む。元会は王と諸官が酒を酌み交わし、共に食事をする君臣和合の儀礼である。午前の朝賀とは違って、卿以上の文武官および賓客は殿庭から正殿の中へと招き入れられるのだ。

 しかし―――

 「元会は本当に催されるのでしょうか?」

 衣服を改めるために用意された堂室へと向かう道中、そっと耳打ちするように声をかけてきたのは柴望であった。

 柴望の心配はもっともだ。朝賀の席に王がおらぬのは異常といっていい。冢宰以下六官長たちは御簾の向こうにさも主上がいらっしゃるようにふるまってはいたが、その白々しい演技を浩瀚は冷めた目で見つめていた。

 そもそも主上がいらっしゃるなら御簾を降ろしたままにしておく理由がない。そしてそんなことは靖共とて充分わかっている。それでいながら素知らぬ顔であのような振る舞い。彼らは御簾の中に主上がいようがいまいが、どうでもいいように見えた。

 ―――いやむしろ、いなくて結構といわんばかり。

 王の居場所はこの金波宮のどこにもない。浩瀚はそれを痛感した。

 彼らは王を形骸化しようと画策し、そして成功したのだ。今日の朝賀はその象徴のように浩瀚は思えた。

 「元会自体はあるだろうさ」

 そうでなければ靖共の面子も潰れる。

 「ただ、主上のご臨席は賜れぬかもしれぬ」

 浩瀚の言葉に柴望が渋い顔をした。

 「―――冬牡丹は無駄になりましょうか」

 浩瀚らが今回の献上品の目玉として用意した大輪の冬牡丹。朝賀の貢納の儀において、それはすでに王に納められていた。元会では貢納に対する返辞があるのが通例で、王が気にいる物あればその貢納者に直接のお声がかりがある。浩瀚らはそれを利用して王との直接の対話を得ようとしていたのだが、朝賀にも元会にも王の姿がないとなればその目論見が水泡に帰す可能性は格段に高かった。

 花の命は短く、主上の目に触れぬままに朽ち果てれば確かに手間暇かけたすべてが無駄だと言えるだろう。だが浩瀚は、不安げな柴望の顔を見やって笑った。

 「あの冬牡丹はすでに十分な働きをしている。無駄ではない」

 「―――と、おっしゃいますと?」

 「季節外れに花を咲かせる意味を私に教えてくれたからな」

 「は?」

 不思議そうな顔をした柴望に浩瀚はただ笑った。

 
     
 
 
     
 
<3>
 

 正午を知らせる鐘の音を合図に、浩瀚らは再び正殿へと向かった。

 朝とは違って軽快な舞曲が辺りに満ちる。正装に身を包んだ浩瀚はその中を昇殿した。州侯として国の中枢から遠ざかって久しい浩瀚にとって、ここに足を踏み入れるのは実に一年ぶりのこと。しかし、そのたった一年での宮殿内の変容ぶりに浩瀚は驚きを隠せなかった。

 予王朝はまだたった六年しかたたぬ若い朝であるのに、絡みつくような死臭が辺りに満ち満ちているようだった。それは、華やいだ空気を必死に演出しようとする軽快な舞曲が白々しく感じるほど明確であった。

 思わずあたりを見回せば端近にいた大宰と目があう。

 ―――このくらいで驚かれてはなりませんよ。

 大宰の視線は無言の内にそう述べて、ふいとそっぽを向いて向こうへ行ってしまう。余計な接触はしたくないということだろう。浩瀚もそれ以上視線で追うこともせず、決められた席へと着いた。

 やがて全員がそろった旨の合図がなる。

 そこで本来は主上の出御を告げる声が上がるはずだが、上がるべき声はなく、代わりに姿を見せたのは威厳に満ちた冢宰の姿だった。

 冢宰は姿を見せるや否や、正殿中に満ちた重苦しい空気を物ともしない態度で朗々と主上の御代をことほぎ、新たな年の幕開けを祝い、官らへの日々の精進を求めた。ここあるべき女性官吏の姿や女官らの姿がひとつもないことになど当然触れるべくもなく、靖共の態度はさもこれが正当と言わんばかりの堂々たるもので浩瀚はいっそ感心したほどだった。

 ―――要は主上のご臨席は賜れぬということか。

 浩瀚がそう思った途端、慌ただしく下官が入ってきて何やら靖共に耳打ちした。靖共の顔が一瞬険しくなり、何だろうと思っている間に、天官が声を上げた。

 「主上のおなり!」

 ざわつきも一瞬。元会に出席していた者たちはその場に一斉に叩頭した。奥から人が現れる気配がして、高価な伽羅の香りが浩瀚の鼻をわずかにくすぐった。

 顔を上げよ、との大宰の号令が響く。緊張の面持ちで顔を上げれば、そこには確かに景王舒覚その人が立っていた。続けて取られる三叩の礼。その間女王は、無表情でただじっと諸官らを見つめていた。

 「主上にご臨席賜り、まことうれしき限りにて―――

 冢宰が言祝ぎを述べようとしたその声を王は手を挙げて制止する。その制止に、靖共はうっと言葉を詰まらせ渋い顔をした。まさか傀儡化したはずの相手がこのような態度を取るとは思いもしなかったのだろう。ごほんと咳払いをひとつすると、靖共は軽く拱手して半歩下がったが、内心面白くないのは目に見えて明らかだった。

 王は、そんな靖共に微塵の関心も払う様子を見せず静かに口を開いた。


 
     
 
 
     
 
 <4>
 

 「勅命を持って命ずる」

 王の言葉はいきなりであった。

 誰もが驚いた顔で王を見つめた。

 慶賀祝辞の席。この場で勅命を聴くなど前代未聞であった。そしてその内容はまさに浩瀚が恐れていたものだったのである。

 「慶より女性を追放する。瑛州のみならず諸州においても女性を保護することは一切叶わぬ。女性をかばう者あれば逆賊とみなす。官吏やその家族も例外ではない」

 その口調は、まるで原稿を読み上げるように無味乾燥であった。激しい内容とは裏腹にその声には一切の感情がないように思えた。いきりたつ激情が過ぎ去って、欠片となった意地だけがその勅命を言わせているようだった。

 「お待ちくださいませ!」

 幾人かが声を上げたが、王はそれを黙殺した。

 「先年、堯天より女性を追放する勅を出した。けれどもどうにも守られぬ。士師の目を盗んでは堯天に出入りしている女がいると聞く。中には捕まえ次第処刑せよと申し伝えているのにもかかわらず、逃亡の手引きをしている官もいるらしい。その言い訳がちょっと目を離したすきに堯天の外に逃げられたというものだ。聞いてあきれる。だが、考えても見れば一歩こちらが堯天で一歩向こうが堯天の外と言うのでは取り締まる士師らも苦労しようというもの。だから分かりやすい線引きを設けてやることにした」

 ごくりと誰かが息をのんだ。

 淡々と話す王のその姿は、逆にじわりじわりと足元から闇が這い上がってくるような恐ろしさがあった。

 「慶に女はいらぬ」

 そこで初めて舒覚は口元をゆがめた。

 それは自嘲とも取れる笑みであった。

 その表情に初めて、舒覚が何に苦しみ何に絶望し何を壊そうとしているのか浩瀚は理解した気がした。

 「そなたに申し伝えてもどうにも伝わらぬようだったが、これでわが勅命も九州全土に周知されることであろう」

 その言葉は誰に向けられたものなのか。王はそれだけを言うと踵を返して去って行く。 その衣擦れの音を聞きながら、あとに残された者たちは身じろぎ一つ出来なかった。

 重苦しい空気が辺りに満ち満ちて、息を吸うことさえ難しいことのようであった。

 浩瀚はわずかにあえぎながら、きつくきつく瞑目してうなだれた。

 何ということか……

 ―――慶に女はいらぬ。

 舒覚の声が耳の奥でいつまでも響いていた。

 
     

 
 <5>
 

 主上が最初の女人追放令を出したのは昨年六月のことである。

 きっかけは台輔に恋着したことによる、というのが一般的な噂だ。官との拮抗に飽き、平凡な幸せを望んだ王は、登極間もないころから内殿の奥にひきこもって姿を見せないことが多かったが、呀峰が堯天郊外に園林を献ずると政を忌避する姿勢はますます顕著になったという。

 しかしその時点では、台輔さえ遠ざけていたのだ。

 恋着するきっかけが何だったのか。それは何とも分からないが、とにかく主上は自分以外の女が台輔の傍に寄るのを嫌がった。奚を遠ざけ女官らを解任し、排斥する女性の範囲は徐々に拡大して金波宮全体に及ぶようになった。しかし、当初主上の女人追放令を本気に受け止めていない女性官吏も多く、唯々諾々と従う官はわずかだった。すると主上は、勅に従わぬ者たちを処刑するように命じ始めたのだ。

 ここから主上の狂気が暴走しだしたのだ、と浩瀚は思う。

 誰もが、台輔に恋着した、それが狂気を呼び寄せた、と噂するが、そうではないと浩瀚は感じていた。

 王の勅が遂行されないという事実。それは王の言を間違いなく軽視しており、王という存在を愚弄していることに他ならない。

 その現実を目の当たりにし、舒覚は何を思っただろうか。王の切り札である勅さえ軽視される国―――慶。

 ―――主上は身をもって、王の存在の重さを官らに再認識させようとなさっておいでなのかもしれない。

 例えそれが無自覚の行為だとしても、舒覚の行動は、王の存在の大きさを官のみならず慶の民すべてに記憶づけることになるだろうと浩瀚は思った。

 ―――長い目で見れば、あるいは必要なことなのかもしれない。

 ただ、そのために多くの血が流れる。

 最小の被害で最大の効果を生むこと。今自分のなすべきことはそのことではなかろうか。

 元会から戻ってきて、与えられた部屋にこもってうつうつと考え込んでいた浩瀚は、体内にくすぶって溜まっていたものを吐き出すようにゆっくりと細く息を吐き出した。

 王との接触を図らんとここに来たが、ことここに至ればもはや主上にどんな言葉を呈したところで事態が変わるとは思えない。一刻も早く麦州に帰り善後策を練るのが上策だろう。

 「柴望に打たせていた手が役に立つことになるな」

 ひとりごちた時、入室を請う声が響いた。その声に浩瀚は小さく苦笑する。

 「浩瀚さま、よろしいですか?」

 「柴望か、入れ」

 実に間の良い男だと、浩瀚は密かに感心した。

 
 
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