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 「 十三夜 」
 
     
 

 すっかり日も暮れたというのに、春官府の端にひっそりと建つ司経局の一室にほんのりと明かりがともっていた。その部屋の主は春官校書補。書物の校正を司る校書の補佐官で、名を栄小という。
 栄小は、見た目こそ五十も半ばを過ぎていたが、官吏としてはまだまだ新米の域を出ない国官の最下位。ゆえに定時に帰れるなど稀なことで、今日もわずかな明かりを頼りに上司から命じられた仕事を黙々とこなしている最中であった。
 古い書物に目を通し、必要な個所を見つけては書き写す。なめらかに紙上を滑る黒々とした筆致は端正にして秀麗で、栄小の意外な祐筆ぶりを表していた。
 一冊読み終えたところで筆を置く。ふうっと息を吐いてそれを閲覧済みの山に積み重ねると、栄小はそれよりわずかに低くなった隣の山に目をやった。
 「あと、半分か」
 栄小はやれやれといった感じで呟いたが、しかしそれは正確には違った。
 今のところ見つけ出した文献のなかでまだ目を通していないものが約半分、だ。もしこの文献で必要なことが十分見つけられなければ、目を通すべき書物の数はまだまだ増えることになるだろう。
 栄小はかすれた目を押さえると、これで事足りるといいのだがと願わずにはいられなかった。昼からずっと座りっぱなしのせいで、背中や腰がさすがに悲鳴を上げている。栄小は立ち上がって体を大きく伸ばすと、とんとんと腰を叩いた。
 「少し体を動かすか」
 栄小は呟くと外に出た。思いのほか冷たい夜風にぶるりとひとつ身を震わせたが、どこか心地よい冷たさであった。走廊を横切って院子へと降り、石畳の上をゆっくりと歩いて司経局の院子をひと巡りする。のんびりと夜の散歩を楽しみながら、栄小は難儀している仕事のことに思いをはせた。
 栄小が上司の校書に呼び出され、この仕事を言いつかったのは十日ほど前のことだ。
 「射儀にて射落とすのがなぜ鵲であるのか、その謂れを調べよ」
 それを聞いた時、最初栄小はなんてことない仕事だと思った。儀礼祭展が形骸化し、そのもとの意味や本来の目的が忘れられたり失われたりすることは多い。そのため元々の謂れや意味を調べるといった仕事は多く、栄小がこのような仕事を言いつかるのは初めてのことではなかったのだ。
 図書府へ行って儀礼祭展の本を調べ、射儀について書かれてある場所を調べる。それで簡単にわかるだろう。栄小は、そう思っていた。
 だが、射儀がどんなものであるのか。過去どのような射儀が行われたか。それについて書いてあるものは多くあったが、校書の言う「なぜ鵲を射落とすのか」といったことに触れてあるものを見つけることは出来なかった。ゆえに栄小はさらに古い文書を調べるべく三日かけて書庫を彷徨い歩き、関係あるだろうと思われる書物を片っ端から引っ張り出してきたのだ。
 だが、その半分に目を通し、わかったことといえば「鵲の鳴き声は喜びの前兆である」ということと「かつては射落とした数だけ王宮の庭に鵲を放った」ということくらい。しかもその情報は、さらに疑問を深めただけであった。
 喜びの前兆である鳥をなぜ射落とすことになったのか。射落とした数だけ鳥を放つなら、最初から射落とさねばいいのではないか。
 射儀に対してあまり深く考えたことのなかった栄小だったが、考えてみれば確かに不思議だった。鵲が吉兆というならただ空に放てばよい。射る必要などないはずだ。古い文献には鵲以外にも「さまざまな鳥を放って射た」とあるが、射儀が吉礼であったことには変わりないようだ。
 例えば、射ることで邪を払うというならば納得しようものだ、と栄小は思う。しかしそれでも殺生は殺生、台輔の手前はばかられる。ゆえに陶器の鳥で代用する。それが形骸化して今の華やかな射儀へと変わった。あり得ないことではない。
 でも、鵲は喜びの前兆を鳴く。なぜその鳥を射るのか。
 「まあ、それが謎だからこそ、この仕事を仰せつかったのだろうが」
 栄小は何気なく池の前で立ち止まると苦笑を洩らした。
 もし鵲が凶兆を鳴く鳥だとされているのなら、そもそもこの仕事を言いつかることはなかっただろう。
 「……なぜ鵲なのか、か」
 栄小は呟いたところで、この仕事を言い出した元々の人物はだれなのだろうかと気になった。栄小に直接命じたのは校書だが、校書もその上司から命じられたのは間違いない。自分は校書を補佐するのが仕事だから、つまりはこれは校書が命じられた仕事となるからだ。校書の上司は大史。そしてその大史も上から命じられて校書に仕事を降ろしたに違いない。個人的な疑問を部下を使って調べさせる者がいないわけではないが、少なくとも栄小は大史がそのような人物でないことだけは知っている。
 大史のさらに上、となると面識がないゆえにもはや想像するしかないが、考えられることとしては大宗伯が、何かをきっかけに知らぬは祭事を司る長としての沽券にかかわると思い立ったという線だ。しかし、射儀を実際統括しているのは夏官の司士。ということは司士からの要請だろうかと思うが、基本官府間は交流が薄い。というより他府のことなど知ったことかという姿勢であることが多い。夏官府から調べてくれと言われても春官府の官吏が「はい、わかりました」とすんなり承諾するとは到底思えなかった。
 ただ、ひとつ例外があるとするなら、もっと上からの命の場合。
 六官の長よりも上、冢宰か台輔か、あるいは……。
 栄小は思ったところで複雑な表情を浮かべた。
 以前冢宰府へ近道をしようとして迷い、見知らぬ若い官吏に助けてもらった時のことを思い出したのだ。
 まさかあの方が主上など―――。
 思い出しただけで肝が冷える。だが同時に、何とも言えない複雑な感情もざわついた。
 目を射抜くような鮮やかな赤い髪に、吸い込まれるような翡翠の双眸。健康的な小麦色の肌に、闊達さを覗かせる言動。そのすべてが栄小の脳裏に刻まれていた。
 あれから栄小は主上の噂が妙に気になるようになった。その中でよく耳にする言葉が、主上は胎果ゆえこちらのことをお分かりではない、というものだった。その言葉には、嘲笑が潜んでいることもあれば、憂いが含まれていることもある。そして栄小はそのどちらも気分悪く思った。
 あの方は、我々ごときに簡単に計れるようなお方ではないのだ。
 そして同時に思う。
 あのようなお方ならばこそ「なぜ鵲なのか」疑問に思っても不思議ないだろう。
 そしてその疑問は、どうでもいいことを知りたがる稚児のごとくありながら、我々に根幹を見つめさせなおさせる重要な行程となるのだ。
 「なぜ鵲なのか……か」
 栄小はもう一度呟いて、池に映る月影に目をやった。
 観月会にて月夜の射儀が行われたのはひと月前のことだ。栄小はその場に臨席すること叶わなかったが、それはみごとな射儀であったという。そして聞いたところでは、最後の鳥は射落とされず王のもとへと飛んでいったという。
 射儀は射落とした鳥の数で吉兆を占う。射損なえば凶。宴席で行われる燕射ならばそこまで厳密ではないにしろ、最後の見せ場の鳥をあえて射ないというのはさすがに思い切った演出であったろう。
 采配を振るった羅氏は、羅氏中の羅氏と呼ばれていると聞く。その羅氏が最後の鳥をあえて射落とさずに王のもとへ飛ばした。きっと彼も「なぜ吉鳥を射るのか」思う所があったに違いない。
 「羅氏に会ってみようか」
 彼が答えを知っているとは思わない。けれども話すことで、今の自分には見えていないものを発見するような気がした。
 見上げれば池に映る影よりも冴え冴えとした月が夜空に浮かぶ。
 満月には少し足りない楕円の月。それでも思わず見とれるような美しい月だった。
 「ああ、今日は十三夜だったか」
 中秋より約ひと月後の今日の十三夜は栗名月とも呼ばれる。かつては十五夜とともに月を鑑賞する習慣があり、どちらか一方の月見しかしないことを片見月といってきらったが、今や十三夜の月見をする習慣はすっかりすたれている。かく言う栄小も、以前仕事で観月のことを調べるまでは十三夜については全くの無知だった。
 「さて、月も見たことだし、もうひと頑張りするか」
 もしこの仕事が主上のささやかな疑問からきているのだとするならば、栄小は何としても疑問を解きたいと思った。一見つまらなく思える仕事も王と繋がっている。そう思えば何ともやりがいのある仕事に思えるから不思議だ。
 階をのぼって走廊に上がり、自分の房室へともどる。そこで栄小は、おや、と軽く目を見開いた。
 机上に甘栗が三つ小皿に盛られて置いてあったのだ。
 気のきく女官が茶うけにと持ってきたのだろうか。
 小皿の脇には「召し上がれ」とどこかだとだとしくも生真面目な人柄を伺わせる書置きがあって、栄小はそれを見やって思わず顔をほころばせた。
 「どこぞの誰か知らぬが、今日が十三夜と知ってのことだろうか」
 ならば随分と風流を解する者だと栄小は密かに感心した。
 「さて、せっかくの気遣いだが、もうひと頑張りしてから頂くとするか」
 栄小は小皿をわきへとよけると、小山から一つ書物を手にとってじっくりと読み始めたのだった。

 
 
 
  8万打記念兼キリリクといったところでしょうか。
栄小シリーズが読みたいという「奇特?」なリクエストにお答えして書いてみました。
官職名などかなり捏造してますので、原作とごっちゃになさらないでくださいね。
 
 
     
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