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 「観月会 」
 
     
 

 大陸東部、慶東国の首都堯天。その雲上に聳える凌雲山の頂にその宮殿はあった。雄大にして華麗なその宮殿は、金波宮と呼ばれている。金波とは月の異名にて、月光がうつってきらきらと光る波の様子をいう。
 ゆえに金波宮は、昼よりも月夜の方が美しさが勝るともっぱらの評判であった。よって中秋満月の夜、金波宮では観月会が行われるのが慣例となっている。何しろ、一年で一番月が美しいといわれる夜だ。美しい月に照らされた宮殿もまた、一年で最も美しい姿を見せるといわれていた。
 月を愛で、そしてその月影に浮かぶ宮殿を愛でるなど、金波宮ならではの行事といっていいだろう。慶では、郊祀の次に大切にされている行事なのだ。
 ゆえに観月会が間近に迫れば、どうしたって宮城内はどこもあわただしさを増すのだが、例年の慌ただしさに加えて皆どこか浮き足立っているのは、その観月会で、新たな試みがなされるという噂があるためだった。
 なんでも、観月会にて射儀が行われるというのだ。長らく官吏をしている者ほど、射儀は昼間に行うという固定観念が強い。夜行われる射儀とは一体どのようなものなのか。明るい月夜とはいえ、果たして夜空に舞い上がった陶鵲に矢が当たるのか。どの官府も、そんな話題で持ちきりであった。その試みが王直々のお召しによるものだとなれば、官吏らはまたこぞって話題にしたのである。

 


◇     ◇     ◇

 


 時はさかのぼること半年前。
 いつものように執務室にて大量の書類と格闘していた陽子は、一枚の書類を見つけて思わず顔をしかめた。
 「いかがなさいました?何か不審な点でもございましたか?」
 すかさずかけられた声に陽子は小さく首を振り、補佐についていた浩瀚にぴらりと一枚の書類を掲げて見せた。
 「もうこんな書類があがってくるのかと思ってね」
 手にした書類は、観月会の計画書。それを見て浩瀚は、ゆったりと微笑む。
 「何事にも準備が必要でございますゆえ」
 「それは、わかっているんだけどねぇ」
 言いながら陽子は苦笑する。なにせ、まだ夏にもほど遠い。季節はようやく沈丁花が香りだした頃だ。そんな先の計画を奏上するよりも、今頭を抱えている治水の方をどうにかしてくれと言いたくもあるのだが、
 「まあ、楽しみがあった方が皆やる気が出るんだろうけどね」
陽子は言って、軽く肩をすくめた。
 そう、観月会は祭事である郊祀と違って、官吏らにとっては大変楽しみな一大娯楽行事なのだ。楽や管弦が催され、酒を酌み交わしつつ詩(うた)を読むのである。
 即興で詩(うた)を読むことのどの辺りが娯楽なのか。陽子にはさっぱり理解できないが、高学歴の面々には、この上もない楽しみらしかった。さらに、よい詩には王よりお褒めの言葉がいただけて、それがこの上もない名誉になるらしいが、残念ながら今のところ、陽子はその名誉を誰にもあげることが出来ないでいる。

 ――――この先も無理っぽいけどね。

 というのは、胸の中にしまっている独り言だ。
 「そのご様子ではどうやら、主上には楽しみではなさそうですね」
 浩瀚の言葉に陽子は苦笑した。
 「まあね。女官らがここぞとばかりに着飾らせたがるし、正直、長々と演じられる舞や楽の良さがわからない」
 何しろ蓬莱でも、能や歌舞伎といったものは馴染みがなかったし、また興味もわかなかった。テレビで流れる映像をちらりと見たことはあるが、全く良さが理解できなかったといっていい。奥深い伝統芸能のこと。鑑賞するにもそれなりの知識というやつが必要だったのだろうと思う。
 そして、それはこちらでも変わらない。楽も舞も、蓬莱の伝統芸能より華麗で派手ではあるが、何をしているのかがさっぱりなのだ。即位の時に陶鵲を見たときは御簾が鬱陶しいと思ったが、観月会の時ばかりは御簾のありがたさをかみしめている。
 なにせ、王のためとがんばっている演者らに、間違ってもあくびをかみ殺している姿など見せるわけにはいかない。
 「まあ、皆が楽しそうだから、それで満足だけどね」
 陽子はそれで会話を打ちやめにし、仕事に戻ろうと視線を机上へと戻す。しかし手元に引き寄せようとした書類にすっと浩瀚の手が伸びて、陽子はそれで再び顔を上げた。
 「どうした?」
 顔を上げれば、意外なほど真面目な表情をした浩瀚の顔がある。いつも涼しげな顔をしている浩瀚のこと、このような表情は珍しい。陽子はそう思って首をかしげた。
 「主上にお楽しみいただけないのであれば、観月会を行う意味など無きに等しいこと」
 どきりとするほど低い声が響いた。
 こういう声を出す時の浩瀚は要注意なのだ。何がどう、というわけではないが、無性に心臓がどきどきする。
 「そうか?」
 陽子が問えば、浩瀚は「そうです」ときっぱりと言い切った。
 「王が立てば、宮城のあちこちに奇瑞が現れ、王宮の印象がまるで変わります。例えるなら、光に満ちるとでも言いましょうか。金波宮は月夜に映えるとよく言われますが、それも王が玉座にいてこそ。つまり観月会は本来、この美しき宮城の姿を見られるのも主上のおかげであると感謝申し上げる宴であるのです。今では宮中行事の一環としてのみ位置づけられ本来の意味はほとんど忘れ去られておりますが、もともとはそのような意味を持った行事なのですよ」
 「へぇ、そうだったんだ」
 「ええ。ですから、長々と演じられる楽や舞が主上にとって退屈なばかりだとおっしゃるなら、する意味がございません。あるいは、主上にお喜びいただける宴席に出来ぬ官吏らの職務怠慢ともいえましょうか」
 「それは言いすぎだよ」
 陽子は、浩瀚の言い様に苦笑を浮かべた。
 「官吏の職務怠慢というより、私の不勉強だろう。宴を計画している官らも良かれと思ってやっていることだろうしね。それに本来の意味はさておき、私は皆にお世話になりっぱなしだから、逆にこちらから日頃の労をねぎらう意味が込められるならその方がいいと思う。さっきも言ったように、皆が楽しそうだからそれなりに満足している」
 「主上のそのお心は誠にご立派で、臣としては感激するばかりでありますが、どこか寂しくもありますね」
 「寂しい?」
 「ええ。やはり主上にとっても楽しみである方が、臣としてはうれしいものです。どうでしょう。楽や舞が楽しめぬのであれば、何か別のものをご所望になっては?」
 「私が楽しめるような出し物を提案したらってこと?」
 陽子が問えば、浩瀚は笑顔で「はい」とうなずく。
 「んー、そうは言ってもなぁ。もともとこちらの文化には疎いから、どんなものがあるか知らないし……」
 陽子は考え込むように腕を組んだ。
 朱旌の行う劇は市井で見たことがあるし、なかなか面白いとも思うが、宮中へ連れてきてやってもらうのは少し違う気がする。例えるなら、大衆劇を立派なオペラハウスでされると違和感があるようなものか。それを豪華な衣装を着た観客がぐるりと取り巻いてみているさまを想像すると、ますますもって違和感を覚えてしまう。となると、あとはもうお手上げだ。なにせ、こちらのことは色々と勉強を進めてはいるが、優先すべきは政務に直接つながるような事柄だ。文化芸能、芸術音楽などに手をつけるには、もう少し心の余裕が必要だろう。
 「何も今すぐでなくて結構ですよ。思いつかれたときで結構ですから」
 そうだね、と陽子はそう答えようとして、ふと思い出す。自分が唯一、心打たれた宮中での出し物。即位式直後の郊祀で行われた大射。あの時舞っていた玻璃の鳥たち。輝きながら蒼穹を舞い、砕ければそこから青い小鳥が弾けて生まれた。青は舞うほどに色が抜け、抜けた端から透明な欠片となって壊れていった。もったいないと思いながらも、花弁のように舞い散るそのさまがあまりに美しくて、地に接して立てるひそやかな音が静かに胸にしみこんだ。
 「………あれは、きれいだったな」
 感慨にふけって思わずぽつりと呟けば、浩瀚がその小さな呟きを拾い上げ「何がです?」と問いかける。
 思わず独り言を呟いていたことに苦笑して、陽子は浩瀚に視線を向けた。
 「大射で見たやつ。陶鵲とかいったかな?」
 ああ、と浩瀚はうなずく。陽子の言う大射の陶鵲は見ていないが、王が羅氏を呼び寄せて直々に声をかけたというのは知っていた。
 「では、観月会でも射儀を行いましょう。月夜に陶鵲とは、さぞ雅でありましょう」
 「そんな急に決めて出来るものなのか?」
 「さて、私は射鳥氏(せきちょうし)を拝命したことがないので具体的なことはわかりませんが、主上の求めに応じいつでも射儀が行えるように準備をしておくのが射鳥氏の役目。主上が希望なさるなら、それを伝えるだけでよいのですよ」
 「いや、そうだろうけどさ。ああいう芸術的なものって、準備とか大変じゃないかなっ………て、待て浩瀚。射鳥氏って何だ?私は、羅氏には会ったことあるけど、射鳥氏には会ったことないぞ。陶鵲って羅氏が采配しているのではないのか?」
 「本来は、射鳥氏が企画し、羅氏に命じて陶鵲を用意させるのですよ。そして羅氏は冬官府の冬匠、特に陶鵲を作る専任の工匠である羅人を指揮してそれを作らせます。まあ、いわば、射鳥氏、羅氏、羅人の三者が協力し合って射儀を作り上げるのですが、現在の羅氏は悧王の代より羅氏を務めておりますゆえ、実質すべてに采配を振るっていたのでしょう」
 「つまりは、プロ中のプロってことだな」
 不世出の羅氏であるとの説明は聞いたが、なるほどそれほど長く同じ職についていたとは知らなかった。
 しかし彼なら、そう、陽子の希望に沿った射儀をしてくれそうな気がする。
 一度だけ御簾越しに見た、誠実そうな青年の顔を思い出しながら、陽子は少し観月会が楽しみになっていた。

 

◇     ◇     ◇

 

 観月会が近づく。
 陶鵲の制作は、大詰めを迎えていた。
 射鳥氏より今回の射儀の命を伝えられた時、丕緒は思わず笑みをこぼしていた。射鳥氏はそれを、再び好機を得た喜びだと解釈したようで、手もみしながら「今度こそお褒めの言葉だけではなく、何がしかの褒美があるやも知れん」と言ったが、もちろん丕緒にそんな思いなど微塵もなかった。
 思い出すは、王と交わしたささやかな約束。二人だけで、というのはさすがに叶うなどとは思いもしなかったが、あの時瞬時にひらめいた月夜の射儀。陶鵲をもって語る丕緒の声に、王が静かに耳を傾ける。それが実現すればどんなにかすばらしいだろうと思ったその思いを主上と共有できたようなうれしさが、丕緒の胸を駆け抜けたのだ。
 期待にこたえたい。あの誠実な声に応える、心震えるほど美しい陶鵲を。
 丕緒はそんな思いを胸に、この半年近く、まさに寝食を忘れて没頭してきた。いつでもご所望あれば応えられるように、と準備をしていたにもかかわらずだ。こうしてみれば、ああしてみれば、と青江と意見を交わし、何十という実験を繰り返した。そしてついに、月夜に最もふさわしい陶鵲ができたと丕緒は自負していた。
 あとは、計画書通りの陶鵲を作り上げ、満月の夜を待つばかり。
 丕緒はまるで子どものように興奮し、青江を苦笑させ続けたのであった。

 

◇     ◇     ◇

 

 月夜の射儀が始まる。居並ぶ官らは、期待を胸に最初の陶鵲が打ち上げられるその時を待つ。
 夜の延は月光に照らされて明るい。僅かに灯されていた篝火も今は消され、地上を照らすは真に月の明かりのみ。
 見上げれば月は、冴え冴えとした光を放ちながら天上に掛かろうとしている。先ほどまで辺りに響いていた楽の音も今では闇の中にとけて消え、静寂が辺りを包んでいた。
 その時、何の前触れもなく御簾が上げられる。
 陶鵲の打ち上げられる空ばかりを気にしていた官吏らは、そのことに気づいてはっと息を呑んだ。御簾の内におわすは、当然この国の至高の存在。不用意に尊顔を拝すれば不敬とも言われかねない相手である。誰彼となく、礼を取って顔を下げねばと思ったが、御簾の内より現れたその麗しき姿に、誰もが思わず目を奪われた。
 銀糸で刺繍の施された衣装は月光を浴びて淡く光り、美しく結い上げられた緋色の髪に挿された真珠の簪は、さながら月の滴であった。
 月夜にも輝く一対の翡翠。その瞳が何かを追うように空を見上げ、人々もそれにつられて夜空を見上げた。
 一羽の白い鳥が、月を目指してまっすぐに空を昇っていく。それが月と重なった時、鳥は突然弾けて散った。
 一体どこに射手がいて、いつ矢が放たれたのか。そんなことを考える間もなく、無数の白い鳥が空へと放たれる。それらが次々と上空で砕け、月光を照り返すように舞い降りた。
 砕ける時に耳に届くは潮騒の音。寄せては返す静かな響きが、ここがどこであるかを忘れさせた。
 言葉もなく、歓声もない。静寂に包まれた延に、ただ美しく陶鵲が砕けていく。
 延に散った欠片はまさに金波。王宮の延は、いつの間に海原へと変わっていた。
 ほうっ吐かれたのは誰の吐息か。その吐息さえ響きそうな夜のしじまに、次々と鳥が放たれる。左の楼閣からは小鳥の群れが。右の楼閣からは大鳥の群れが。交差して煌き、砕けてさざなみになる。散れば海原はさらに広がり、金の波は輝きを増した。
 そしてついに最後の一羽が放たれる。今までのどの鳥よりも美しく輝いて空を舞うその鳥が、一体どのように砕けるのか。人々が固唾を呑んで見守る中、今まで物陰に潜んでいた射手の一人が殿下に現れた。射手は銀の矢をつがえると、ねらいを定め、優雅に上空を舞う白い鳥に向かって矢を放つ。
 きらきらと瞬きながら高みへと登っていく白い鳥。それを真っ直ぐに追う白銀の矢。その行方を皆が見つめる。
 終演へと向かう最後の一瞬。鳥の背後に矢が迫る。
 命中した!
 と、誰もが思った。しかしその直後、観衆は驚きに息を呑む。
 なんと鳥が、矢を避けるようにくるりと旋回したのだ。それはまるで、鳥が意志を持って矢を避けたかのようでさえあった。
 月光を浴びてきらきらと輝いていた銀の矢は、むなしくもかなたの闇へと消えてゆく。
 一瞬、凍りついたような沈黙が辺りに満ちた。
 射儀で陶鵲を射損なうなど不吉だとしか言いようがない。しかも最後の見せ場でだ。案の定一拍の間をおいて、失敗だ、不吉だ、とひそやかなざわめきが起きる。思わず射手を振り返った者もいた。しかし、そこには固い表情ながらもどこか安堵している射手の顔があって、それを見た者は不思議そうに首をかしげた。恐る恐る王の様子を伺えば、王はただ静かに鳥の行く末を見つめている。
 矢を避けた鳥は、大きな弧を描きながらゆっくりと下降を始めていた。その姿はどこか堂々としていて、どこまでも優雅であった。そして人々の目線の高さまで降りてくると、まるで海風を受けたかのようにもう一度ふわりと舞い上がり、そのまままっすぐ王の膝許へと飛んでいく。
 月光を照り返して光る波間をまっすぐに飛んで行く渡り鳥。玻璃の白い鳥はさながらそのような様相を呈して、静かに王の膝へと納まった。
 まるで、長旅の末にたどり着いた安住の地で羽を休めるかのように。
 王の側に控えていた浩瀚は、紅を刷いたその唇にゆったりと笑みが昇るのを見た。王の手がいとおしそうに鳥の背を撫でる。浩瀚はそこにこの国の未来を見た気がして、思わず膝をついて恭しく頭を下げた。それを見た幾人かの官がそれに倣って跪礼したが、多くの者が取り残されたように立ちすくんだ。
 その者達に、毅然とした王の視線が注がれる。
 「鳥は民。壊れずに我が元へ飛んできてくれたことをうれしく思う」
 王の言葉が静かに響く。
 「同時に、この玻璃の鳥同様、はかなくももろい民を託されたのだという戒めにしよう」
 その言葉に、立ちすくんでいた者達も一斉に膝をつき、百官そろって深々と頭を下げた。
 慶も長い旅を終え、安住の地へとたどり着こうとしている。夜の延は、そんな空気に包まれていた。


 
 
 
 

中秋の名月が近いということで季節ものです。
「丕緒の鳥」で、最後に丕緒が考えていたアイデアを私なりに形にしてみました。
いかがだったでしょうか。

にしても、やっぱり原作のようには美しい射儀が描ききれません。
誰か私の脳内を映像化して欲しいです。

 
 
     
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