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 「 迷い人 」
 
     
 

 外朝の緯(とおり)を一人の男が大量の書籍を抱えて歩いていた。男は名を栄小という。見た目こそ五十も半ばを過ぎた頃であったが、官吏としてはまだまだ新米の域を出ない春官府の下士である。
 官吏は見た目が若い者ほど優秀である、という一部の噂に従うなら、栄小は凡庸な官吏ということになるのだろうか。ある意味それは真実だろうと栄小自身も思う。散々苦労してやっと取れた允許を楽々と取得する若い学生を目にするたびに、己との出来の違いを思い知らされたものだ。しかし、だからといって栄小は、官吏になるのに随分時間がかかってしまったことを恥じるつもりはなかった。己の出来る精一杯の努力をしてきたことを、それなりに誇りにしているのだ。
 だが、それでも若くして官吏になった者をうらやましいと思うのは、体力面の衰えを感じる時だろう。仙になれば多少無理のきく体になるとはいえ、若返るわけではない。徹夜はどうしたって体にこたえるし、重い荷を運べば腰に来る。
 そう、新米官吏の主な仕事といったら雑用に使い走り。今も上司に命じられて式典や礼典に関する資料を冢宰府へと運んでいる最中であるのだが―――――

 ………重い。重すぎる。

 栄小はずしりと腕にくる書籍の重量に、冢宰府までの遠い道のりを思った。これでは確実に明日は筋肉痛だろう。
 第一、各府第はそれぞれに広すぎるし、離れすぎていると栄小は思う。いつも書類一枚届けるだけのことが一苦労で、行って帰るだけで結構な運動なのだ。そう思えば、もしかしたら机にかじりつきがちな文官のために、あえて各府第は遠くに配置されているのかもしれない、とそんな埒もないことを考えて、栄小はふとあることをひらめいた。
 
 ――――あそこの園林(にわ)を横切れば近道じゃないか

 実にいい事を思いついたと、栄小の顔から思わず笑みがこぼれた。


◇     ◇     ◇


 気持ちよい小道を気分良く歩いていたのはほんのわずか。栄小は、なかなか園林を抜けられぬことに焦りを覚え始めていた。
 ――――おかしい。
 もう何度目かになる呟きを心の中で吐き出す。栄小の計算では、もうとっくにいつもの道に出ているはずなのだ。しかし、いつまでたっても園林を抜け出せず、見慣れた建物の影さえ見つけることが出来ない。
 脳裏に「迷子」の二文字がよぎり、額から嫌な汗が流れ出る。
 ――――いやいや、慣れぬ道は実際以上に長く感じてしまうものだ。
 そんな言い訳に意味があるのかどうかはさておき、栄小は来た道を戻った方が得策だろうかとちらりと思う。しかし、すでに結構な距離を歩いてきており、もう少しでこの園林を抜けられるかも知れないと思えば戻ることも躊躇する。
 さて、どうしたものか。戻るか進むかと、己が内での葛藤を繰り返しつつも決心がつかないでいると、木々の向こうに朱色の柱がちらりと見えた。ああ、あれがいつもの回廊に違いない、と安堵したのも束の間、それが見慣れぬ路亭であると知れ、栄小はがっかりと肩を落とした。
 一瞬でも期待しただけに、どっと疲労感が押し寄せる。
 ………さすがに疲れた。
 もうこの際だ。あの路亭で一休みして行こうと近づいて、栄小はそこに先客がいることに気がついた。官吏が平素身につける朝服を着た若い官吏だ。休憩中なのか、随分とくつろいでいる様子で、そよ風に吹かれる草花などを愛でている。
 思わぬ所に人がいたことに一瞬驚いた栄小だったが、よくよく考えれば救い主かも知れない。彼に道を聞こう。そう思って栄小は路亭へと歩み寄った。


 栄小が近づくと、路亭にいた若い官吏ははじかれたように振り返り、警戒するように栄小の顔を凝視したあと、なぜか安堵したようにほっと肩の力を抜いた。
 その様子によほど栄小が驚いた顔をしたのだろう。若い官吏は苦笑した。
 「すまない。ちょっと勘違いした」
 「………はぁ」
 なんと答えて良いものかわからず栄小がそう答えると、若い官吏はふわりと笑った。
 「こんな所をうろうろしている行儀の悪い者は、私くらいかと思っていたんだ」
 言外に人が来るとは思わなかったと言っているのだろう。一人の時間を邪魔してしまったことに気がついて、栄小は慌てて頭を下げた。といっても両手がふさがっているので会釈程度のことである。
 「それは申し訳ないことを」
 「いや、いいんだ。もともとこの辺りは、私がうろついていい所じゃないしね。ところで、あなたはよくここを通るのか?」
 「実は初めてなのだ。官府への近道かと道をそれたら、どうやら迷ってしまったようだ」
 栄小が答えれば、若者は「なるほどね」とうなずく。
 「王宮はあちこちに呪が施してあるからね。まっすぐ進んでいるつもりでも、あらぬ所に出てしまうことがある」
 「――――なるほど」
 確かにそんな話は聞いたことがある。だが、まだ短い官吏生活の中では実感することがなく、ついうっかり忘れてしまっていた。
 ということは、自分の経験から頭に描いている官府の配置図は、どこまで当てになるかわからないということになるのだろう。
 「で、どこへ向かっているんだ?」
 「冢宰府へ」
 答えれば若い官吏は苦笑した。
 「それはまた随分と見当違いの所を歩いているな。ま、慣れぬ内はよくあることだ。かく言う私も散々悩まされた。ここで会ったのも何かの縁だろう。案内してあげるからついておいで」
 若い官吏はそう言うと、栄小の抱える書籍の半分をさっと抱えた。
 戸惑う栄小に若い官吏は「何、ついでだ」とさらりと言う。そしてそのまま歩き出したので、栄小は慌ててそれについていった。

 垂らしたままの緋色の髪がさらさらと揺れる。
 栄小は若い官吏のあとについて行きながら、一体どこの官吏なのだろうかと思いを巡らす。
 正直に言えば、ここまで若い官吏に会ったことがない。大学を出て官位についたのなら相当優秀な若者ということになるだろうが、栄小はここまで若くして大学を出た学生の話など聞いたことはなかった。なまじ大学生活が長かっただけに、過去の逸話も含めて結構詳しいのだ。確か慶の大学の最年少卒業記録は二十二歳。目の前の若者は、それよりも格段に若い。若者というより少年といった方がしっくりくる年齢だ。
 ということは、大学を出た官吏ではないのかも知れない。実は、大学を出ずとも官吏になれる道はいくらでもあるのだ。そのひとつは家柄。高官の子女などは、いわゆる親の口利きで官位についたりする。これは天官に多い。あとは特別な技能を持つなら冬官で、腕が立つなら夏官か。
だが、目の前を行く少年は、どれもいまいちぴんと来ない。
というのも、天官というのはだいたい気位が高い。もともと育ちが良いので人に命令することに慣れているし、王のそば近くに仕えているということに異様に誇りを持っているせいか、他官より上だという意識があるらしい。しかし少年からは、そんな鼻持ちならない態度は微塵も感じず、むしろ気安い位だ。おそらく天官ではないだろう。となると冬官か夏官かとなるが、冬官となれば基本的に官服を着てうろついているはずがなく、華奢な体つきを見れば凄腕の剣士とも思えない。
 そんなことを考えていると、前を行く少年がふと足を止めて振り返った。美しい翡翠の瞳がまっすぐに栄小を捉えて、栄小は年甲斐もなくどきどきした。
 先ほどから思っていたことだが、この少年、思わず見とれてしまいそうになるほど整った顔立ちをしている。いわゆる美少年だ。これほどの美形なら、ひょっとしたらどこぞの高官に特別な温情を掛けられているのかもしれないと、そんな下世話な想像までしてしまう。
 「最初に言っておくが」
 若い官吏は、どこかばつが悪そうな顔をしながらそう切り出した。
 「これから通る道はちょっと特殊で・・・・・・。その、ちょっと気分転換したい時なんかにこっそり使っている道なんだ。だから、誰にも教えないでほしいんだけど」
 その言葉に首をかしげながらも栄小はうなずいた。
 それに安堵したように若い官吏がふわりと笑った。その笑顔があまりに魅力的で、栄小はほほに朱が上るのを自覚せざるを得なかった。


◇     ◇     ◇


 特殊な道―――とは、よく言ったものだ。と、若い官吏の後をついていきながら栄小は思わずうなった。それは道、と呼ぶにはあまりに非常識で、時にはどこかの堂を通り抜け、時には回廊の下をくぐった。一体ここはどこだと問う前に、こんな所を通っているところを誰かに見られたら咎められるのではないかと、はらはらしっぱなしだった。
 ―――誰にも教えないで、と言われなくても、これでは教えようがなかろう。
 そんなことを考えていると、建物と壁との狭い隙間を抜けた先に、見慣れた冢宰府が現れた。
 栄小はその事実に、とりあえず盛大に安堵の息をつく。
 「ありがとう、助かった」
 栄小が礼を言うと、若い官吏はにっこりと笑った。
 「何、困った時はお互い様だ」
 若い官吏はそう言うと、官府の門をすたすたとくぐっていく。それに慌てたのは栄小だ。官吏といえど、どの官府も出入り自由というわけではない。特に重要機密を扱う冢宰府の出入りは厳しく、他府から遣いで来た官は、まず門のところで用件と身分を証明する印綬を提示しなければならない。場合によっては、そこで冢宰府の下士に書簡を預けることもあり、気軽に立ち入れる場所ではないのである。
 「ま、待て!」
 栄小は慌てて後を追ったが、不思議にも門に詰める官は二人を咎めることはなかった。
 ―――ひょっとして冢宰府の官吏か?
 栄小はそんなこと思いつつ、若い官吏に続く。
 ならば冢宰府までの道に詳しかったのも、門で咎められなかったのも納得がいく。しかも、今も冢宰府の奥へ奥へと迷うことなく歩を進めていて、栄小が立ち入ったことがない所へと簡単に入り込んでいた。
 そしてある宮の前まで来ると、若い官吏は迷うことなく声を上げた。
 「浩瀚、いるか!」
 そのことに栄小はぎょっとした。浩瀚とは、確か冢宰の字ではなかったか。
 ―――それを呼び捨て!?
 それは、この若い官吏が冢宰と特に親しい間柄であるか、そうしてもよい身分であるかということを意味している。
 ひょっとして自分は、相当な不敬をしたんではなかろうか。栄小がひとり動揺していると、呼ばれた相手が顔を出す。
 禁色の官服に侯の身分を示す冠。男は間違いなく冢宰だった。
 栄小は慌てて跪礼した。小さく震えながら顔を伏せた栄小の頭上で、冢宰の声が静かに響く。
 「―――またなにか、悪戯をなさったのではないでしょうね?」
 それに対して若い官吏がすねたように答える。
 「人聞きの悪いことを言うな。この者が迷子になって困っていたようだから連れてきてやったのだ。ほら、これ。お前がこないだ言っていた式典の本だろう?いずれ私のところへ持ってくるんだろうから、そのまま私が引き取ろうかと思ったが、やっぱりお前が先に目を通したほうがいいんだろうと思ってね」
 「それは、賢明なご判断で」
 その会話を聞きながら栄小は、気づきたくなかったあるひとつの事実に気がついてしまった。
 慶の王は御年十六にして、緋色の髪と翡翠の双眸が美しい女王である。
 今まで何度も何度も目にした一文がくっきりと脳裏に浮かんで、その瞬間、栄小の意識は遠のいた。

 ゴン!と盛大な音に驚いて陽子が視線を落とせば、男がのけぞって倒れている。
 「大丈夫か!しっかりしろ!」
 突然の男の変異に、陽子は「瘍医だ!瘍医を呼べ!」とあわてふためいたが、傍らの浩瀚はそっと息をつくと、男に憐憫の視線を落としたのであった。

 
 
 
  3万HIT記念の主人公に初登場オリキャラ(しかもあんまり重要人物そうじゃない)というのもどうなんでしょうね。とにかく春官下士栄小のお話でした。
でも なんか、彼には今後も活躍して欲しいです(笑)
 
 
     
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