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 「 茶人-さじん- 」 (後篇)
 
     
 

 祖仲が司士の呼び出しを受けたのは部屋の片づけを始めた翌日のことだった。
 何用だろうかと不思議に思いながらも司士の府署へと向かえば、祖仲はそこで思いもしなかったことを告げられた。
 なんと今度のお茶講の夏官府代表茶人候補として祖仲の名が挙がっているというのだ。
 茶人は新人官吏から選出するのが慣例。予想外のことにことにただぽかんと顔を上げた祖仲に、司士は面倒くさそうにしながらも事の成り行きを説明した。
 ここ数年慶では混乱が続き、官の登用などほとんどなかった。それゆえどの官府も新人官吏から茶人を選出するという慣例に従うのは困難な状況にある。それを各官府が訴えたところ、上の方で「慣例は慣例、別に法で定められていることでもなし」ということで、赤王朝の当初より「しばらくは慣例にとらわれず」という方針が取り決められたという。
 「それでも夏官府は、茶人選出に毎年悩まされる」
 というのも、夏官府に属する官吏の多くは武官。茶のたしなみなど持ち合わせていない者が多いのだ。
 「それに慣例にはとらわれず、といっても高官を出すわけにはいかない。そもそもお茶講は、まだ昇殿できぬ新人官吏に早くここまで上がれるように励め、という意味合いを含ませると同時に、主上に新人官吏をご覧いただくためのものである。日頃より朝議で顔を合わせている者が出ても意味がない」
 ということで、夏官府に属する文官の中でも位の低い者の中から適当な者を選出した結果、今年は祖仲にお鉢が回ってきたというわけらしい。
 すっかり納得はしたが、祖仲の心中は正直複雑であった。
 どう考えても、これは栄誉ある選出ではない。自分の中のなけなしの矜持として自らを支える糧にしていた茶人選出という過去の栄光。それさえも踏みにじられるような司士の言葉に、祖仲はすんなりと承諾の意を表すことはできなかった。
 だが司士は、祖仲のそんな胸中など構うことはなかった。
 「お茶講まであまり時間がなく十分な準備はできぬかもしれぬが、そなたはかつて茶人に選出されたことがあると聞く。その経験を生かして、夏官府の面目を保ってほしい」
 司士のその言葉は、皮肉を含んでいるように聞こえた。


◇     ◇     ◇


 大学を出たばかりの祖仲が最初に配属された場所は夏官だった。そこで軍吏補という仕事を与えられたのが祖仲の官途の始まりだった。軍吏は軍に属する文官で、会計事務を担当する。軍史補はその軍史を補佐するのが役目だった。
 仕事につくまで考えたこともなかったが、演習と言えどひとたび軍が動けば多くの金が動いた。そして、金が動けば結果として膨大にして煩雑な会計処理を行わなければならず、軍史の仕事は常に多忙であった。官に登用されたばかりの祖仲は仕事の不慣れさと相まって寝る間もないほど仕事に追われたが、同時に充実した日々であり、野心など何もなく、ただひたすらに仕事に忠実であった。そんな祖仲に茶人選出の話が来たのは五年を過ぎた頃だった。
 思えば、それをきっかけに祖仲の人生は大きく変貌したのだ。自分が将来を嘱望される優秀な人材であることを自覚し、官途を極めたいという欲が生まれた。ただ仕事に忠実であるだけでは官吏としてつまらなく、如何に己の手柄や能力を上司に認めさせるかという事を考えるようになった。同僚を陥れるような真似さえしなかったが、他人から見れば嫌味な面も多々あったに違いない。だがそれでも、自分の能力に期待している者がいる以上それに応えるのが己の使命だと信じて疑わなかった。
 祖仲は、司士の府署よりもどると、榻に深く腰掛け、うつうつとそんな過去の記憶をたどっていた。
 すっかり日は傾き、窓から差し込む西日で室内には長い影が落ちていた。荷物をまとめ出した室内には床のあちこちに荷物が積んであり、それが複雑な陰影を作りだしていた。それを見るとはなしに見つめつつ、祖仲は深く自分の思考に沈んでいた。
 茶人選出は、祖仲の人生を大きく変えた。だが、その茶人への選出だって、今思えば祖仲の考えていたようなものではなかったのかもしれない。あの当時だって夏官に茶人として選出できるような文官は少なかった。
 しかし、そんな事実を海千山千の古参の官吏が新人官吏にばらすはずもない。期待を抱かせやる気を起こさせることでうまく新人官吏を御していく。そんな事実が裏にあったとしても今なら驚きもしない。
 そしてそれが事実なら、自分はうまく古参の官吏らに利用されたということなのだろう。茶人選出はさも栄誉だと思わせ、その茶人に選出してやる自分たちに感謝するように仕向け、恩義を感じさせ、使えるだけ使って、最後は適当な所で捨てられたのだ。
 官途を極めるには、その古参の官吏らの思惑をわかりつつ、利用されているようで逆にうまくその状況を利用しながら保身の策を持ち合わせていなければならなかったのだろう。
 そしてそんな策を持ちあわせていなかった自分は
 「やはり凡夫だったのだ」
 祖仲は失笑するように口元をゆがめた。
 しかも自分は、使い捨てられた後も、いつか自分をここから引っ張り上げてくれる者が現れると信じて閑職にしがみついていたのだ。なんと哀れな存在だろうか。その上まだ自分は、上の面々の思惑に利用されようとしている。
 適当に夏官の面目を保つ存在として。
 だが、それがわかったところで自分に諾否の権はない。やれと言われた以上、茶人を務めないわけにはいかないだろう。だが―――
 「最後までいいように使われるか祖仲?」
 祖仲は静かに自身に問いかける。
 このままでいいのか?自分たちの思惑通りに動くと信じて疑わない面々にひと泡吹かせてやりたくはないか?彼らの体面を傷つけてやりたくはないか?
 自分はもはや辞職を決意した身。恐れるものは何もない。
 それに―――
 「茶人の選出で始まったすべてのことを茶人で終わらせるのも悪くない」
 祖仲の口元に浮かんだのは何とも言えない笑みだった。


 この日より祖仲の日々は忙しくなった。如何にすれば上の面々の体面が傷つけられるのか、その策を練り始めたのだ。
 部屋にこもり、祖仲は来る日も来る日も一人考え続けた。
 しかし、上策と呼べるものはなかなか浮かばなかった。考えれば考えるだけ、海千山千の彼らを手玉に取るなど無謀なことのようにも思えてきた。だが、それ以上に祖仲は意地になっていた。
 彼らが祖仲に期待していることは、夏官府の体面を保つことである。だからその期待を裏切れば、彼らの体面に傷がつくことになるはずだ。そして彼らの考えている「体面が保たれる状態」とは、おそらく、一番にならずとも祖仲がそこそこの正解率を出すことだろう。
 ならばその逆、全部不正解を出したらどうだろうか。
 お茶講では、十二種の課題のお茶を飲み、その後出される七つのお茶がどれと同じものかを当てる。七の内の五を当てればかなり健闘したことになるが、長年茶を飲み続けていた祖仲にとっておそらく五つの正解を出すのは難しくない。それと同じ理論で、わざと外すこともさほど難しくはないだろう。
 だが、と祖仲はそこまで考えて頭を振った。
 それで果たして彼らの体面がどれほど傷つくか。それを思えば大した効果はないように思えるし、その後自分が辞職すれば、全問不正解を出したことを恥じて職を辞したような形にもなりかねず、不本意さが残る。
 ならばいっそのこと全問正解してみたら?などと考えてみたが、それでは彼らを喜ばせるだけである。つまりは、正解率で彼らの体面を傷つけることはできない。正解率とは違う所で策を立てなければいけないのだ。
 では、めちゃくちゃな作法を取ってみたらどうだろうか。祖仲は考えた。そもそも彼らは、武官では茶の作法が危ういかもしれない、ということを危惧して文官から候補を選出した。だから当然、祖仲に対して正しい作法が出来ることを期待しているし、そうであるはずだという考えの下、祖仲を茶人に選出したはずである。だが、彼らは祖仲の作法を確認していない。そんな状況の中で祖仲がめちゃくちゃな作法を取れば、人選の杜撰さが明るみになり彼らの体面はそれなりに傷つくはずである。かつて茶人に選ばれたのだからできるはずだ、と言われれば「昔のことすぎて忘れた」とでもしらを切り通せばいい。
 これはなかなかいい案かもしれない。祖仲はそう思っていたのだが、その思惑はすぐさま当てが外れることとなった。年の瀬が押し迫ったある日、祖仲は再び司士に呼び出され、作法の講義を受けることになったのだ。
 「かつて茶人に選ばれたそなたなら大丈夫だとは思うが、如何せん随分昔のことだ。今とは作法もちと変わっているところがあるかも知れぬからな。確認しておいて損はなかろう」
 いらぬ親切心だと心の中で思わず舌打ちしてしまった祖中であったが、名案の種はどこに転がっているかわからないものだ。祖仲はここで思わぬ収穫を得たのである。
 「実は赤王朝になってから、お茶講のやり方も少し変ってな。一番になった者は、お題の十二種の中から自分が一番おいしかったと思った茶葉を選び、主上に茶を差し上げる栄誉が与えられるのだ。だから、ま、一応念のため。茶を入れるときの作法も確認しておいた方がよい」
 司士はそこで一旦言葉を切ると、やや言いにくそうにしながらもどこか媚びるように祖仲の耳元で囁いた。
 「実は、夏官の上のほうの、さるお方の封領からとれた茶葉が、課題にひとつに取り上げられることになったのだ。茶人を通してその茶葉を主上にお召し上がりいただけば、何と言うか、その箔がつくわけだ」
 司士は言って「わかるだろう?」といわんばかりの視線を祖仲に向けた。
 「要は、そなたの働きを大変期待しているお方がいるというわけだ。もちろん、そなたも働きに応じた褒賞を期待してよい。だから万が一の時のため、今日飲んだ茶のことをよくよく覚えておくように」
 「いいな」と念を押すように肩をたたいた司士を見つめながら、祖仲は「これだ!」と心の中で喜びの声を上げた。


◇     ◇     ◇


 祖仲は満を持してお茶講の日を迎えた。
 かつては緊張で眠れなかったが、今度は興奮で眠れなかった。なんとしても自分の考えた策を実行し、彼らの体面に傷をつけてやるのだ。その意気込みにあふれていた。
 やがて粛々とお茶講が始まった。
 正面には玉座。御簾は降ろされてはいたが、その向こうには確かに王の気配がしていた。
 その王の正面左右に分かれて茶人たちは対座していた。
 茶人らは皆一様にピリリとした緊張感をみなぎらせていたが、同席する高官らにとっては所詮遊興のひとつ、場には張り詰めた空気と安穏とした緩んだ空気が入り混じり不思議な空間を生み出していた。
 そんな中に茶が運ばれてくる。
 まず、十二種の課題の茶。親切にも司士が持たせてくれた茶葉のおかげで例の茶葉はすぐにわかった。
 七番目。見た目の色は薄く、ほのかに甘みがあるのが特徴だった。
 課題を確認し終えると、七つのお題がひとつずつ運ばれてくる。祖仲にはほとんど見た目と香りだけで区別がついて、口に含むのは確信をより深めるためだけのものであった。
 だが祖仲はその瞬間を純粋に楽しんでいた。どの茶も自分では到底手の出ない一級品ばかり。口に含んだ瞬間に広がる香りと深い味わいは祖仲をこの上なく幸せにした。かつて緊張の中で口にしながらも祖仲を虜にした茶の味が、ただ懐かしい思い出になるほどどの茶もすばらしかった。
 さすがはどれも王に献上されるだけの価値ある品々だ。例え茶の味など何も分からぬ者がどれを選んでも、王を満足させられるだろう。
 お題がすべて出終わると、茶人は答案を紙に書いて提出する。祖仲は迷いなく七種すべてをすらすらと筆記し終わると、答案を集めに来た官の持つ盆の上に丁寧にその答案を乗せた。
 その答案を同席した高官らがすぐさま確認する。確認作業はさほど時間のかかるものではない。結果は、すぐに発表された。
 「第一位、全問正解。祖仲」
 名が読み上げられると、会場には小さなどよめきが起きた。祖仲は満足げにほほ笑んだ。


 「勝者はこちらへ」
 祖仲は促されて、御前に進み出た。王の姿は御簾に遮られて見えなかったが、その気配はおぼろながらに感じられた。
 祖仲がその王の気配を感じながら跪いて一礼すると、
 「全問正解とはすごい」
 御簾内から女の声がした。
 そういえば今度の王は若い女王だったということを、祖仲は今更ながらに思い出していた。
 「自信はあったのか?」
 問いかけはとても無邪気で気さくであった。その気やすさに少々戸惑いながら、祖仲は謙遜した。
 「多少は。しかし運が良かったようです」
 「だが運だけでは全部は当てられないだろう。よほど五感がすぐれているのだな」
 さも感心したようなその呟きに祖仲の良心がちくりと痛む。何十年と茶を飲み続けてきたのだ。大抵の者なら茶の味に精通する。そして自分はその特技を生かして今からとんでもないことをしようとしているのだ。
 ―――そうだ、自分が今からしようとしていることはとんでもないことだ。
 祖仲はわずかに戸惑いを覚えた。
 いくら古参の官吏らにひと泡吹かせてやるためとはいえ、わざとまずく入れた茶を主上に献じようとするなど。
 だが―――
 多少の罰は覚悟の上。自分をうまく使って己の封領の茶葉を主上に売り込もうとしているその浅はかな考えを討ち砕いてやるのだ。自分にはそのくらいの仕返ししかできないが、わずかでも積年のうっ憤を晴らしたいのだ。
 ここまで来て引くわけにはいかない。
 祖仲は覚悟を決めた。
 「それで、五感すぐれたお前が一番うまいと思った茶はどれだ?」
 王の問いかけに、祖仲はゆっくりと頭を下げた。
 「それは、七番目の茶にございます」


◇     ◇     ◇


 祖仲の前に茶器一式が運ばれてくる。祖仲はよどみない手つきで茶を入れた。だが、茶葉の量も湯加減もめちゃくちゃで、それは確実にまずいはずだった。
 急須から茶杯にゆっくりと茶をそそぎいれる。茶の準備ができると、官の一人がそれを盆に載せて玉座へと運んだ。
 そこで初めて御簾が上がる。
 鮮やかな緋色が祖仲の目を射抜いた。
 「どうぞお召し上がりを」
 「うん」
 まだ若い女王は軽く微笑みながら頷いて差し出された茶杯に手を伸ばす。その茶杯がゆっくりと口元に運ばれる様を祖仲は静かに見守っていた。
 白磁の碗が軽く紅を引いた唇に当たる。その碗が静かに傾けられ、茶を咽下するのに合わせてほっそりとした咽が上下した。
 刹那、王の柳眉が密かにひそめられる。
 それを確認した祖仲は、自分のたくらみが成功したことを知った。
 ―――やった!やった!やったぞ!
 祖仲は飛び上がって喜びたい衝動を抑えるのに必死だった。これで主上はあの茶にはとんでもない悪印象を持ったはずだ。彼らの企みはこれで果て、思惑通りに事が運ばなかったことに憤慨するに違いない。
 だが事態は、祖仲の思惑をはるかに超えたところにあった。
 次の瞬間、なんと王が吐血したのである。
 「主上!」 
 鋭い叫び声がその場の空気を切り裂いた。
 傍にいた紫紺の衣をまとった男が血相を変えて王のもとへと駆けよる。
 周囲にもどよめきが起こり、場は一気に騒然となった。
 祖仲には何が何だかわけがわからなかった。
 衣を血に染め、ぐったりとなった女王に駆け寄った男が、女王の様子を窺うように肩を抱く。祖仲はその様子をただ呆然と眺めていた。
 「瘍医を!」
 男が叫ぶ。そして男はするどい視線で祖仲を振り返った。
 「その男を捕えよ!」
 その一言に、祖仲はわけがわからないまま身を拘束されていた。縄を掛けられ、武官に無理やりに引きずり出される。
 そこで祖仲は初めて自分に身に何が起きたのか悟った。

 ジブンハハカラレタノダ。

 王を毒殺するための駒として。
 裏をかくつもりで、自分はまたしても誰かの思惑の中でうまく使われたのだ。
 そう思うともう笑いが止まらなかった。
 祖仲は牢に連行されるまでの道中、壊れたように笑い続けていた。

 
 
 
  魑魅魍魎うずまく王宮。こんな悲劇など数えきれないくらいあったはず。
ちょっとというか、かなり暗い感じの話になってしまいましたが、王宮に渦巻く陰謀をテーマにしてみました。
時期的には「黄昏の岸〜」の直後です。あの手のこの手で気にいらない王を排除しようとする動きは、きっとどの官府にもあったんじゃないかと想像しています。

 
 
     
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