ふと視線を上げたその時、窓の外に見えた桜に浩瀚は瞠目した。
いつの間に花開いたのか。もうすでに五分ほども咲き誇っている。
そろそろかと思っていた頃にやって来た寒の戻り。雪まで降ったその強い寒さに一気に春の気配は遠のき、それと同時に急を要する案件が立てつづけに入ってここ数日ばたついていた。
ただ、数日とは言ってもほんの二、三日のこと。というのに、どうやら桜はその間に開花するばかりでなく一気に咲き誇ったようだ。
―――あの寒の戻りに油断したな。
浩瀚は、蒼穹に映える薄紅の花弁を見やって苦笑する。
自分では急務もそつなくこなしているつもりだったのだが、どうやら窓の外に気を配るほどの余裕はなかったらしい。
毎年、主上への桜の開花宣言を一番にすることを密かな楽しみとしていたというのに、今年はもう誰かがしてしまっているだろう。そう思えば何とも口惜しく、そして残念で仕方なかった。
「失礼します」
そう声がして下官が現れたのはちょうどその時。新たな書簡を届けに来たのかと思いきや、手にはいつもならぬ黒塗りの長い箱。浩瀚がそれを不思議に見やれば、下官はわずかに捧げ持つようにして浩瀚の前に差し出した。
「主上からでございます」
そして下官は続ける。
「ご伝言がございます。こちらが何より優先と」
「それだけか?」
「はい。これだけ申し伝えるようにとのご下命でございました」
生真面目に答えて下官は下がる。
浩瀚は、下官の下がった部屋でそっと箱の組紐をほどいた。
主を思わせる赤い房のついた組紐。それを丁寧に解きほどき、浩瀚は静かにふたを開けて目を見開く。
中には桜の枝が一本。見事な花を咲かせて納められていた。
―――何より優先。
下官の伝言を思い浮かべて、浩瀚は微笑する。折しも新たな書類を抱えて入って来た下官に、浩瀚は迷うことなく今日の業務の終了を告げた。
「急務が入った。すべて明日に回してくれ」
「かしこまりました」
疑いもせずに深々と一礼する下官に、浩瀚は付け加える。
「それと、六官長らに明日の朝議は主上御欠席であると連絡しておくように」
「―――は」
下官は一瞬不思議そうな顔をしたが、ただ一礼して下がった。
その姿に浩瀚はわずかに苦笑した後、愛しい少女の待つ内殿へと向かったのであった。
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