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「 そぞろ雨 」
 

 突然雷鳴がとどろいた。
 途(とおり)を行く誰もが立ち止まって上空を仰ぐ。抜けるような蒼天。そこに、押し寄せるように黒雲が迫っていた。
 「雨が降るぞ、急げ!」
 誰かが叫ぶ。その声を合図に皆が一斉に動き出し、安穏とした空気に包まれていた途は途端に騒然となった。
 その人の波に押されるかのように、陽子もまた走り出す。そして見つけた茶屋に駆け込んだその時、大粒の雨が地面を叩くように降り出した。
 「おや、お客さん。間一髪でしたね」
 店の主人ににこやかに迎えられて、陽子は軽く笑んだ。
 「まったくだ」
 「それにしても突然でしたね。こういう雨は予測がつかないから困りもんです。ああ、あちらの方などすっかり濡れてしまわれて」
 主人のその声に視線を向けると、陽子のすぐあとに入ってきた客人の服はすでにぐっしょりと濡れている。店の主人は気遣わしげな声をあげながらその客人に駆け寄った。
 「お客様、災難でございましたね。すぐに何かふくものをお持ちしましょう。おい!お客さまに何かふくものをお持ちしろ!」
 はーい、という娘の高い声が奥から聞こえ、手ぬぐいを手にした若い娘が現れる。その様子を何となく眺めながら、陽子は一人隅の席へと座った。
 初めはがらんとしていたその茶屋だったが、雨宿りに来た客ですぐさま店内はごった返し、頼んだ茶と団子が出てくるまでしばし待たねばならなかった。
 その待つ間、陽子はぼうっと外を眺めながら出かけ際にかけられた言葉を思い出していた。

 
 「今から堯天に降りられるのですか?」
 出かけようとしていた陽子に、そう声をかけてきたのは浩瀚だった。
 振り返ってその姿を確認し、陽子は「ああ」と頷く。
 「しばらく降りてなかったし、新しく作った市の様子をちょっと見ておきたいんだ。日が落ちるまでには帰ってくるよ。―――って、ひょっとしてなんか急ぎのようだった?」
 「いいえ。主上のお楽しみを邪魔してまで急がなければならないものではございません」
 「そう」
 浩瀚の言いように苦笑しつつ、それでも別段止められなかったことに内心感謝する。
 「じゃあ、帰ってきてから目を通すよ」
 「よろしくお願いします。―――ところで主上」
 「なに?」
 「ひょっとすると夕方あたり雨が降るかもしれません」
 「雨?」
 意外なその忠告に陽子は思わず瞬いた。
 「今日はとても天気がいいって聞いたから降りてみようって思ったんだけど。それに、この季節って滅多に雨降らないよな?」
 「そうですね。でも、時々そぞろ雨が降って参ります。ここ数日の気温の変化や風向きを過去の記録と照らし合わせると確率が高うございます」
 その言葉に陽子はどこかあきれた。
 「・・・・・・冢宰の職掌に天気の調査なんて入っていたか?」
 言えば浩瀚は軽く笑む。
 「天気は農耕においても軍事においても重要な要素ですからね。少々関心はございます」
 さらりと返された答えに、少々ね、と陽子は苦笑し、
 「ま、一応気をつけるよ。じゃ、行ってきます」
 「はい、いってらっしゃいませ」
 

 そんなやりとりがあったのだ。そして浩瀚の予想通り夕刻前に雨となった。その事実に陽子は思わず苦笑する。
 「あいつを慶第一号の気象予報士にでもするか?」
 その小さなつぶやきは、ほんのちょっぴり本気だったりした。

 
     
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