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「 手のぬくもり 」
 

 東の空に昇り始めた丸い月を陽子は静かに見つめていた。
 夕暮れではあるが空はまだ青い色を残し、月は未だ真の輝きを隠して白い。しかしながらその姿は堂々とどこまでも優雅で気品に満ちていた。
 いつもより大きく見えるのは気のせいか。
 陽子は、見とれるように昇り始めの名月に見入った。
 やがて空は色を失っていく。眼下の雲海は見る見る黒く沈んでいき、月は真の姿を見せ始める。
 黄金の輝き。その光を映して光る雲海のさざ波。
 静かな岬に寄せては返す潮騒の音が包み込むように優しく響く。
 急速に冷たくなった風に季節の移ろいを感じつつ、陽子はその風に緋色の髪をしばし遊ばせて眼前の景色に思い出深い射儀を映した。
 あれから何度も射儀を見た。そのいずれも見事だった。そしてそのすべてを采配したのはたった一人の羅氏であった。
 その羅氏が朝廷を去った時、陽子は観月会での射儀を今後一切中止するよう命じた。
 赤王朝の恒例行事となっていた観月会の射儀の中止を惜しむ声は多かったが、陽子はその声に耳を貸すことはなかった。
 月夜の射儀はあの男のものだ。あの男のものを奪うわけにはいかない。
 そして同時に、自分も区切りをつけて次へと進むべきなのだと陽子は思う。
 過去にしがみついて前を見失うことはできないのだ。あの男が、次の人生を歩む決心をしたのと同じように。
 陽子は振り返って、後ろに控えていた男を見た。男はさも今来たばかりだといわんばかりの様子を見せて、優雅にその場で拱手した。
 「主上、お時間でございます」
 言って男は陽子に手を差し出す。その手を見つめて陽子が小首を傾げれば、御手をどうぞと男は微笑んだ。
 「足元があぶのうございますゆえ」
 「―――そうか」
 着慣れぬ衣装に、陽子は素直に応じて手を重ねた。刹那、男の手のぬくもりがじわりと陽子の掌に広がる。
 ―――変わらぬものもここにある。
 声なき男の言葉を受け取って、陽子は小さく微笑んだのであった。

 
     
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