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「 一抹の不安 」
 

 慶に新しい王が登極して十年。
 蓬莱生まれの胎果の女王は、当初こそこちらのことが何もわからぬと戸惑ってばかりであったが、何事にも真摯に向き合い努力を重ね、今では随分と日々の生活に余裕を見せるようになっていた。
 そのせいだろうか。女王は近頃よく出奔する。
 行き先は大抵堯天で、街をぷらっと歩き回って民の様子を見てくる程度のものであったが、ごく最近になって少女が足しげく通うようになった場所があることを浩瀚は知っていた。
 それは、国の最高学府―――いわゆる、大学だ。
 そこには彼女が弟のようにかわいがっていた少年が今現在通っている。少年は、いやかつて少年であった彼は、十六で時を止めてしまった少女の外見年齢をすっかり追い越して今や立派な正丁なのだが、少女にしてみれば彼はいくつになってもかわいい弟の桂桂なのだろう。何くれと無く心配し、元気でやっているのかと確認しにいっているようである。
  ……と言うことを、王宮を抜け出す口実にしている感も否めないが。

 浩瀚は、日頃の王の出奔にある程度の理解を示してきたつもりだ。王とて元は人。しかも本来なら最も人生を謳歌できるであろう青春期に一国を背負うという重責を与えられた少女なら尚のこと、たまの気晴らしくらいさせてあげねば不憫というもの。
 しかし、足繁く大学に通うという近頃の王のこの行動には、さすがの浩瀚もいささか不安とも不満とも言えぬ感情を抱いていた。
 政務が疎かになるとか、王がそうそう頻繁に宮を留守にするものじゃないとか、そういったことではなく、また、いくら弟のような相手とはいえ成人している男性に嬉々として会いに行くのが面白くないとか、そういう狭量なことでもない。
 いや、実際に誰かに心惹かれて出かけているなら面白くないだろうが、少女にとって蘭桂はあくまで弟だ。いくら彼の方が少女に対しほのかな恋心を抱いていようとも、少女が彼を弟と見ている限り彼の方がその関係を壊せないことを浩瀚は承知していた。
 だから少女が蘭桂に会いに行くのは良い。見知らぬ誰かに会っているというより安心もできる。
 
  ただ、場所が問題なのだ。
 
  大学と言えば、慶国中から集まってきた頭脳明晰な若者達が集う場所。そういえば聞こえはいいが、悪い遊びを覚えたり恋愛を謳歌したりと、今までひたすら勉学に明け暮れてきた者達が、開放感から羽目をはずしやすくなる場所でもあるのだ。
 そんな所にあの人目を引く、それでいて己の美しさにまったく無自覚な少女がほいほいと乗り込めばどうなるか。それはまさしく、餓えた狼の群れに羊を放つようなもの。
 不埒なことを考えて近寄ってくる輩は、一人や二人ではあるまい。
 
  ―――なにせ連中は、盛りのついた犬のようなものだ。
 
  未来の慶を支える優秀な若者達に対する浩瀚の認識は、その程度であった。
 
  ―――万が一にも間違いなどあってはならない。
 
  慶国きっての優秀な頭脳は、今日も主を守るべく忙しく働く。
 各官府より上がってくる奏上書よりも優先されるその手回しが、実は大いに私情混じりであるということは、すでに長い時を生きている彼には十分自覚があったが、浩瀚はそれをあっさり無視しているのであった。
 すべては美しき緋色の女王のため。
 そして、己の心の安寧のため。


 
     
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