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「 とげ 」
 

 主の姿を求めて王宮の外れの岬へとやってきた浩瀚は、そこに建つ今にも朽ち果てそうな路亭にその姿を見つけた。
 こちらに背を向けて座る少女はどうやら最近覚えた二胡を弾いているらしい。聞きなれぬその旋律は蓬莱のものであるのか、どこか物悲しく静かにあたりに響いていた。
 用あってここまでやってきた浩瀚であったが、繰り返し紡がれるその旋律の前に声をかけるのを躊躇う。直感的に、この響きが口には出せぬ主の何がしかの心の叫びであるような気がしたのだ。
 赤王朝が開いて三十年。荒れた地には緑が戻り、人々は平穏を取り戻した。未だ課題は多くとも、間違いなく慶はこの三十年で豊かになった。だが、読み書きすらおぼつかなかった胎果王である主にとっては、ここに至るまでの道のりはとにかく苦難の連続であったであろう。その身にのしかかる負担を少しでも軽減せんと努力してきた浩瀚であるが、所詮臣の身で王の担うべき重責を肩代わりできるはずもなく、見守ることしか出来ぬ己の立場と不甲斐なさを呪ったことも数えきれない。
 それでも三十年の間に主は、日々の楽しみや喜び、小さな幸せなどを自分で見つけ、自分のくつろげる居場所を確実に築き上げて来たのだ。近頃は笑顔であることの方が多く、先日行われた即位三十年の礼祭もつつがなくそして盛大に行われ、民の王に対する親愛の高さを再確認したところであった。
 その主がひとり、ひと気のないところで物悲しい旋律を繰り返す。
 一体何が原因なのだろうかと思いを巡らせるが、心当たりは何もなかった。
 思わず小さく息をつく。誰よりも彼女のそばに居ながら結局はこのていたらくだ。かける言葉を見つけきれず、かといって立ち去り難く、浩瀚がその場に立ち尽くしていると、繰り返される旋律に小さな歌声がのった。その歌詞は遠く離れた故郷を懐かしむものであるのか、幼き日々を過ごしたふるさとの情景をうたい、故郷に残してきた人々に思いをはせる。
 ―――ああ、主上は蓬莱を懐かしんでおいでなのだ。
 これでようやっとひと気のないところでひとり二胡を弾いていた理由がわかったと納得し、やはりここはそっとしておくべきだろうと踵を返したその直後、浩瀚は次に続いた歌詞に思わずどきりとした。
 驚愕して振り返る。雲海を吹き抜ける風に揺れる深紅の髪が鮮やかで、それが逆にあまりにも儚く見えて浩瀚は思わずすがりつきそうになった。
 それをしなかったのは、単に理性が働いたからではない。主その背がやんわりと他者を廃絶していたからだ。
 逃げるようにその場を駆け去った浩瀚は、どの道を通って冢宰府へと戻ったのか記憶にないほど動転していた。
 ただ、最後に聞いた歌詞だけが耳の奥で何度も何度も繰り返し響いていた。

 〜ココロザシヲハタシテ、イツノヒニカカエラン…

 この一言はとげとなって浩瀚の心に刺さり、その後長い間浩瀚を悩ませることになる。

 
     
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