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「 似て非なるもの 」
 

 主を捜して庭院を歩き回っていた浩瀚は、思っていた場所にその姿を見つけた。近頃彼女はよくそこにいるのだ。そこは、庭院のはずれの一本の木の下で、あろうことか彼女はそこに大の字になって転がっているのである。
 「主上、またそのようなところに」
 浩瀚は近寄ってたしなめた。庭院のこんな奥に一人でふらふらとやってくるのも、地面に無防備に転がっているのも、どちらも許容できることではない。
 「お疲れであるならば、房室に仮寝の場所を準備いたします」
 浩瀚は近くまで寄って膝を折った。本来なら主より頭が高いのは非礼だが、叩頭礼が廃止されている慶ではこれ以上頭を下げることができない。
 浩瀚はその姿勢のまましばし待つ。しかし、返事は返らなかった。
 寝ているのではないことはわかっていた。翡翠の双眸はひらかれ、わずかながら視線が揺らいでいるからだ。
 ―――いかがされたか。
 浩瀚は応えが返らないことをいぶかしんだ。
 こうして地に転がっているのは常のことだが、いつもは近寄るだけで身を起こし、ばつが悪そうな顔をしながらおとなしく執務室へ戻るのである。
 ―――具合でもお悪いのでは。
 もっと様子をよく見ようと浩瀚は腰を浮かせて陽子の顔を覗き込んだ。そして、はっと動きを止める。時に優しく時に苛烈に己を見つめてくる翡翠の双眸が、あまりにも力なく遥か遠くを眺めているように見えたからだ。
 なんともいえぬ不安感のようなものが、ぞくりと背中を撫でた。
 「―――主上」
 思わず声がかすれた。
 「・・・・・・近頃さ、この木を見ると、自分もこの木と同じなんじゃないかと思っちゃうんだ」
 返事は、突然返された。いや、返事ではなく独り言かもしれない。しかし浩瀚は、言葉の意味を探るように頭上の大樹を仰ぎ見た。
 「―――この木、ですか?」
 見上げるほどの大樹である。堂々とした幹周りに、青々とした葉を大空に広げていた。樹齢は百年や二百年とは言わないだろう。もっともっと昔から、静かにここに佇んで慶を見守って来たに違いない。
 立派な大樹。しかし彼女はどうも、そういう目線でこの木を見ているようすではない。もしそうであるならば、今彼女のまとう儚さの理由がわからない。
 「羅漢柏にございますね。どういう意味でございましょうか?」
 浩瀚が問いかけると、陽子がわずかに驚いたような表情をして体を起こした。
 「・・・・・・こちらではそういうのか」
 呟くと苦笑する。浩瀚が首を傾げれば、陽子は苦笑したまま大樹を見上げた。
 「この木は蓬莱では翌檜(あすなろ)というんだ。檜という古より貴重視されてきた木に似ているが、檜ではない。明日は檜になろう、明日は檜になろう、と考え結局は檜になれない哀れな木だ」
 浩瀚は陽子を見やる。陽子の口元には、自嘲の笑みが浮かんでいた。
 「私もこの木と同じだ」
 いい王になりたいと思う。いい国にしたいと思う。明日こそ、明日こそ、と思って歯を食いしばる。でも、いまだ自分は無力な小娘でしかない。
 浩瀚は、そう考える陽子の内心が手に取るようにわかった。字はいまだ覚束ず、彼女を軽く見る官も多い。物事は思うようには進まず、朝議はしばしば紛糾した。その全てを、自分が不甲斐ないからだと彼女は自分を責めている。
 浩瀚は再び頭上の大樹を仰ぎ見た。
 「主上がこの木と同じとおっしゃるならば、私はそれでよろしいと存じます」
 ご覧くださいませ、と促して、零れ落ちてくる光のまぶしさに浩瀚は目を細める。
 「この木の立派なこと。これほどの大樹めったにあるものではございません。明日こそ、明日こそと思い日々努力を重ねた結果を見るようでございます」
 「―――浩瀚」
 「仙になれば、人もこの木と同じほどの時を生きることができましょう。しかし、努力し続けられる人はそう多くはありません。時に惰性に生き、時に怠慢になる。それが、抱いていた志や、追い求めていた理想の自分を忘れた結果であるならば、主上は心に常に翌檜を抱いていなければいけないのではありませんか」
 檜になどなる必要はないのです、と浩瀚は言った。
 「翌檜は翌檜でよく、主上は主上でよろしい。ただ、努力を忘れぬこと。志を抱き続けること。そうすればいつの間にやら、檜などとは比べられもせぬ立派な大樹になっておられることでしょう」
 ふと視線をおろせば、陽子の口元に浮かんでいた笑みは穏やかなものへと変わっていた。


 
     
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