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「 野辺送り 」
 

 かーん、かーん、と金属を打ちあう甲高い音がこだまする。一定のリズムを刻むようでいて微妙に不規則なその音は、乾いた空気の中をどこまでも響き、雲ひとつない蒼穹へと吸い込まれていく。
 その中を、白い吹流しを先頭に黙々と歩く人の列がある。地面に濃い影を落として歩く人々の足取りは、鉛のごとく重い。
 丘の頂から彼らを目にした陽子は、その場に縫いつけられたかの如く固まった。
 彼らが何をしているのか陽子は知っている。
 野辺送り。死者を墓場まで送るための行列だ。その列が、視界の端から端まで途切れることがない。陽子はぐっと拳を握りしめて唇をかみしめた。
 ―――あの時、こうしていれば。
 ―――もっと、自分がちゃんとしていれば。
 とめどもなくあふれてくる後悔。しかし、後悔することすら自分を苦しめる。
 ―――後悔するくらいならなぜあの時もっと。
 後悔がさらなる後悔を呼ぶ。それでも後悔することを止められない。
 自分の失態で彼らは命を失った。自分の判断力のなさが彼らから愛する者を奪った。自分の愚かさが彼らの悲しみを生んだ。しかし最も大きな彼らの悲劇は、こんな悲劇をいつまで経っても生み出す愚かな王を戴いてしまったということではなかろうか。
 重い石の塊のようなものが胸の奥にどすんと落ちる。
 ―――慶の王が自分でなければ。
 ―――万民の望むような傑物が王であれば。
 その時背後に人の気配がして、振り返る間もなく陽子は視界を覆われた。
 はっと息をのんで身を固くすると、よく知った低い声が耳元で囁く。
 「自分を責めて何とします」
 「・・・・・・意味がないことは知っている」
 喉をひきつらせながら陽子は声を絞り出す。
 「どんなに後悔しても失った命は戻らない」
 そんなことは嫌というほどわかっている。
 「自然の災異は時に人知を越えます。主上のせいではございません」
 私のせいではないだって!
 陽子の口元から自嘲の笑みがこぼれ落ちた。
 「王が人道を敷き天を整えれば、地は穏やかであるのがこちらの理ではなかったか」
 言い換えれば、地が穏やかならざる姿を見せるのは王のせい。自然の災異は王が引き起こすのだ。
 「雁国六百年、奏国七百年。この両国においても自然の災異は定期的に民を襲っております」
 「だから慶など余計に仕方がないということか。所詮胎果の小娘が治める国なのだから、最初から諦めておけと」
 「主上!」
 おかしくて苦しくて悔しくて悲しくて、泣きたくないのに涙があふれる。泣くのはそれこそ意味がない。自分には泣く資格などない。だから、嗚咽を我慢しようとしたらのどが引き攣れて、低いうめきが漏れた。
 男の手は相変わらず陽子の視界を覆っていて、感じるぬくもりが益々陽子を惨めな気持ちにさせる。
 「―――視界を覆ったところで現実は消えてはなくならない」
 「・・・・・・主上が見ようとしているのは、本当に現実なのですか?」
 静かな声に陽子はびくりと身を震わせた。その言葉の意味するところを探りあぐねたが、確実に心の奥の深いところに突き刺さった。
 動揺する陽子に男は続ける。
 「今の主上は、彼らの悲しみと嘆きに共感しているだけではないのですか。彼らの不満と怒りを勝手に想像しているだけではないのですか。今、主上の内に満ちている感情は本当に現実に起因したものなのですか?」
 陽子は唇をかみしめる。言い返す言葉が見つからない。
 「主上は、慶の王です。王として現実と向き合わなければなりません。王として現実を捉えねばなりません。王として現実を判断しなければなりません」
 囁く声は容赦なかった。どこまでも静かで穏やかではあったけれども、手厳しかった。その声に、陽子は男が自分の視界を覆ったその行為の真意に気づく。非常な現実を覆い隠し自分から少しでも悲しみを遠ざけようとしているのだと思っていた陽子は己の浅慮を恥じた。
 「善政を行っていさえすれば悲しみのすべてが消えてなくなるなどと思ってはいけません。治世が伸びればあらゆる禍が無くなるなどと思ってはいけません。自分が男であればこんなことは起きなかったのにと考えるのであれば、それは愚の骨頂に他なりません。慶の王は貴女であり、他の誰でもないのです。そしてそんな貴女に慶はこの百年を支えられてきたのです。失敗を反省することは大切です。貴女を非難する人の言葉に耳を傾けることも時には必要でしょう。しかし、貴女を戴いたことを誇りに思う民がいることも忘れてほしくはありません。そしてそれ以上に、貴女がひとりだとは絶対に思ってほしくはありません。貴女を支えるべく側にいる者たちの存在を忘れてほしくはありません。我々は使命と誇りを持って貴女さまをお支え申し上げているのです。それなのに、自責の念に溺れてすべてが自分だけのせいなのだと思われるのは、我々にとって屈辱的です。―――そしてそれ以上に、悲しく思います」
 浩瀚…。と陽子は心の中で男の名を呟きつつ、彼の心中をおもんぱかる。そうして初めて彼の心痛に思い至った。
 ―――すまない。
 謝罪の言葉は場違いにも思えて陽子は言葉を飲み込んだが、そんなことさえ浩瀚はわかっているんだろうと思った。

 
     
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