「浩瀚。お前は王と麒麟の契約をどう思う?」
突然の少女の言葉に、浩瀚は思わず動きを止めた。またたいて視線を向ければ、思いの外真剣な表情がそこにある。
どうやら、政務をしながらまた余計なことが脳裏をよぎってしまったらしい。いや、余計なこととは不敬が過ぎるか。きっと書面に書かれてあったことの何かがきっかけになって、思考がそれていったのだろう。
「……それは、ずいぶんと難しい質問ですね。主上がおっしゃる『王と麒麟の契約』とは、具体的にどのようなことを指しておられるのでしょうか」
「もちろん、最初のやつだよ。麒麟が『御前を離れず、詔命にそむかず―――』とか言って、王が『許す』と答えるやつ」
「麒麟は天命を持って王を選び、王を選べば王の臣です。ですから、そのような契約は当然のことかと」
浩瀚が答えれば、少女がはっとしたように動きを止め「ああ、そうか」と小さく呟いた。
「そういうことじゃないんだ。なんて言うかなぁ。王と麒麟が交わすこの言葉はさ、一国の王を据える大切な契約だろう?」
「そうですね。非情に神聖なものかと」
「いや、神聖かどうかはさておき。麒麟が誓約の言葉を述べて、王が許すという。それだけで完了してしまう契約をどう思うかって聞いているんだ」
「それだけ」の部分に妙に感情がこもっていることに引っかかりつつも浩瀚は首をかしげる。そもそも、彼女のいう王と麒麟の契約について考えたことなどない、というのが正直なところだ。麒麟が王を選ぶ。それはこちらでは当たり前の理であり、王と麒麟の契約は王が神として生まれ変わる通過儀礼だ。それをどう思うかといわれても、例えばそれは「人が呼吸することをどう思うか」と聞かれる感覚に近い。
要は、聞かれても困る。
「………申し訳ありませんが、おっしゃりたいことが良くわかりません」
そう答えれば
「だ〜か〜ら〜」
と、少女はどこかもどかしそうに口を尖らせた。
「つまりさ、王に選ばれようとしている人間がどんな人間かなんて確認もなく、また王になろうとしている人間に王とはこういうものだという覚悟がなくても、麒麟が誓約の言葉を述べ、それに対して許すといえば契約が完了してしまうんだよ。一国の王を据える大事な大事な契約のはずなのにさ。簡単すぎると思わないか」
少女の想像もしなかった言葉に、浩瀚は思わず固まった。目をしばたたかせ少女を見つめ、言われた言葉を反芻し、ゆるゆると動き出した思考の中で、それでも出てきたのは実に簡素な疑問だけだった。
「簡単―――――――――――ですか?」
「簡単だろう?」
「簡単……ですかね」
怜悧な冢宰と謳われ、機知に富んでいること他に追随を許さずと自負している男が、阿呆みたいに同じことを繰り返す。
「だって、私は景麒に『許すとおっしゃい』と半ば脅されて言われたから『許す』といっただけで、あれが王になる契約だったなんて知らなかったんだよ。それでも契約は有効だ。でもさあ、これは蓬莱でいうなら情報提供義務違反で契約解除の対象だぞ。まあ、麒麟に情報提供の義務などないといわれてしまえば終わりだけど、こっちはさ、知らずに契約したって天網によっていろいろ制約される身になるんだからさ、たまったもんじゃない。誤解が無いように言っとくけど、別にいま王様業をしているのが不満なんじゃないからな。これはまた別に、色々悩んだ末に自分でやるって決めたことだから。だけどさ、やっぱり最初にもう少し説明があっても良かったんじゃないかって、どうしたって思っちゃうんだよね」
「・・・・・・・・・・・・・・・はぁ」
一気に吐き出された少女の言葉に、浩瀚はただ一言そう呟いた。
「―――麒麟はきちんと契約内容を説明すべしって法、作れないんだろうか」
どこか遠くを見つめつつぽつりと吐かれたその一言を、浩瀚は賢明にも聞かなかったことにした。
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