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 「采王 」
 
     
 

 「延王は、先の采王をご存じですか?」
 「出し抜けにどうした?」
 榻にゆったりとくつろぎ、昼間っから酒をたしなんでいた男は、唐突なその質問に不思議そうな顔を陽子に向けた。
 「実は、鈴が長らく才国で暮らしていたので少し才国に興味を持ちまして。それで遠甫より才国の歴史について学んでいたのですが・・・・・・」
 そう言って一度口をつぐんだのは、その先の言葉を探すためだろう。だがそれだけで男は大体のことを理解した。
 王が他国の歴史を学ぶ時、重視するのはやはり王朝の起こりと滅亡の課程だ。大王朝になった国と短命に終わった国の違いは何かと考え、自身の参考になることがないかと思う時、どうしたって気になるのがその二つのことだからだ。
 陽子が最初からそれを気にして才の歴史を太師に尋ねたのか、そこまではわからないが、才の歴史を学び、そしてその結果、当然のことながら疑問を持ったのだろう。
 なぜ先の采王は天命を失ったのか―――と。
 傑物と評され周囲の期待通りに登極した飄風の王。どこか泰王と似たところのある采王を陽子が気にかけたのも当然かもしれぬと思いつつ、尚隆はゆっくりと身を起こした。
 「面識はない。ないが・・・」
 いえば興味深そうに身を乗り出してくる姿にわずかに苦笑して、尚隆はあごに手をやりつつ埋もれていた記憶を掘り起こす。
 「大体のことは知っている。といっても、外からうかがい知れる程度のことだがな」
 それでかまいません、と頷いて、陽子は質問を進めた。
 「それでお聞きしたいのですが、先の采王は飄風の王だったとか」
 「ああ、そうだ。そして御多分に洩れず登極前の先の采王も、傑物と評された御仁だったようだ。俺の聞いた話では、随分と将来を嘱望された前途洋々たる若者だったが、すでに傾き始めていた当時の国政には与せず、同志を集めて扶王末期の治世を糾弾。高斗と名乗る集団を率いていたとか。扶王倒れし後も仲間を良くまとめて荒廃と闘い、民の信頼も高かったようだな。登極直後に才へいったことがあるが、まあ、民の期待の高さには正直驚いたものだ」
 「まさに、なるべくしてなったという感じですね」
 大まじめな顔で頷く陽子の様子に、尚隆は小さく苦笑した。
 「その点は、泰王と同じだな」
 「・・・・・・でも違う点は、先の采王には国の荒れる明確な理由がないということです」
 「それはどうかな」
 尚隆は腕を組んで改めて陽子を見やった。その言葉に陽子はふと引っかかるように小首をかしげた。
 「それはどういうことです?」
 「俺は数多の王朝が倒れるさまを見てきた。その中には、確かに倒れた理由がさっぱりわからないものもある。もちろんわからないなりに推測は可能だがな。だが、その推測さえ不可能なものもなきにしもあらず、だ。まあ、朝の内情など外から伺っているだけではわからぬことが多い。内情がわからなければ理由がつかめぬのも道理といえば道理だが」
 「つまり延王は、先の采王が倒れた理由は、推測できる範囲内だとおっしゃりたいのですね」
 「あくまでわかるような気がする、という程度だが。俺に言わせれば、当時の才は荒れるべくして荒れたのだ」
 「どうしてです?」
 「王が国の進め方を知らなかったからだ」
 「国の進め方?」
 陽子は口の中で反芻し、そっと眉根を寄せた。
 「・・・・・・それを言うなら私だってわかりません。ならば、私とて遠からず天命を失うと言うことですね」
 やはり、という答えが返ってきて、尚隆は口の端に笑みを乗せた。
 「そう結論を急ぐものじゃないぞ。なぜなら結論とは、そこに至ってみないとわからないのだからな。俺とて別に、最初から五百年も生きながらえると思っていたわけではない」
 「でも、延王は国の進め方とやらをご存じだった」
 「それも自信を持ってそうだとは言えぬがな。だが、一応五百年長らえた実績から言わせてもらうと、国を動かして行くには順序があり、その順序を誤ると国は進まぬということだ」
 例えば・・・、と尚隆は続ける。
 「お前が理想とする国がここにあるとしよう」
 そう言うと尚隆は、杯に残っていた酒を指先につけて卓の上に丸を描く。
 「そしてそこに向かうべく現在いる場所がここ。その間には広大な海が広がる」
 酒の水滴で描かれるその簡素な絵をのぞき込みながら陽子は頷く。
 「お前は慶という船に民を乗せ、官吏という船員達に指示を出しながら理想の国へと皆を導いて行かねばならない。だが、乗っている船は前王からの引き継ぎ品、大体が傷んでぼろぼろだ」
 「―――なるほど」
 「さて、この船を任されたお前はまず何をする?」
 問われて陽子はふと考え込む。やることは山積しているように思うが、その中でも何を優先すべきか。しばし悩んで陽子は口を開く。
 「まずは、進路を示すかな。どこに向かうべきかわからないなら、誰も動きようがない」
 「確かにそのとおりだ」
 尚隆はにやりと笑った。
 「それが、王が道を示す、というやつだ。そして進路が決まれば、次はそこへ向かうために生じる諸問題が浮上してくる」
 「そうですね。船がぼろぼろなら、まずは修理しないといけませんし」
 「その修理をどうやってやるか、どこからやるか、船員達はすぐに言い争いを始めるだろう。実際船を操っている奴らは、自分の担当している場所こそ船の要、最優先すべきと譲らないものだからな」
 「・・・・・・そうでしょうね」
 陽子は、登極当時のことを思い出して苦笑する。道から造るか橋から造るか、朝議でもめて頭を悩ませていたのも今となっては懐かしい思い出だ。
 「そして、これが一番の問題だろうが、先から引き継いだ船員達をどうするか。そのまま使うか、配置を換えるか、新しく連れてくるか。あるいは、罰を与えねばならぬ者はいないか。中には、今まで向かっていた方向と違うとごねる奴も出てくるだろう」
 延王の意味深な視線を受けて陽子は苦笑した。登極してすぐ、諸官に「慶をどこへ導くのだ」と訊かれた。陽子はその応えとして初勅にて伏令を廃したが、それに反発する官は一人や二人ではなかったのだ。
 まあ、それはさておき、と延王は続ける。
 「仮に、船が沈みそうなのをいいことに、船員達が道理にもとる行いをしていたとしよう。例えば、賄賂をよこせば救助船に優先的に乗せてやるといって金をせしめたり、自分たちばかりがたらふく食べて乗客達に食料を分けてやらなかったり。この場合、罪は明らかだ。ゆえに罰しなくてはならないだろう。だが、それが一人二人なら船の運航に支障はないだろうが、それが半数にものぼるなら?同じ技術や能力を持つ者を補充できるというならそれもありだろうがな。高い専門性と技術、さらには経験が必要だというなら、半数も一気に人を入れ替えることなど現実不可能だ。それにな、船員とて言い分があるかもしれない。例えば、無駄な混乱を避けるためにはどうにかして救助の順番を決めておかねばならなかったとか、船を動かせる者が優先的に腹を満たさねば船はたちまち動かなくなってしまったのだ、とかな」
 納得いくようないかぬような話に陽子はしばし頭を悩ませたが、やがてはすべてを飲み込んだようにふうっと力を抜いた。
 「そうかもしれませんね。船を操縦できる者がいなくなれば、船は大海に漂うしかないのですから」
 「それが物事には順序がある、と言ったことだ。まずは許せる許せないではなく、船を動かし進ませることが必要だ。だが先の采王は、情状酌量の余地なく罪は罪として罰し、結果、船は進まなくなった。大海に浮かんでいるしかなくなった船の様子をみれば民は当然不安になる。その状態がいつまでも改善されなければ民の信認を失う。俺に言わせれば、先の采王は船の進ませ方を知らぬばかりに物事の順序を間違えたのだ。そして順序を間違えた船は、やはり進みはしなかった」
 「・・・・・・なるほど」
 陽子は納得したように息をひとつ吐いた。
 「先の采王の不明は、船がどうやって進んでいるかを知らなかったこと。または、知らないことを自覚できなかったということだ。自覚できさえすれば、船を進める知識に長けた者を側に置くことも可能だっただろう。だが、おそらく先の采王は、目的地さえ明確に持っていれば、船はいずれたどり着くと信じていたに違いない。そしてそれは、理想高くして登極した者が往々にして陥りやすいのだ。だから王というのは、自分のいたらぬところをしっかり自覚する必要があるのだと、俺は考えているがな」
 延王のわかりやすい説明に、陽子は感心したように大きく頷く。そんな陽子に延王は、意外なほど真面目な視線をついと向けた。
 「船は風を受ければ驚くほど進む。そして順調に進んでいる間は、船員に任せていればいいのだ。そして嵐の時も、備えていさえすれば大体やり過ごせる。嵐が来た時にどうすべきか、船長がしっかり示しておけばな。だがな、一見穏やかな凪いだ海こそ船を導く者にとっては厳しいのだ。その時に次に風が吹くまで船員や乗客達を我慢させられるか。それが結局は王朝の命数を決めるのだろうと俺は思う」


 
 
     
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