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 「 泰王 」
 
     
 

 「傑物だったんだな・・・・・・」

 李斎の話を一通り聞き終えて正寝を退出した浩瀚は、先日聞いた主の呟きを思い出してくすりと笑った。
 あの呟きに感嘆と羨望がこもっていたのは明白である。往々にして自分を卑下する傾向にある主のことだ。一般に漏れ伝えられる泰王像と自身の内実という本来比べようもないものを同じ天秤にかけて気落ちしたのだろうことは手に取るようにわかったし、あの場で気休めの言葉をかけて叱咤激励することも簡単だった。真実主上が泰王より劣るなどとは一片たりとも思っていない浩瀚だから、そんな言葉をかけることはやぶさかではなかったが、それでも「そのようですね」とだけ呟いてさらりと流したのは、主がそれを望んでいないことを承知していたからだ。
 だがあの時、浩瀚が真実心の中で思っていたこと。それは、
 ―――泰王が傑物なものか。
 という思いだった。
 そもそも傑物だというのなら、わずか半年で朝が崩壊するようなことになりはすまい。
 「謀反があったのだから、泰王のせいではないだろう」と主なら言いそうだが、浩瀚は、それは否、と断言できた。
 謀反は王が呼び寄せるのだ。そして、それを未然に防げるか、あるいは、起きたものをうまく収められるかは王の才覚によるのだ。
 敵が一人もいない王などいない。それはどんなに賢帝と讃えられている人物だとしてもだ。そして王が強者であればあるだけ、敵もより慎重で狡猾な謀略を巡らすものである。よって王は時に愚者を装うだけの器量を必要とされる。そのことで余計な混乱を防げるというのなら、それによって受ける一時的な評価など些細なものに過ぎない。
 その良い例が延王だろう。
 五百年に渡り大国を維持している延王だが、その歴史をひもとけば二十年ばかりはぱっとしない。五百年の内の二十年と後になって見れば些細な年月かもしれないが、当時を生きる者にとって二十年という年月は決して短くはない時間である。だがそれでも、雁の基礎を固めるにはとても重要な意味をなす二十年なのだ。
 そう考えれば、泰王はそういった柔軟性をもちえなかったのだし、だからといって慎重で狡猾な謀略に正面から対処するだけの力も持たなかった。故に王も台輔も朝を追われるという最悪の事態が起きたのは言い訳の仕様もない事実である。
 ただ、それまでは傑物と評することが出来た、と言う者もいるだろう。
 先王の時代の泰王は、王の信任篤い禁軍の左将軍で、軍兵からも領地の民からも慕われ、その名声は他国に鳴り響くほどだ。確かに凡夫ではないだろう。
 だが―――
 「轍囲の盾とは笑わせる」
 浩瀚はさらに苦笑した。
 驍宗を語る時『轍囲の盾』は欠かせない。驍宗の名を押し上げた有名な逸話だが、もし自分が冢宰を務める朝においてこのようなことが行われたのなら、ためらわず左将軍を罰しただろう。
 勅伐を行え、という王の勅命を諌めもせず、あるいは諌めきれもせず、実際に出兵するに至ったのなら、後は王の命に従うのが禁軍将軍の勤めである。それをどちらにも顔向けできるように小手先の知恵でしのいだ驍宗はある意味狡猾で賞賛に値するが、王命を私情を交えずに完遂できぬ将軍など必要ないのだ。
 王朝の末期国が荒れるのは、理不尽な王命に唯々諾々と従う輩が居るからだ。そればかりは従えぬ、という官吏ばかりであるならば国が荒れるいわれがない、などとのたまったどこぞの文人が居たが、それは違うと浩瀚は言えた。
 諫言を呈してももはや王が留まらぬとなれば、あとは王と共に滅びるしかないのが王朝なのだ。そして王をそこまで突き進ませたのは官吏全体の責任であるのに、最終的にすべての責任を負うのは王なのである。
 ゆえに寵を頂く官は、そのことを自覚しつつ勤めに励まねばならぬのに、結果から言えば、驍宗はその覚悟なくして寵ばかりを受け取り、最終的には主を見捨てて己の名声を取った。それが『轍囲の盾』の逸話からみた浩瀚の抱く驍宗の人物像だ。
 ―――驍宗は傑物ではなく、類い希に見る奸臣である。
 だが、突き抜けた傲慢は人を英雄に見せる。
 おそらく驍宗の傲慢さには、本人も周囲も気づいていなかったに違いない。
 そしておそらく唯一それに気がついたのが阿選なのだろう。
 傲慢の固まりである驍宗を極みへと押し上げた天に対して、阿選はなぜと問いたかったに違いない。なぜ驍宗なのか。あの傲慢な男がなぜ玉座に座るのか、と。
 だが、驍宗が王に選ばれた以上、天は驍宗の持つなにかが戴に必要だと思ったのだろう。それは傲慢さそのものだったのかもしれない。だが、全ての事象が天の手のひらの上であるとするならば、傲慢さを許せずに立った阿選の存在もまた天によって仕組まれたことなのだろう。
 この試練を乗り越えろ。そのとき初めて玉座は真に驍宗のものになるといわんばかりに。
 そう、それはまるで、主上が天啓を受け実際に玉座に座るまでの間辛苦をなめたのと同じように。
 ならば、李斎が慶へと助力を求めてやってきたのもまた天の思惑の内。まだ戴は、いや驍宗は、一縷の望みをつなげているということなのだろう。
 だがそんなことより浩瀚が重視するのは、李斎がやってきたのがこの慶であるという事実だ。つまり天は、実際のところ泰王よりも主上を試そうとしているのかもしれない。となれば、慶は戴に対して何も出来ぬと切り捨てるのは下策が過ぎよう。
 ことはより慎重に。どこまでが主上のためになり、どこからが主上のためにならぬのか、見極めることこそ肝要だ。
 「今後事態がどう動くのか、実に興味深い」
 浩瀚は小さく呟いて、口の端にわずかな笑みを浮かべた。

 


(おまけ)

 
 
     
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