赤楽二年、春。遊学中の王が帰還して、金波宮は一気に騒然となった。
と言うのも、もと冢宰靖共、和州州侯呀峰、そしてその和州の止水郷郷長昇紘が捕らえられ、それを命じたのが雁に遊学していたはずの主上の命によるものだというからだ。
靖共派、反靖共派によらず、多くの者がこの一報に驚きを隠せなかったが、特に驚きが深かったのは、瑛州師の三将軍であったろう。
先日、台輔より出兵要請があった。靖共からのそれとない圧力で急な病を理由にそれを拒んだが、その直後に和州に乱ありとの報が金派宮にもたらされた。朝議で「勅伐を」という意見が大多数を占めたが、瑛州師将軍らは病ということになっている。仕方なく靖共は禁軍を出すことにしたようだが、その結果がこれとは。
―――あの時、台輔の要請に素直に従っていれば・・・・・・
いや、呀峰が捕まれば結局一蓮托生。おそらくどんな過程を辿ろうとも、靖共の運命は変わらなかったに違いない。
―――ならば・・・・・・
今は人の心配より己の心配。主上に召し出された将軍らは、いかに己の保身を図るかと思考を巡らせながら内殿へと赴いたのである。
だが、この時まで将軍らは、王を「物慣れぬ小娘よ」と、どこか軽く見ており、色々と詰問を受けるだろう事は覚悟しながらも、口先三寸でいかようにも丸め込めると高をくくっていたのである。しかし―――
王と対面した三将軍らは、まず王のその格好に度肝を抜かれた。王が官服を纏っていたからだ。女のにおいの乏しいまま神籍に入った王は、位袍に身を包むと、女王だ、と言う侮りを寄せ付けぬものがあった。
しかも
「体調が思わしくないところ、呼び出して済まないな」
開口一番王がそう述べて、三人の戸惑いはより一層深まった。詰問を受けることを覚悟し、その言い訳ばかり考えていたのだ。それがまさかねぎらわれるとは。
しかし王は、そんな三人の戸惑いにかまいもせず、気遣わしげな視線を三人に向けた。
「ここまで来られたと言うことはさほど深刻ではないのかもしれないが、体調の方はどうだろうか?」
想定外の質問に、三人は困ったようにそっと顔を見合わせた。完全に出鼻をくじかれて思わず怯む。ようよう返した返答には、将軍の威厳など欠片もなかった。
「―――はあ、おかげさまで、何とか」
「そうか。しかし、病の身とは知らず先日は景麒に王師を動かすよう言ってしまって申し訳ないことをした。こちらでは王の命は随分と重いと聞いていたから、余計な心痛を与えてしまったのではと気にしていたのだ」
「・・・・・・いえ、そのような。お気遣いくださり、かたじけなく存じます。おかげさまで、随分と良くなりました」
「そうか、そう言ってもらうと私も多少は気が軽くなる。病の身を押してでも働けとは、私はとてもいえない。病気を治すのを優先するのは、当たり前のことだと思う」
「―――は、はあ」
「それで、あなたたちの今度のことなのだけれども」
彼らはその言葉にびくりと身を震わせた。
彼らとて馬鹿ではない。王の言葉に、自分たちが無罪放免許されるのではないことを瞬時にして悟ったのだ。だが、この話の流れの中では、用意していたいかな言い訳ももはや通用しないことに彼らは気がついたのである。
「やはり、まずは病気の治療に専念して欲しい。病を抱えて将軍職にあるのはなにかと負担が大きいだろうから」
王は、そこで背後に控えていた男をふり返る。若い男だ。その横には、老年の男も控えていた。
「ところで浩瀚、官職を辞したあとというのは、何か生活保障のようなものはあるのだろうか?給田を受けるとか、年金のようなものが支給されるとか?」
「そうですね」
聞かれて男は、将軍らに一瞥を投げてからさらりと答える。
「給田は、誰もが二十歳の時に受けるものですから、官職を辞したあとに再給田するということは基本的にございません。田畑が欲しければ、官府から金を出して買うということになります。年金については、功績を考慮し、封領を六十歳まで据え置くということもありますし、一定額の給金が界身に振り込まれるようにする場合もございます。要は、主上のお心しだい。官職を辞したあとの面倒はみらぬというのもまたありかと」
「こちらには退職金、という考えはないのですか?」
王は男の言葉にうなずいて、今度は老人の方に視線を向ける。老人は長いあごひげをなでつけながら、うむ、とひとつうなずいた。
「よほどの功績が認められた者には、洞府を与えたり、一定額の賞与を払い続けたりもするものじゃが、やめる時に纏まった金を渡すという習慣はありませんの。そもそも官吏には封領が与えられており、そこから得た給金をいかように使うかはその者の自由。官職を辞したあとのことを考え金を貯めておくのかおらぬのか。それもまた個人の責任の内でありましょうな」
いって老爺は笑う。
「ま、罷免され、国外追放とでもなれば、そんなこつこつ貯めておった金さえ没収じゃ。長らく官位についておれば、私邸を構えそれなりに財をため込んでおる者がほとんど。主上が職を辞したあとのことまで心配するには及びませぬ」
三人の会話を聞きながら、将軍らからはさっと血の気が引いていた。
目の前で交されている会話がやらせなのかどうかは判断しかねるが、病気を理由に辞職すれば罪を問わず私財までは没収しないが、ごねるようなら仙籍を抹消されるだけで済むと思うな、という言外の脅しの声が聞こえてくるようであった。
「お気遣いかたじけなく存じます」
三人は、もはやこれまで、とその場に深く叩頭した。
「しかし、そのお心だけで十分。将軍職にありながら病を抱えるは、己の不徳の致すところ。職を辞し、のちは市井に混じりて慎ましく余生を送りたいと存じます」
「そうか」
王はうなずく。
「慶は貧しいから、あなたたちの生活の面倒を見てやることは出来ないが、重責がなくなりゆっくり過ごせればそれだけで病には良いだろう。あなたたちが健勝であることを心から祈っているよ」
将軍らはうなだれたまま、無言でその場をあとにしたのだった。
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