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 「 浩瀚 vs 祥瓊
 
     
 

 「私へのお疑いは晴れまして?」
 主の執務室を辞去した途端、浩瀚は唐突にそう声をかけられた。
 その声に脇に控える女史を見やれば、どこか挑発するような悠然とした笑顔がそこにあった。
 なるほどこの姿を見れば、見た目こそ主と変わらぬ十六かそこらだが、それよりも長い年月を生きているのだと納得させられる。
 主の初々しさと比べれば、年月を重ねた者だけが持ち得る老獪さがにじみ出ていた。
 「さて、何の話かな」
 ふいに振られた祥瓊の言葉に、浩瀚はあくまでもさらりと返す。祥瓊が何を言わんとしているのか、浩瀚は過たず理解していたが、相手の仕掛けた舞台に早々簡単に上がってやる気はなかった。
 そもそも浩瀚は、祥瓊のみならず王の周辺にいる人物はすべて一旦は疑ってかかり密かに調べ上げていたのだ。ただ、その中でも祥瓊は、より念入りに調べていた人物だといえるだろう。
 なにせ芳国の先の公主が私的に王と面識をもって慶の王宮に招かれるなど出来過ぎだ、とうがってみることなど容易なことであったからだ。
 ひょっとすると間諜かもしれない。
 それは冢宰ならば当然憂慮することであった。
 「さすがは冢宰。軽くいなしてしまわれるのですね」
 「そんなつもりは毛頭ないが、女史には何か私に言いたいことでもあるのかな?」
 「言いたいことなら、先ほど申し上げましてよ」
 祥瓊はあくまでも艶やかに微笑む。それをちらりと見やって、浩瀚もまた笑った。
 「何か勘違いしているのだろうか。そなたは主上の大切なご友人であろう?そのそなたをなぜ私が疑っているなどと。何か根拠でもあるのかな?」
 「女の勘をなめてもらっては困りますわ」
 祥瓊は視線をあげて、まっすぐに浩瀚を見た。
 「私がお茶を入れる時の冢宰のご様子を見ていれば、疑われているのだろうなどということは簡単に想像できることです。しかし、それは陽子を守るためには必要なこと。ゆえに私はそのことで不平不満を申し上げる気は毛頭ございません」
 「では、なにゆえこの話題を出す」
 「今日の様子を見るに、私への関心をなくしたご様子でしたので、お疑いが晴れたのかと。ならば私の言葉も、冢宰に届くかと思いましたので」
 祥瓊の言葉に浩瀚は一瞬返答に窮した。
 この鋭さは天性のものなのか。それとも芳の王宮にて培われたものなのか。とにかく少々予想外であったのは確かだ。
 「で、私に何を言いたいのだ?」
 「―――内宰の目つきが不穏にございます」
 その言葉に浩瀚は思わず口元に笑みを浮かべていた。なるほど女の勘というのは侮れない。
 「ほう、それは看過できぬ進言であるな。ところで、具体的にはどのように不穏なのであろうか」
 「―――」
 浩瀚の問いかけに祥瓊はしばし沈黙した。そして次の瞬間には丁寧に頭を下げていた。浩瀚のその態度に、すでに冢宰がその事実に気づいていることを祥瓊は悟ったのだ。
 「出過ぎたことを申し上げたようです」
 祥瓊が頭を下げるその姿を見て、浩瀚は笑みを深めた。
 彼女はどうやら主上のご友人としてはかなり有益なようだ。
 浩瀚はそう判断を下した。
 「忠告ありがたく受け取ろう。これからも気になることあれば遠慮なく申し出よ」
 そして二人は何事もなかったかのように静かに別れたのだった。


◇     ◇     ◇


 「そう言えば、祥瓊を疑うのはもうやめたんですか?」
 急な話題転換に、浩瀚は思わず桓魋を見た。
 何がどうなったらいきなりその話題になるのか、ということも驚きだったが、桓魋がその事実に気がついていたことが少々意外であったのだ。
 何しろ桓魋は彼女と仲がいい。同じ困難の中で行動を共にしたのだから情が生まれるのはうなずけるし、彼なりの尺度で彼女は信頼に値すると判断を下したことに対してもけちをつけるつもりは毛頭ない。だが、彼女に対して私情を交える可能性がある者を内偵に使うわけにはいかず、ゆえに浩瀚はその仕事を桓魋に任せることはもちろん臭わせることも一切しなかったのだ。
 一体どこで気がついたのだろうか。
 浩瀚がふとそんな疑問を心に浮かべれば、桓魋がおやっという顔をした。
 「何ですか。その意外そうな顔は」
 表情に何らかの感情を載せたつもりのなかった浩瀚は、桓魋のその言葉に思わず顔をしかめた。そんな簡単に内心を読まれては、官吏としての矜恃が許さない。しかしそれさえも読み取ったように、桓魋はにこやかに笑った。
 「まあまあ、俺と侯の仲じゃないですか。心配しなくても侯はわかりにくい男ですよ」
 「―――それは、なぐさめているのか?」
 「まあ、どのように受け取ってもらっても構わないですけどね。で、どうなんです?祥瓊を疑うのはやめたんですか?ああ、どうしてそれを、なんて質問は愚問ですよ。なぜなら俺は侯が疑り深い性格だってことを存じ上げていますからね。何たって、疑り深いゆえに先の主上の勅を受け入れきれず、疑り深いゆえに舒栄を新王とは認めず、疑り深いゆえに―――」
 「・・・・・・わかった。もういい」
 観念したように浩瀚が言えば、桓魋はその先が言えずに残念とばかりに肩をすくめた。
 「―――しかしなぜ、もうやめたのかと思うのだ?」
 そう問えば桓魋はにんまりと笑った。
 「そりゃあ、祥瓊のことを全く見なくなりましたからね。関心がなくなったんだろうってことは簡単に想像がつきます」
 「・・・・・・」
 「ああ、心配しなくても大丈夫ですよ。それは俺が、侯のことをいつも見ているから気づいただけの話ですから」
 「・・・・・・」
 それはそれで微妙だ、と浩瀚は心の中で呟いた。


◇     ◇     ◇


 主の態度に我慢の限界が来て、説教よろしくまくし立ててしまったあと、冢宰府に戻るべく正寝を出ればそこに彼女の姿があった。
 貴人に道を譲る時の所作で彼女は廊下の端に跪礼していたが、面は伏せられていても全神経が自分に向いているのを浩瀚は瞬時に察して思わず苦笑した。
 おそらく文句のひとつでも言ってくるつもりなのだろう。
 たしかに前々から「不穏」な気配を発していた内宰らの今回のこの強行を未然に防げなかったのには言い訳のしようもないし、そのことをかなり前に自分に進言していた彼女にしてみれば、なぜこういうことになるのかと怒りの矛先を向けたくなる気持ちも理解できる。
 ただ、あえてひとつ言い訳をするならば、効率よく不満分子を取り除きたかったのだ。そのためには彼らが事を決行してくれた方が浩瀚にとっては都合良く、ゆえにわざと黙って泳がせていたのである。一歩間違えれば主上の身がどうなっていたかわからない、という事態になってしまったのは確かに計算違いではあったが―――
 そんなことを考えつつも、表には一切出さずに浩瀚はゆったりと廊下を行く。その様は、誰が見てもありふれた日常の一場面であったろう。
 だがすれ違いざま、彼女の発する怒りの気配はさらに増し、浩瀚の肌をぴりぴりと刺激した。相変わらず面は伏せられたまま、跪礼するその姿には寸部の乱れもなかったが、怒髪天をつかんばかりだな、と浩瀚が思わず思ってしまったほどである。
 しかしそれでも彼女は、何も言いはしなかった。
 ―――黙するゆえにより多くを語る、か。
 冢宰府に戻ってきたところで、浩瀚ははっきりと苦笑を露わにしたのだった。

 
 
     
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