| TOP | 小説 | イラスト | 雑記 | リンク | 拍手

 
   
 「 有司議
 
     
 

 「天の許す限度の中で、戴に何をしてやれるだろうか。至急調べて奏上せよ」
 王のその一言を受けて、関わりある官吏が早急に集められた。


◇     ◇     ◇


 室内に淡々とした声が響いていた。
 朝堂の脇にあるこじんまりとした部屋である。そこに今、七人の男が顔を突き合わせて集っていた。皆に事のあらましを説明しているのが冢宰の浩瀚。その右脇に太師をはじめとした三公、それに対座する形で秋官長大司冦と夏官長大司馬と禁軍左将軍が座していた。皆の表情はそれぞれだが、一様にかすかな緊張の色を浮かべているのは、こういった場が開かれるのは何かあった時だと相場が決まっているからだった。
 部屋には夏に独特のとろりとした暑気が淀んでいた。窓を開け放ってしまえば幾分かは暑さがしのげるのかもしれなかったが、会話が外に漏れるのを憚って今はすべて固く閉ざされている。そんな中で淡々と説明する男はこの暑さを感じないのか、汗ひとつ浮かべぬ涼しげな顔で集まった面々を見回した。
 「であるから諸兄らには、主上のご意向に応えるべく知恵を絞ってもらいたい」
 浩瀚がひと通りの説明を終えれば、集まった面々はそれぞれに複雑な表情を浮かべて互いの顔を見合わせた。
 神妙な顔で頷く者もいるが、中には複雑な表情を浮かべて口元を固く引き結ぶ者もいる。そもそも李斎の存在そのものを疎ましく思っている者がいるのも事実で、王命とはいえ納得しがたい感情がくすぶっている者もいるようだった。特に大司冦の顔にはそんな複雑な心境が如実に表れていて、彼は小さく息をついて視線を上げた。
 「そもそもなぜ主上はその李斎なる者を手厚く保護なさるのでしょう。瑞州師の中将軍だといっているようですが、確たる証はあるのですか冢宰?」
 彼の質問をうけて、浩瀚は迷いなく首を横に振った。
 「結論からいえば、ない」
 その返答に、大司冦はあきらかに眉をひそめた。だが、そんな反応を意にも介さず、浩瀚は淡々とした口調で言葉を付け加える。
 「ただ、いくらか集めた情報によれば、確かに瑞州師には劉李斎なる将軍がいたようだし、彼女の話はかなり詳細で齟齬がない。集めた情報との食い違いもないので、彼女が虚偽を申し立てているとは考えられない」
 であるから、その点については議論するだけ無駄だ。そう言わんばかりの様子を読み取って、大司冦は眉をひそめながらも話を進めた。
 「ではとりあえず彼女が戴国の将軍であるとして、それで彼女の来訪はどのように受け止めればいいのでしょう。まず間違っても公の訪問ではない。親書を携えているわけでもないので、私的な勅使ということでもない」
 「他国の将軍が個人的に主上を訪ねてきた。それ以上でもそれ以下でもない」
 「面識があるわけでもないのに?」
 話にならぬ、といわんばかりに大司冦は頭を振った。
 「そのような者を保護し、あまつさえ嘆願を聞き入れる義理が我が国にありましょうか。そもそも新王が登極したばかりのこの国に、他国に裂く余剰などあろうはずがありません。このような会を開く前に、冢宰はよくよく主上を納得させるのが先ではありませんか?如何にこちらの事情がわからぬ胎果とはいえ、しっかりご説明申し上げれば主上も我が国の事情をご理解いたしましょう」
 「主上は、この国の事情についてはよくよくご理解しておられる。その上での仰せと心得よ」
 「しかしないものはない。できないことはできない。冢宰もそれはよくわかっているのではないのですか?」
 「結果として我が国としては打つ手がない、と申し上げるのも一つの手。しかし、あるものさえあればこういう手もある、という方策の一つも示さねば我々の無能さを晒すだけのこと。主上に我々が如何に無能か、ご報告申し上げても良いというならこの会はこれで閉じるが?」
 いかがか大司冦?とあくまで淡々とした口調で浩瀚が問えば、彼は憤然とした表情で押し黙った。この話し合いに消極的そうだった他の面々も探るような顔つきで互いの顔を見やった。
 「―――それにしても」
 しばしの沈黙ののち大司馬が口を開く。
 「何ゆえかの者は慶に参ったのか。つまりその、助力を求める相手に慶を選んだのか、ということだ。戴から一番近い国といえば柳か雁。わざわざ国交ない慶を選んだ理由がわからぬ」
 大司馬のその問いに、浩瀚はひとつ頷いた。
 「それについては主上も不思議にお思いであった。ただ、台輔と泰台輔は個人的に誼があり、台輔は二度戴を訪れていらっしゃる。話を聞けば劉将軍と泰台輔は大変親しい間柄だったようだ。もしかしたらそのつてを頼ったのかもしれない」
 「―――その説明だけでは納得いたしかねます」
 不服の色もあらわに大司冦がぼそりと呟けば、それに太保が同調した。
 「まことにその通り。いくら台輔とのつてを頼ったとはいえ、王が立ったばかりの慶にどれほどのことができるか。考えてみればすぐわかること。それよりも大国雁に頼った方が現実的であるはずです」
 「いやいや、他国に助力を求めたのが彼女だけとは限りませぬぞ」
 一気にざわついた会場で、皆の疑問に答えるように、太傳が口をはさんだ。
 「何人かで分担をし、慶に行くことになったのが彼女ということなのかもしれませぬ。そして彼女だけが他国の王宮にたどり着いた。そういう事実があったとしてもおかしくはありませんぞ」
 「確かにのぉ」
 うむ、とひとつ頷いて太師遠甫は髭を撫でる。
 「戴国は今妖魔が跋扈し、国を抜けるのは非常に困難だと聞く。仙の身であっても虚海を越えるのは一筋縄ではいかぬじゃろうて。李斎も片腕を失くしておったのぉ」
 「確かにその可能性はありますな」
 うむと頷く大司馬を一瞥し、大司冦は不満そうな顔をして呟く。
 「しかし自国のことを他国にどうにかしてもらおうなど、不遜すぎやしませんか」
 「それを言ったらわが慶も立つ瀬がない。主上が雁の助力を受けて偽王を討伐したことは大司冦とて存じているだろう」
 浩瀚が言えば、彼の口元は不満げに歪んだ。その横、大司馬が再び頷く。
 「ひょっとしたらそれでかの者は慶を選んだのかもしれませんな。他国の助力を受けて即位した王なら戴のことも他人事とは思わず手を差し伸べてくれるかもしれぬと」
 「しかし、王と将軍では全く話が違う。雁の先例から考えるなら、他国の王になら王師を貸すこともできるでしょう。しかし将軍に王師を貸すことはできない。そんなことをすれば主上が覿面の罪に問われます」
 「確かに太綱で他国に軍兵を向かわせることはできないでしょう」
 太保の言葉を受けて、禁軍左将軍桓魋がやんわりと口を開いた。
 「けれども実際は色々な理由で武官も他国へ行きます。私も実際勅使として芳を訪ねました。形だけみるならば兵が国境を越えたことになります。しかし天の罰は下りてはいません」
 「当たり前ではないか。勅使は軍兵ではない。それを言えば武官はいかなる理由においても国境を越えられないことになる。王が他国を訪問する時護衛をつけることも叶わないということになるではないか」
 「いえ、ですから、何か天のお目こぼしがある理由をつければ武官とて国境を越えられるということですよね」
 「確かに将軍の言う通りです。何か理由があれば武官とて国境を越えられる。ここに主上のお心に添う解決策があるような気がします」
 「では、一軍丸ごと勅使ということにでもしますか?それを天が勅使と認めてくれるとは到底思えませんが」
 「いえ、一軍動かすのはさすがに無理だと、すでに主上に直接申し上げたんですがね」
 大司冦のぶっきらぼうな物言いに苦笑しながら桓魋は続けた。
 「そもそも慶には兵を出せるほどの余裕がありません。他国に兵をやるのは到底無理です。ただ空行師が一卒あれば泰王泰台輔の捜索はできるのではないかと」
 「空行師一卒か……」
 左将軍の提案に、大司馬が考え込むように呟いた。
 「しかし、一卒丸ごと勅使というのも無理がある話」
 「天のお目こぼしがあるとするなら、王の護衛という形でしょうか」
 大司馬の呟きに同調するように太傳が頷けば、憤慨したように大司冦が叫んだ。
 「まさか!妖魔の跋扈する荒れた国に主上を向かわせるというのですか?太師が先ほど仙の身であっても虚海を越えるのは一筋縄ではいかないとおっしゃったばかりではないですか」
 大司冦の怒声に、その場の空気がびりっと震えた。
 しかしここに集う者たちは、そんな空気をものともしない猛者ばかり。
 「雲海の上なら妖魔は出ない」
 不機嫌に顔をゆがめる大司冦の隣で大司馬がさらりと告げた。その言葉に大司冦の柳眉が益々跳ね上がった。
 「しかしそれでどこに降りるのです?まさか謀反者の支配している白圭宮に直接乗り込むわけにはいきますまい。かといって主上が他国の州城を訪ねるというのも無理のある話。そもそも連絡のつけようがない。何の取り決めもなく王が兵卒を率いて他国に侵入すればそれは侵略とみなされるでしょう」
 「しかし私が芳を訪れた時は、あくまで私的な事ということで、事前の取り決めは何もありませんでした。その例に倣うなら、王の親書を携えていれば天のお目こぼしがあるのかもしれません」
 「なるほど王の親書か」
 左将軍の言葉に太傳が得心顔に頷いた。
 「それなら直接主上が荒れた地に行くこともない」
 「しかし勅使一行が空行師一卒というのは……」
 「それに、勅使として訪れるまではひょっとすると天のお目こぼしもあるのかもしれませんが、その後泰王泰台輔の行方を捜すなどという行動が果たして天に許されるものでしょうか」
 「その国の王の許しなく勝手に動くことは、侵略とみなされるかもしれぬ」
 「その王を捜しているのだ。侵略とみなされるとは思えぬが」
 「遵帝の故事をご存じでしょう?民を助けるためでも天は許しませんでした。ということは、王を捜すためでも天は許さないかもしれません」
 「―――要はやってみないとわからぬということじゃな」
 「そんな危ない橋を渡れますか。定かではないことはできません。他国のために慶が沈むことだけはあってはなりません」
 「確かに大司冦の言う通り」
 「ということは、いかなる形でも戴に人を遣ることは無理ということになるな」
 「主上の例から考えれば、戴に人を遣るためには泰王が慶にいることが大前提。しかし、その泰王の行方が知れない。すべての問題はここにあるのだと思う」
 皆の意見をまとめるように浩瀚が口を開いた。
 「戴に人を遣らずに泰王を捜す方法などあるだろうか」
 「難しいだろうのぉ。李斎の話では、散々捜し回ったがその消息すらつかめぬということだ」
 「六年もの間消息すらつかめないとなると、泰王は戴にいないのでは?」
 「しかしそれなら六年もの間身を潜めている理由がわからぬ。泰王は武断のお方だし、延王とも誼がおありだと聞く。内乱を鎮めるため何らかの動きを見せていてもおかしくはない」
 「確かに泰王がすでに戴を出ており、他国に助力を求めるとすれば雁のほかあるまい。ただ雁も泰王の行方は掴んではおらぬのだろう?」
 言って遠甫は浩瀚を見る。浩瀚は頷いた。
 「延王のお話では、雁でも泰王泰台輔の行方はつかめてはいないようです」
 「泰王がすでに国外に出ているなら、六年もの間ただじっとしている理由がわからぬ。ということは、泰王はまだ戴におり、何らかの事情により身動きがままならない状態にあると考えるのが自然」
 「然り。知古のもとに身を寄せているとしても、それで良しとする御仁ではあるまい」
 「ということは、泰王は捕われておいでか」
 「あるいは、静かに機を伺って潜伏しておるか」
 「どちらにしろ、泰王が戴にいるのならば、戴に人を遣らずに泰王を捜すことは不可能であり、戴に人を遣ることは天の摂理に抵触する可能性があり、よって捜索は不可能ということになりますな」
 大司馬が纏めるようにそう言えば、その場には誰ともなく安堵したような溜息が洩れた。これで意見がまとまれば、話し合いの結果我が国としては打つべき手がないということですべてが済む。自分たちの面目も立ち、余計なことに首を突っ込むこともない。
 だが、話し合いは当然のことながらこれで済むはずがなかった。


 「ところで、泰台輔はどちらにおいでなのでしょう」
 新たな疑問を口にしたのは桓魋だった。
 「麒麟には王の居場所がわかるのでしょう?泰台輔の行方さえわかれば、自ずと泰王の居場所はわかるのではないですか?」
 「確かにその通りだ」
 大司馬が頷く。
 「泰台輔はどちらにおいでなのだろうか」
 「泰王と一緒に捕らわれておいでなのでは?」
 「それはどうだろうか」
 答えたのは浩瀚だった。
 「李斎の言によると、泰王の身に変事があった際、王宮内でも変事があったという。なんでも蝕が起きたとか」
 「蝕?雲海上の王宮でか?」
 雲海上で蝕は起きない。その常識を知る面々がいずれも驚いたように浩瀚を見やった。
 「ええ。それで王宮内が混乱し、泰王変事の非常事態に冷静に対応することが叶わなかったとか」 
 「虚言にきまっている!雲上で蝕が起きるなど聞いたこともない」
 それ見たことか。これで今までの李斎の言もどこまで信用なるものか。そう言わんばかりに喜色ばった大司冦の前で、太師遠甫が 
 「鳴蝕じゃな」
 と呟いた。その呟きに、さすがは太師よくご存じでいらっしゃる、と浩瀚は感服する。
 「台輔にお聞きしたところ、そう言うのだそうですね。雲上では普通蝕は起きない。しかしひとつだけ例外があると。それが、麒麟が起こす蝕だとか。麒麟は自ら小さな蝕を起こし、あちらとこちらを自由に行き来できる。しかしいくら小さいとはいえ、蝕は蝕。周りがまったく無害で済むことなどない。だから、麒麟が蝕を起こす場合は、月の力を借りてなるべく小さな力で済むようにし、しかも虚海上などなるべく人に被害が及ばない場所を選んで蝕を起こすようにしているとか。少なくとも台輔は、主上をあちらにお迎えに上がった際はそういった配慮をなさったと聞きました。しかし、鳴蝕とはそういった配慮など何もなく、麒麟が自らの自衛のためにとっさに起こす蝕であり、麒麟の悲鳴が招く蝕だと申すとか」
 「つまりは、泰台輔の身に何かあり、身の危険を感じた泰台輔が思わず鳴蝕を起こしてしまった。ゆえに雲海上の王宮で蝕が起き、その蝕によって王宮内が混乱したというわけじゃな」
 「得た情報をつなぎ合わせると、そういうことになるかと」
 「では、泰台輔は蝕を起こしてどこかへ姿を消してしまわれたんですね。泰台輔は一体どこへ行ってしまわれたんでしょう」
 「蝕とは普通、あちらとこちらをつなぐもの。蝕が起きて姿が消えたのなら、あちらに渡ったのだと考えるのが妥当では?」
 「延台輔もそのように仰せでした」
 「ということは蓬莱に?」
 「泰台輔は蓬莱のお生まれ。その可能性は高いかと」
 「しかし、それなら時期を見てこちらに戻って来てもよさそうなもの。もう六年もたっているのだぞ」
 「―――確かに」
 「戻れぬ理由があるのかもしれませぬな」
 「例えばどのような?」
 「麒麟のことはわかりませぬが、鳴蝕で力を使いすぎて戻るための力がなかなか回復せぬとか」
 「あるいは、向こうで何者かに捕えられている可能性だってある」
 「蓬莱のお生まれならあちらに家族がおありだろう。その家族との別れを惜しまれているのかもしれない」
 「しかし麒麟が自ら望んで主のそばを六年も離れているだろうか」
 「戻るに値せず、と判断した可能性だってありえます」
 大司冦が皮肉の色を隠しもせずに言い放つと、どちらかといえばこの話し合いに消極的だった太保もさすがに顔をしかめた。
 「大司冦は、ちと言葉を選んだほうがよろしい」
 だがその軽い叱責を大司冦は鼻先で笑い飛ばした。
 「他国の王に気を使う必要などありましょうか。しかも、たった半年で朝を崩壊させたような無能な王に。主上は現在の戴国の状況をお知りになって同情を覚えられたのかもしれませんが、現在の戴の状況は言ってしまえば無能な王を戴いてしまったが故に起きた不幸。このまま天命が尽きるのを待ち、新たな王を戴いた方が長い目で見れば戴国のためになるのではないですか」
 「―――確かに大司冦の言には一理あるかもしれぬ」
 「李斎なる者の訴えが、戴の民の言葉を代表しているとは限りません。ひょっとすると戴の民の多くは、新たな王の御代を願っているかもしれません。となると、下手に泰王泰台輔の捜索に手を貸せば、あらぬ所から恨みを買うことになるかもしれませんよ」
 会場に再び消極的な空気が流れ始めた。誰となく顔を見合わせる。そもそも誰もができることなら余計なことに首を突っ込みたくはないと思っているのが本音であるから、さらに不利益を被る恐れがあるというなら益々もって主上を押しとどめるべきではないかという雰囲気が出てくるのも無理ないことであった。
 「大司冦の心配もわからないではない」
 場の空気を察したように、浩瀚はゆっくりと口を開いた。
 「しかし主上の今回のご下命は、なにも劉将軍の訴えに同情されてということだけではない、と私は感じている」
 皆の視線が浩瀚に集中した。それは一体どういう意味か。皆の視線は暗黙のうちにそう問うていた。
 「主上は、正当なる王が玉座にいないということが如何に民に不遇をもたらすか身をもってご存じでいらっしゃる。そもそも主上はそれゆえに、玉座に就くことをご覚悟なされたのだ。王の姿が玉座にあるだけで天の理が整い災異が減る。それだけでも玉座に就く意味があると」
 浩瀚は一同を見回した。
 「間違っても主上は、慶の民をおろそかにしてまで戴の民に慈悲をかけてやろうと思っていらっしゃるわけではない。だが、主上のご性格を考えれば、正当な王がいないことで不遇被る民を他人事だとは思えないであろう。大司冦の言うとおり、戴の状況は放っておけばそのうち何もかもが一新されるだろう。だが、それにはどれほどの時間がかかるだろうか。このままではいずれ泰王は天命を失うとはいえ、王が身まかっても麒麟は残る。しかしその麒麟は行方知れず。そんな状況で果たして新王は選ばれるのだろうか。民はいつまで我慢すればよいのだろうか」
 浩瀚はわずかに視線を伏せた。
 「そんな戴の民の苦しみを救う一番の方法は、泰王泰台輔の行方を捜し玉座を埋めてもらうこと。それも本来なら戴の民自らがすべきことではあるが、戴国内の状況を聞くに非常に難しい状況にあることは確か。どうしても誰かの手助けが必要だというのなら、自分にできることはないだろうかと考えるのが我らが主上だ。そしてその主上のお気持ちの根底には、現在の戴の状況がもし慶だったら、というのがあるように思う。もし慶が戴のような状況に陥り、自分たちの力だけではどうすることもできないならば、だれか慶の民を救ってほしい。わずかなりとも希望の灯をともしてほしいと」
 つまり、と浩瀚は言う。
 「今回の主上のご下命の根底には、慶の民に対する慈愛があるのだと私は思う」
 場は一瞬しんと静まり返った。
 誰とはなしに息をつく。大司冦が何か言いかけるように口を開いたが、そのまま複雑に顔をしかめただけで言葉を発することはなかった。
 奇麗事を、といいたそうな表情ではあった。だが同時に、主の気持ちに沿うことが官吏たるものの命題でもあるという己の領分をわきまえた故の沈黙のようであった。
 官吏は時に己の考えを強く主張する必要がある。しかし、王の気持ちをすべて無視して自分たちの考えを押し付けることはできない。長らくそんな事を続けてきた慶がどうであったが、身をもって知っている面々だけに均衡が失われるのを無意識のうちに恐れてもいた。
 「我々は主上のお心に沿って政を行っていかなければならない。その中で生じる心配事に対しては、いかに排除していけるかが我々臣の力の見せ所ではないだろうか」
 「・・・冢宰の言う通りだ」
 太保が大きくうなずいた。
 「主上が我々に知恵を絞れとおっしゃるなら、我々は叡智の限りを尽くして知恵を絞らねばなるまい。主上は慈悲深いお方ではあるが、甘いお方ではない。我々を無能だと判断なされればすぐさまお払い箱になさるだろう」
 「しかし主上はまだお若い。英断と無謀が紙一重で、私の玻璃の心臓はいくつあっても足りそうにありません」
 「鳳雛にとって英断と無謀は常に渾然一体としてあるものじゃ。幸せな苦悩と思うことじゃな」
 遠甫が朗らかに笑う。その笑い声につられるように幾人かの表情が緩んだ。場の空気が幾分か和む。仕切り直すように太保が口火を切った。
 「戴に対して何かできることがあるとするなら、泰台輔の行方を捜すことだろう。泰台輔の行方さえわかれば、自ずと泰王の行方も知れよう」
 「然り。しかしそうなると、泰台輔が今どこにいて、どのような状況にあるのか、ある程度の予測がつかなければ動きようがございませんな」
 「蓬莱にいるかもしれない、というのはどのくらい確かなことなのでしょうか」
 「正直に言えば、可能性のひとつであって確かなことは何もない。仮にこちらにいないとしても、蓬莱なのか崑崙なのか見当もつかない」
 誰ともなくため息をつく。しばし沈黙が流れて、大司馬が口を開いた。
 「ともかく、蓬莱か、あるいは崑崙にいる可能性のある台輔を捜すことには、天の摂理に触れることはない。ただ、どうやって捜すかというと―――」
 「あちらに渡れる者といえば、神籍または伯位以上の仙籍を持つ者に限られる。つまりここにいる者で言えば左将軍以外は可能ということになるが……」
 「我々があちらにわたって顔も知らぬ泰台輔を捜すと?」
 太傳の言葉に、場は一気に騒然となった。それも無理もない。自分が実際に動かねばならないかもしれないとなると話はまた別だ。話にしか知らぬ蓬莱とは一体どんな場所なのか。どのくらいの広さで、どのくらいの人が住んでいて、どのような生活の営みが行われているのか。仮に自分たちが実際に渡って泰台輔を捜すとして、見つけられる可能性はあるのか。次々に噴き出す疑問には、陽子より聞いた話をもとに遠甫が丹念に説明した。
 「いや、蓬莱がそのような所とは……」
 「識字率がほぼ100%とは、本当だろうか」
 「それよりも、民が一億もいるとは。その中から泰台輔を見つけるなど不可能では」
 会場がざわめく。その中でひとり顔をしかめていた大司冦が我慢の限界といわんばかりに卓をたたいた。
 ばん!という大きな音に、皆が驚いたように一斉に大司冦に注目した。
 「蓬莱がどういう所であるかという以前に、そもそも我々にその様な時間を割く余裕がありましょうか。この会に出席するだけでも、負担を感じているのですよ。きっと今頃私の書卓の上には山のような書類が積み上がっていることでしょう。そんな状況の中で、泰台輔を捜しに蓬莱に行くですって?冗談もほどほどにしていただきたい」
 「―――確かに大司冦の申す通りだ。我々が実際に泰台輔を捜しに行くとなると、慶の国政が滞る。それは慶の民をおろそかにすることと同じ。主上とて本意ではあるまい」
 皆の意見を受けて浩瀚は頷いた。
 「泰台輔を捜すこと自体に問題はないとはいえ、捜す方法となると簡単にはいかぬ。そして我々には、その捜すための具体的な方法の提案までは考えが及ばないということで、主上にご報告申し上げるとしよう。ではこれでこの会を閉じる。長時間御苦労であった」
 気づけば会議は深夜を回り、すでに夜が明けようとしていた。

 
 
     
inserted by FC2 system