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 「 景王 」
 
     
 

 慶と巧の国境近くの虚海で大きな蝕が起きた。その報は、数日の内には尚隆のもとへ届けられた。
 「岸からはだいぶ離れた場所だったということですが、それでも沿岸の廬がいくつか被害にあったようです。岬がえぐられて地形が少々変わったとの報告もあります」
 淡々と述べる朱衡の顔を一瞥してから、尚隆は顎に手をあてた。
 蝕はそもそも甚大な被害をもたらす。しかし、今回の蝕は虚海上で起こったことを考えても被害が大きい。常より大きな害をもたらす蝕といえば、心当たりはひとつしかなかった。
 「王渡りの蝕だな」
 慶の麒麟が雁を訪ねてきたのは去年の秋口だ。それより数か月前に王を失っていた麒麟は、自身の病と王を失った喪失感から数カ月は床に伏せったままだったが、病床にあっても新たな王気を感じ始めていたという。
 麒麟の性として、日々気配の強くなる王気を無視はできなかった。身体はまだ回復したとは言えなかったが、王気に引き寄せられるように麒麟は東へ東へと向かった。しかし、東の端にたどり着いても王気まださらに東からする。
 「新王は、どうやら蓬莱にいらっしゃる」
 これから王を迎えに蓬莱に行こうと思うが、なにぶん初めてのことゆえ、蓬莱とはいかなる所か教えては頂けまいか。慶の麒麟は、来訪の理由をそう述べた。
 あれから約五カ月。随分と時がかかったものだ。
 それに、と尚隆はわずかに虚空をにらむ。
 蝕が起きた場所が慶との国境付近とはいえ、なぜ巧側なのか。王を渡せば大きな蝕が起きるという事前情報を得ていたはずの景麒はなぜ、もっと虚海の沖の遠く陸地から離れた所で呉剛の門を開かなかったのか。
 しかし、何はともあれ景王が現れた。これで事態は変わるはずだ、と尚隆は思った。
 景麒が新王を蓬山へ連れて行き、玄武にて金波宮へ乗り込めば誰も真偽を疑うはずがない。
 あとは新王の下、禁軍を動かして偽王軍を討てばよい。舒栄の呼びかけよって集まった志願兵らも新王が現れたと知れば舒栄は偽王と悟って離れていくだろう。
 だが、肝心の鳳は、なかなか景王即位を鳴きはしなかった。
 


 「まったく、どうなっておるのだ」
 解せないことの多さに、尚隆はわずかに苛立ちを見せながら、玄英宮の執務室の椅子にどかりと腰をおろした。
 鳳は鳴かない。景王と景麒は行方不明。偽王軍は膨らみ、慶はますます混迷を深める。慶から流れてくる荒民は、減るどころか増える一方だ。
 「一体慶の新王は、どこをほっつき歩いておるのだ」
 初めの内は、身元がばれぬうちに慶の内情を調べているのかとも思った。しかし、それにしてもここまで時を掛ける必要があるとは思えない。偽王軍によってすでに三州が落とされている。これ以上放置すれば国は益々荒れ、立て直すのが厳しくなる。
 「まさか尻込みしたのではなかろうな」
 尚隆は苛立たしげに眉根を寄せた。
 思い至れば、あり得ないことではない、と思った。まず間違いなく景麒は蓬莱にて誓約を交わしたはずだ。でなければ王をこちらへ渡すことができない。あの口下手な麒麟がこちらのことをどのくらい説明できたかはわからないが、王として迎えにきた、の一言に甘い生活を夢見たとてもおかしくはない。
 しかしこちらへと来てみれば、国は貧しい、しかも荒れている。王と名乗っている偽王の軍は勢力を拡大させる一方で、玉座につけばまずその偽王の軍と対峙しなければいけない。戦から遠ざかって久しい、豊かな蓬莱からやってきた者の目には、受け入れがたい現実ばかりが転がっていたことだろう。
 「目の前に引っ張ってくることができるなら、尻を叩いてでも慶をどうにかしろと言ってやるのだがな」
 尚隆がそう呟いたその時、ばたばたと騒がしい足音と共に六太が飛び込んできた。
 「景麒が見つかった!」
 開口一番の声に尚隆は片眉をぴくりと上げた。
 「征州城だ。舒栄の軍に捕われていたんだ!」
 「―――なんだって?」
 尚隆の表情が知らず険しくなった。
 六太の後を追うように朱衡が現れる。軽く一礼して一通の書状を差し出す。尚隆はそれを受け取ると素早く中に目を通した。
 「新王についてはひと言もないな」
 「はい。慶の新たな王については全く情報がありません。景台輔と共にいるのか、いないのか。ただ、偽王軍に捕まったとなれば生かされているとは思えませんが」
 淡々と述べる朱衡を一瞥し、渋い顔のまま尚隆は書状を卓上に投げだした。
 「殺すならまだ良い。最悪なのは、戴と同じ状況になることだ」
 戴も今現在、王と麒麟の行方が知れない。死んだ、とも言われるが、鳳も鳴かねば泰果も実らない。国は偽王に蹂躙されてもう四年になり、国土の荒廃は凄まじい勢いで進んでいる。王が姿を見せない限り事態が改善する見込みはないが、もし偽王に身柄を拘束されているのならば王は姿を見せようがない。そして王が死なない限り、天命が改まることはない。
 もし慶もそんな状況になれば、ただただ国土は荒れていく。もともとが波乱続きで国土が疲弊している慶だ。荒廃は戴よりも早く進むだろう。
 「なぁ、景麒を助けることはできないのか?」
 六太の呟きに、尚隆は視線を向けた。
 「他国に兵を送ることはできん。それはわかっておろう」
 「でもさ。例えば、お前が単身征州城に忍び込んでさ、景麒本人の意思でお前についてくるっていえば、可能だったりしないか?」
 「お前は俺にどれだけの無茶をさせようというのだ」
 「今までだって散々無茶なことしてきてるじゃないか」
 「景麒は偽王にとって絶対に失ってはならない駒だ。簡単に忍びこむことも連れ出すことも可能なわけがなかろう。それに、景麒を奪還する目的を持って内戦の真っただ中に飛び込んでいくのは、天に内政干渉だと判じかねられん」
 唇を突きだしてうつむいてしまった六太に、尚隆は小さく息をついた。
 「お前の気持ちはわかる。俺とて景麒を助けられるものなら助けてやりたい。ただ、舒栄が簡単に景麒を殺すとも思えん。麒麟を失うことは自分の首を絞めることと同じだからな。俺達にできることがあるとするなら、景王の行方を捜すことだ。景王を見つけ出すことができれば、景麒を助ける道が開けるかもしれん」
 尚隆はそう言ったのち、しばしの間黙り込んだ。
 「―――景王は巧に上陸したはずだな」
 確認するように呟いて六太を見る。
 「少し巧の様子を探れ。あそこは海客に厳しい国だ。蝕と共に渡ってきた海客がいるなら放置しているはずがない。何らかの足取りがつかめるかもしれん」
 「わかった」
 六太は張り切って飛び出していったが、なかなか有力な情報は得られなかった。蝕と共に流れてきた海客を巧の役人が追っていたという情報は得られたものの、その行方となると巧の役人もさっぱりつかめていないということが分かったにすぎない。大した手がかりもないまま、三月もの歳月があっという間に流れた。
 「これほどに手がかりがないということは、景王はもはや生きてはいないということかもしれんな」
 偽王軍が麒麟を得たことで、残った四州のうち二州が偽王側に寝返った。残った二州はよく持ちこたえているが、兵力に差がありすぎる。九州すべてが舒栄の勢力圏となるのは時間の問題だろう。そうなれば慶は本当に戴と同じになる。ただひとつ違う点を言えば、慶は雁の地続きであるということだ。貧困と荒廃と騒乱から逃げ出した民が雁にどっと押し寄せて来ることは必定である。
 ―――慶との高岫封鎖も視野に入れるべきか。
 できればそんなことはしたくはないが、雁の国庫とて無尽蔵ではない。共倒れになってしまえば、この世界は目も当てられない状況になる。
 ―――しかしそうすると、六太が黙ってはおらぬだろう。
 思いつく限りの罵詈雑言で自分の決定に否やを唱えるだろう半身がありありと目に浮かんで、尚隆は軽い頭痛を覚える。
 事態が意外な展開を見せ始めたのは、そんな時であった。


◇     ◇     ◇

 
 「巧から親書が届いております」
 その報告はあまりに意外で唐突であった。
 巧とは国交がないわけではないが、国家間の関わりといえばかなり薄い。そもそも塙王は海客嫌いで有名なため、胎果王を戴く雁とは相性が悪い。そのため、これまで親書を交わしたことはなく、また親書が届くような心当たりもなかった。
 「珍しいな」
 尚隆は運ばれてきた銀の鳥籠を見つめて呟く。
 王の親書は鸞という鳥だ。王のみが使える霊鳥で、言葉を記憶しその者の声でそのまま運ぶ。いずれの国の鸞であるかは尾羽の色で判ずるのだが、五百年の在位を誇る尚隆を持ってしても、初めて目にするのではないかと思われる色であった。
 籠から出してやり背をそっとなでると、鸞は低い男の声を紡ぎ出した。
 『雁に逃げ込んだと思われる海客の引き渡しをお願いしたい。この海客は巧で大罪を犯した罪人であり、他国に逃げたからと見過ごすことはできない。赤毛が特徴の少女であるが、髪は染めている可能性があるほか、男のなりをして周囲の目をごまかしている可能性もある。雁は海客を保護する仕組みがあると聞くが、罪人は罪人として罰せねばならない。くれぐれも善良なふりをした海客を誤って保護するなどという過ちを犯して貴殿の名声に汚点を残すことがないよう』
 鸞はそれだけ言うと言葉をつぐむのをやめた。銀の粒を与えてやると、うれしそうにのどをならしてついばんだ。
 「巧から雁に逃げ込んだ海客を渡せだと?」
 尚隆の呟きに親書を届けに来た朱衡も小さく首をかしげた。
 「随分と不思議な要請ですね。巧は海客に厳しい国ですが、これまで他国に逃げた者までも追っかけているとは聞いたことがございません。よほどの大罪を犯したものなのでしょうか」
 「かもしれん。が、赤毛というのが引っ掛かる」
 「確かに。海客の外見的特徴ではありませんね」
 「しかし海客と言い切る以上、あちらから渡ってきた者であるという確信があるのだろう。となれば、塙王のいう海客は―――」
 「胎果の海客、の可能性があります」
 「―――景王」
 尚隆の言葉に、朱衡がわずかに表情を動かした。
 「その可能性は否定できません。が、そうしますと、なぜ塙王は景王の身柄を確保しようとしているのでしょう」
 「何故かはわからんが、塙王が舒栄に加担していると考えるとつじつまが合う。ただの女が偽王を名乗ったからと言って、ここまで国を騒乱させるなどできようはずがないからな。資金を渡している者が必ずいるはずなのだ。そしてその加担者が塙王であるならば、この親書の意味も理解できる。偽王側にしてみれば、正統な王など邪魔な存在でしかないからな」
 「にわかには信じられない話です。それでは塙王は慶に内政干渉していることになり、天命を失います。巧を沈めてまで慶の偽王に加担する理由などありましょうか」
 「塙王の考えていることなぞわからん。それゆえに、真偽を確かめる必要がある。舒栄の金の流れについて六太に調べさせよう。お前は、最近雁に来た海客を調べてくれ。わざわざこういう親書を送ってくるくらいだから、最近巧から雁に海客が渡ってきたことは間違いないのだろう。役所に何らかの届けが出されているかもしれん。見つけたのなら密かに保護しておけ。もしかすると景王かもしれんからな」
 尚隆は朱衡にそう命じたが、景王の行方へは意外な所からもたらされた。
 きっかけは、景州容昌の党に届いたという一通の書簡である。清張の署名のあったその書簡の内容を確認した党の役人は、最初その書簡をいかに扱うか大いに迷った。悪戯かもしれない。その思いはあったが、このまま破棄してしまうのもためらわれた。内容は非常に理路整然としており、文筆も見事。慶の状態とわずかに漏れ聞く情報をつなぎ合わせれば嘘八百を申し立てているようにも思えない。迷った党の役人は、扱いを県に尋ねた。尋ねると言いながら書簡そのものを県へ送りつけたのだから、はっきり言えば丸投げしたのである。書簡を受け取った県はこれまた扱いに困った。しかし最終的には党の役人らと同じ考えに至り、県から郷へと判断は委ねられることになった。その後は、同じように郷から郡、郡から州へと書簡は渡り、最終的には靖州府へと届けられたのである。
 しかし靖州の州侯、すなわち延麒六太はあいにくの留守だった。靖州侯を補佐する令尹は、封書改めの件を持つ。つまりは、靖州侯に届いた書状を靖州侯より前に見てもよいことになっているのだ。留守がちな州侯に代わって州の執務をこなすためには絶対に必要な権限である。それによって党より順次あがってきた書簡を目にした令尹は、書簡を王の元へと届けたのであった。
 書簡の中身を確認した尚隆は、知らず笑みがこぼれていた。
 すでに生きてはいないだろうと思っていた景王の消息がつかめた、ということだけではない。手紙の行間に見え隠れする雁にたどり着くまでの苦労。試練。己が何者かもわからずにいながらも、塙王の追っ手から見事逃げ切り、自分の元へと自らやってきたこと。天の試練に果敢に立ち向かい、困難の中でも進んでいける力を持つ、そんな王者の資格を確かに感じ取ったからである。
 とはいえ彼女の試練はまだ終わりではない。しかし彼女が彼女自身の王であり、己自身であることの責任を知っているのならば、残された試練はさほどのものではない。なにしろすでに彼女は、周囲を、何よりこの自分を巻き込む運気を具えているのだから。
 「すぐに出れば、日没前にはぎりぎりつけるか」
 尚隆は剣を片手に立ち上がる。鮮烈な出会いはすぐそこに迫っていた。


 
 
     
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