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「十二国記」パラレル 『もう一つの慶の物語』 を読む前に

この話は、予青四年頃から話がはじまり、舞台はほぼ原作通りの慶で、 陽子は蝕で流れてきた胎果の海客だけど、王ではないという設定です。
ただ原作通りにいくと、この年の陽子の年齢は十三〜十四歳ということになりますが、その点は原作初登場の年齢をそのままスライドさせて十六歳程だと思ってください。もちろん仙ではありませんので、少しずつ大人になっているという設定です。

以上の前提をふまえ、お楽しみください。

 
     
 
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 何が起きたのか、陽子はわからなかった。

 気づけばそこは、見たことがない浜辺だった。

 辺りに人の気配はなく、寄せては返す潮騒の響きだけがどこか物寂しく満ちていた。その海の向こうには、今まさに夕日が沈もうとしており、空も海も夕日に赤く染まっていた。

 ―――あり得ない。

 陽子はその穏やかな眺めを呆然と見つめながら、心の中で呟く。

 だって自分は、学校から帰っている途中だったはずだ。特に今日は委員会の仕事が長引いて遅くなり、学校を出た時にはすでに辺りは薄闇に包まれていた。おり悪く小雨がぱらつきだし、陽子は母が言うように折りたたみ傘を持ってくるんだったと後悔しながら学校を出た。

 びっしょり濡れて帰れば、きっと母が小言を言うだろう。

 (ほら見なさい。だから、あれだけ傘はいらないのって聞いたのに)

 ―――だって、40%だったじゃない。ということは、降らない確率が60%もあるってことでしょう。折りたたみ傘っていっても、結構荷物になるんだから。

 心の中で言い訳をしながら、陽子は小走りに駆ける。

 雨脚は徐々に強くなる。いっそのことどこかで雨宿りをしていった方がいいのだろうか。

 そんなことを考えた、その時だった。前から走ってきた車が、思い切り水たまりの水を跳ね上げたのだ。

 あ!と思った時にはすでに遅く、水の塊は陽子に襲いかかる。反射的に目を閉じながら、これで濡れた言い訳が出来るだろうか、それともさらに小言を言われることになるのだろうかと考えた。

 その直後、ものすごい風が吹いた。お下げにした髪が巻き上げられる。と同時に陽子は、突然足下にぽっかり穴が開いて、その穴に吸い込まれるような感覚に襲われた。

 硬く目を閉じていた陽子に、事実はわからない。しかし、一瞬我が身を襲った不思議な感覚に驚いて目を開ければ、そこはすでに見知らぬ浜辺だったのである。

 ―――ひょっとして、あの時私は車にはねられたのだろうか。

 ということは、ここはあの世?

 陽子は、目の前に広がる穏やかな海を見つめながら首をかしげた。

 あの世には三途の川と呼ばれる川があると聞いたことはあるが、海があるなど聞いたことがない。いや、目の前に広がるのは広大な川であって、海ではないのかも知れない。

 そんな埒もないことをとりとめもなく考えて、陽子はとりあえずその場に膝を抱えて座り込んだ。

 もしここがあの世なら、迎えとやらがくるのかも知れない。

 朝までなにもなければ、その時また考えよう。

 陽子はそうして、見知らぬ世界での最初の夜を過ごしたのであった。

 
     
 
 
     
 
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 朝は普通に明けた。

 白々と空が明るくなり、完全に辺りが明るくなった時、目の前の海は信じられないくらい青く美しい姿を陽子に見せた。

 「・・・・・・すごい」

 例えるならそれは、テレビや写真などでしか見たことがないような南国の海。どこまでも青く透きとおり、浜辺の砂は真っ白に輝いていた。

 陽子は足を浸してみたい衝動に駆られて、思わず靴を脱ぎ捨てて波打ち際に駆け寄る。足にかかる水は冷たくも心地よく、波にさらわれていく足の下の砂の感覚がくすぐったかった。

 海水浴なんて、小さい頃にしか行ったことがない。それも家からさほど遠くない人工の海水浴場で、海など眺められないほど人であふれかえっていた。あの時は何となく海が汚い気がして入るのを厭い、以来陽子は親に海水浴に行きたいとねだることはなかったが、こんなにきれいな海なら話は違っただろう。

 そんなことを思いながら、陽子は海の水をすくおうと手を伸ばす。

 陽子が異変に気づいたのはその時だった。

 身をかがめたことで、二つに編んでいた髪がさらりと肩から落ちた。その髪に目がいって、陽子は驚愕に目を見開いた。

 自分の髪が、信じられないくらい真っ赤だったのである。

 「・・・・・・なに、これ」

 驚いて陽子は、編んでいた髪をほどいて確かめる。日にさらすと、髪はより一層鮮やかな赤に見えた。

 「そんな馬鹿な」

 陽子は、あわてて浜辺に放り出していた鞄に駆け戻る。急くように中をかきまし、手鏡を取り出してのぞき込めば、陽子は、自分の髪が間違いなく真紅に変色していることを確認した。

 そして、さらなる驚きに言葉を失う。そこに、見知らぬ少女が映っていたのだ。

 「―――なんで」

 鏡の中の少女は、驚きの表情でまっすぐに陽子を見つめていた。陽子が頬に手をやれば、鏡の中の少女も同じように頬に手を当てる。それが何を意味するのか、わからぬ陽子ではなかった。

 ―――これ、わたしじゃない!

 髪の色が変わって雰囲気が変わっていることを差し引いても、鏡の中に映る顔は全くの他人だった。なにしろ、瞳の色が深い緑色なのだ。そんなの、どう考えてもあり得ない。

 「どうして」

 驚くばかりの陽子は、人影が近づいていることに気がつかなかった。

 
     
 
 
     
 
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 「そこで何をしている」

 突如声をかけられて、陽子は驚いて顔を上げた。そこにひとりの若い男が立っていて、陽子を怪訝そうに見下ろしていた。

 陽子は、突然人が現われたことにも驚いたが、その男の格好にも驚いた。思わずまじまじと見つめて、上から下まで確認する。男は、映画の撮影でもしているのか、といいたくなるような格好をしており、しかもそれは日本風というより、中国風といった方が近いような感じであった。

 顔立ちも、東洋風とは言い難く、髪の色もあり得ないくらい青かった。

 この髪の色がありなら、自分の髪が赤くなっているのもおかしくないのかも知れない。そんなことを思っていると、ただぽかんと自分を見つめる陽子の様子を訝しく思ったのか、男は再び陽子に何やら問いかける。

 陽子はそのとき初めて、男が聞き慣れぬ言葉をしゃべっていることに気がついた。

 「あ・・・・・・、あの」

 陽子が戸惑って首をかしげれば、男は陽子をじっと見つめて眉をひそめた。それから二三何か言ったが、それも陽子には伝わらなかった。

 すると男は、突如くるりと後ろを向いて何やら叫ぶ。誰かを呼んでいるようなその気配に、この場に留まっていて良いものだろうかと陽子が逡巡していると、海岸の向こうの林から、変な獣を連れた男が数人現われた。

 馬に似たような生き物もいれば、どことなく犬に似ているような生き物もいるそれらは、一様に手綱が付いており、おとなしく男たちに引かれていた。その様子に、馬のように騎乗するのだろうかと陽子は想像し、もはや驚きを通り越し、ここはどうやらとことん変わった所らしいと、陽子は自分でも妙に落ち着くのを自覚した。

 「どうした」

 ひとりの男が問いかける。その声に陽子はぴくりと反応した。日本語に聞こえたからだ。

 後から現われた男の問いかけに、目の前の男が答える。答える男の言葉は、やはりわからない。

 「海客?」

 後から現われた壮年の男が、陽子に視線を落とした。

 男たちの態度から、どうやらこの男が彼らの中では一番偉い人物らしいと想像がつく。確かに漂う雰囲気にもどこか気品があり、陽子を見つめる視線は思慮深そうであった。

 だが、そんなことよりも気になるのは、どうして、この男の言葉だけわかるのか。

 男の様子から、特別言葉を使い分けている様子ではない。男たちが普通に会話を交すその中で、この男の言葉だけがわかるのだ。

 ―――どうして?

 陽子は不思議に男を見上げた。

 
     
 
 
     
 
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 「どうして、あなたの言葉だけわかるんですか?」

 陽子のその質問に、男は答えなかった。

 とにかく陽子は、こちらでは海客と呼ばれる存在であり、陽子が住んでいた世界は蓬莱と呼ばれているのだと言われた。蝕という災害に巻き込まれて、時々陽子のように流れてくる者がおり、陽子も蝕に巻き込まれたのだろうということだった。

 蝕、というものが陽子にはよくわからなかったが、彼らがいうには、昨日ここで蝕が起きたらしい。被害自体は大きくなかったが、それでも影響がなかったか調べるのが彼らの仕事らしかった。

 そして男は、陽子をこのまま見逃すことは出来ないと告げた。それは、蓬莱とこちらでは言葉も違うし文化も違うゆえ、陽子自身が困ることが目に見えているからだということだった。

 要は、こちらになじむまで、しばらく世話をしてくれるらしい。

 男のこの話をどこまで信じて良いのか、陽子にはわからない。しかし、連れの男の誰ひとりとして陽子のわからぬ言葉をしゃべっているのは事実であり、言葉の通じるこの男に助けてもらいたいという心理が働くのは仕方のないことであった。

 特に、帰る方法はないのだと言われれば、ここで躊躇っていても事態は何も良くはなりそうにない。

 「よろしくお願いします」

 陽子が頭を下げれば、男は穏やかに笑った。

 「私は柴望という。そなたは」

 「中嶋陽子です」

 「やはり、海客の名は変わっている」

 「そうですか?」

 「どういう字を書く」

 問われ陽子は砂の上に名を書く。その横に、柴望が自身の名を書いた。

 「蓬莱では何か仕事をしていたのか?」

 「いいえ、学生です」

 「蓬莱の学生は、どんなことを学ぶ?」

 問われて陽子は、鞄から教科書を出した。真面目な陽子は、置き勉などせず毎日教科書を持って帰っている。いくつか教科書をめくって、柴望は陽子を見た。

 「なかなか興味深い。しばらく貸してもらえないだろうか」

 「ええと、かまいませんけど」

 陽子は、男の意図がわからないままに頷く。

 どうせ帰れない場所の教科書なら、大切に持っておく必要もないように思えた。

 後で聞きたいこともある、という柴望の言葉に陽子は頷いた。


 
     

 
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 州城に戻った柴望は、まっすぐに州侯の執務室を訪ねた。州侯は字を浩瀚という。いかにも怜悧な三十前後の男だった。

 「蝕の被害は、幸いにして、たいしたことはありませんでした」

 柴望がそう報告すれば、浩瀚は、そうか、と呟いて柴望をちらりと見た。

 「―――して、もう一つの方は?」

 その問いかけに、柴望は小さく首を振る。

 「確認は、取れませんでした」

 「・・・・・・そうか」

 「しかし、そんな噂が出ること自体が、問題といえば問題」

 柴望はそう呟いて、渋い顔をした。

 陽子を拾った海岸に、蝕の被害を調べに来た。それは、嘘ではなかった。しかし、州宰である柴望自らが、わざわざ調べに行くほどのことではない、といえば確かにそうである。

 柴望の真の目的は、別にあった。

 実は、青海に妖魔を見た、という噂を聞いたのだ。妖魔は、玉座のしっかりしている国には近寄ることは出来ない。妖魔が現れる。それは王朝が崩壊しかかっていることを意味していた。

 妖魔が出たのが真実なのかどうか。王朝から遠く離れた州府を任されている者にとっては、その真偽を確かめることはとても重要なことである。もし事実なら早めに手を打たねばならない。しかし、おおっぴらにするわけにもいかないのだ。麦州はありもしない妖魔騒ぎを起こして、国府を貶めようとしている、という妙な言いがかりをつけられぬとも限らないからだ。

 「注意するにこしたことはない。民が適当に噂話をするくらいならいいが、それが堯天にまで届くのはまずい」

 「わかっております」

 「まあ、国府も認めるほどわんさか出てくれば別だがな」

 「―――侯」

 柴望が諌めるように言えば、浩瀚は苦笑した。

 「時間の問題だろう。主上は呀峰を和州侯に任じたそうだ」

 「な!それは、本当ですか?」

 「ああ、先ほど入ってきた情報だ。なんでも呀峰より献上された園林をたいそう主上が気に入られたとか」

 「まさか、その見返りに?」

 まあ、そうだろうな、と何でもないかのように呟く主に渋い顔をしつつ、柴望は思わず呟いた。

 「……愚かな」

 
 
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