「あれは芝居のうまい男です。ひと月もすれば侯の御希望通り立派な腹黒い役人と世間に周知されることになるでしょう」
「お前は時々辛辣だな」
浮かべた笑みをひっこめて浩瀚は柴望をにらんだ。
「まあ、いい。それよりもお前は、一度官邸に戻って身を改めてくるんだな。残念ながらあまり時間はやれないが、風呂に入るくらいの時間は大丈夫だろう」
「そのあとで陽子に会ってもよろしいですか?」
唐突に柴望が問えば、浩瀚の表情がわずかに動いた。
「……さて、どうかな。随分動転していたから」
「長い時間は必要ありません。何なら遠くから姿を見るだけでもいいのです。乙老師が陽子のことをとても心配しておられたので、どのような様子でいるのかお伝えしたいのです」
「……陽子の様子による。今は何とも言いようがない」
「そうですか。確かにあれだけ混乱した現場に居合わせれば、動揺も深かろうと」
「そればかりじゃない」
浩瀚は険しい表情で軽く頭を振った。
「私が駆けつけた時、陽子と共にいた少年が賊の凶刃に倒れるところだった。恐らく深く親交していたであろう者を目の前で殺されたのだ。……というのに、今は泣きも叫びもしない。一切の感情を封じてしまっているのだ」
柴望は軽く目を見開いた。そういう状況に陥っているとは想像もしなかった。それは体に怪我を負うよりも深刻な状況ではなかろうか。
「そうでしたか。では今は、無理に会うのはやめておきましょう。ただ、様子を見て伝えられるようなら、遠甫はご無事だと伝えてください。陽子のことをとても心配していると」
「わかった」
柴望は軽く会釈をすると、部屋を退室した。そして深く息をはく。
―――さて、どうしたものか。
柴望は思案する。陽子を長く州城にとどめ置くことはできないが、状況が状況なだけに今無理を通して陽子を自分の官邸に引き取ることは良策ではないように思える。すべては陽子の状況次第だと思うのだが。
―――そばに玉葉がついていると言っていたか。
柴望は浩瀚との会話を思い出して、胸中呟く。玉葉は気遣いのうまい女性だ。そばに玉葉がついているならひとまずは安心だ。が、今の慶の状況を考えればそれでも悠然と構えていられるわけではない。
柴望は急ぎ官邸に戻ると、玉葉と連絡を取るべく書簡をしたためた。
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