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「十二国記」パラレル 『もう一つの慶の物語』 を読む前に

この話は、予青四年頃から話がはじまり、舞台はほぼ原作通りの慶で、 陽子は蝕で流れてきた胎果の海客だけど、王ではないという設定です。
ただ原作通りにいくと、この年の陽子の年齢は十三〜十四歳ということになりますが、その点は原作初登場の年齢をそのままスライドさせて十六歳程だと思ってください。もちろん仙ではありませんので、少しずつ大人になっているという設定です。

この<第3部>は<第1部>と<第2部>の続きになります。

以上の前提をふまえ、お楽しみください。

 
     
 
<1>
 

 予青六年正月九日未明、清谷の町にやってきた陽子は、浩瀚の用意した宿で船の準備のために三日を過ごした。その後風待ちに二日。陽子が玉葉と共に雁行きの船に乗ったのは、一月十四日のことであった。

 その日は、天候に恵まれた穏やかな日で、絶好の船旅日和。恵まれた天候と初めての船旅に陽子の気分は高揚していたが、他の乗船客らも、港で見かけていたときよりも幾分かは表情が和らいで見えた。国を追われて出て行くのだから憂いがないわけではないはずだが、やっと出て行けるという安堵感もあるのかもしれない。

 乗客の数は、麦州の女性官吏と一般客を合わせて五十人ほど。その内半分以上が官吏で、乗り合わせている一般客らはすぐに路銀を揃えられ、流れた先の雁でも生活していける蓄えがあるような人々だった。それに船を動かすための乗組員が二十人ほどいて、船上にはそれなりに人が多く活気があった。

 七十人ほどの人と多くの荷を積んで、船は朝日に押されるように出航した。

 慶と雁を結ぶ海は、青海という。陸地に囲まれた内海で、比較的穏やかな海だ。ただ風が安定しないので、目的地へ向かう風を捕まえるのが少々厄介だった。その代わり、外海のように大波に翻弄されることはほとんどない。いい風を捕まえさえすれば、内海の航海は快適そのものだった。

 船は、いっぱいの風を帆に受けて、滑るように青海上を進んだ。

 青海の海は文字通り青い。陽子は流れ着いた日の翌朝、朝日の中にその青を見たが、今甲板から眺める海の青さは、記憶にあるよりもなお一層鮮やかであるように思った。その青い海に、白波が立つ。そのコントラストが言いえぬほど美しかった。

 「気持ちいい天気ね」

 甲板に立つ陽子の横に玉葉が並んで、眩しそうに目を細めた。今まで船内で他の女性官吏たちと話をしていたのだが、終わったのだろう。

 「この調子なら、予定通り明日の夕刻には雁に着きそうだわ」

 船は昼夜問わず一気に走らせると聞いた。途中にある島に寄航していく航路もあるようだが、いい風を捕まえた船はその風を逃したくないのだという。

 「この船が着くのは雁の烏合という港よ。雁には港が多いけど、青海側で一番大きくて船の出入りも多いのが烏合なの。清谷も慶の中じゃ立派な港だけど、きっと烏合に行ったらぜんぜん規模が違って驚くと思うわ」

 雁は豊かな国だから、と玉葉はいつものように朗らかに笑う。しかし陽子にはその笑顔がどことなく影って見えた。陽子に心配させまいと自身の心配を押し隠しているのだろう。表向きとはいえ官位を剥奪されて他国へ向かっているのだ。心配がないはずがなかった。

 「いい天気だけど、まだまだ風が冷たいわね。あたりすぎると風邪を引くわ。そろそろ船室へ入りましょう」

 玉葉に促されて陽子は頷いた。旅が穏やかだったのはここまでだった。



 
     
 
 
     
 
<2>
 

 大きな揺れが突然船を襲ったのは、夕餉を終えて、皆がうつらうつらとし始めた時刻だった。

 ドーン、と突き上げるような衝撃。その後船は、大きく左右に揺れた。

 「な、なに!」

 船室に悲鳴が上がる。陽子はとっさに立ち上がろうとして床に投げ出された。そのまま体は傾いた船の床を滑る。右に傾けば右に、左に傾けば左に。さほど広くはない船内で皆が翻弄されて体をぶつけ合う。あちこちから苦痛のうめきももれた。

 一体全体、何が起きたのか。嵐に巻き込まれたのか、座礁したのか。船旅の経験がない陽子には想像もつかない。船室には常夜灯がついていたはずだが、いつの間にやら消えていた。何が起きたのか問いよりも前に、とにかく体を固定したくて、陽子は闇の中に手を伸ばす。何かの出っ張りを捕まえて、必死にそれにつかまった。その間も、船体は上下左右に揺れ続ける。乗客に官吏がいると知っている一般客らが、根拠のない罵声を浴びせながらどうにかしろとわめき散らす声もしていた。

 やがて船体が大きくきしみを上げた。

 「み、水だ!水が入ってきたぞ!」

 その声に船室は益々パニックになった。

 「沈没する。ここにいたら船に飲まれるぞ!」

 その声を契機に、皆がいっせいに甲板へと続く階段に殺到した。暗闇の中でも人ごみがうごめくのがわかった。

 「陽子、どこ!」

 「玉葉さん、ここです!」

 「無事なの?怪我はない?」

 暗闇の中で陽子は目を凝らす。声を頼りに玉葉を捜したが、うごめく人影の中で特定はできない。

 「無事です!とにかく外へ出ます」

 陽子は叫んで、階段へ向かった。しかし掴んでいた出っ張りを離した途端、またなすすべもなく翻弄される。床の上を右へ左へと滑りながら、それでも何とか皆が向かっている方へと進んで、陽子はようやく階段の手すりを捕まえた。

 その時船の船首が大きく持ち上がった。手すりにつかまったまま陽子の体は宙に浮く。離せばそのまま船尾へ叩きつけけられる。陽子は必死に手すりを握り締めた。しかしそれからどうしようもない。頭上にぽっかりと口をあけた入り口から満天の星が覗いていた。外からも怒声と悲鳴が響く。誰かの名を叫んでいる人の声も聞こえた。

 もうだめ、そう思い始めたときようやく船首が元に戻った。陽子はそのタイミングを逃さずに甲板へ這い出した。

 その時、陽子は夜の海に浮かぶ巨大な影を見た。


 
     
 
 
     
 
<3>
 

 陽子は息を呑んだ。海に浮かぶ巨大な影は、見たこともない生き物だった。月明かりに照らされてぬめぬめと光る体を夜の海に突き出して、触手のようなものを船体に絡ませている。例えるなら巨大な蛸。しかし、その姿はもっと醜悪で獰猛に見える。

 「よ、妖魔だ!」

 陽子の後ろから甲板へと這い出してきた男が、ひぃっと悲鳴を上げながら叫んだ。

 ―――これが、妖魔。

 陽子は男を一瞥してから改めの目の前の醜悪な生き物に目をやった。船を引き寄せようとしているのか触手がうねる。そのたびに船が大きく揺れる。船員達が引っ張り込まれてなるものかと果敢に触手と格闘していたが、次から次へとのびてくる触手はきりがない。

 見ている前で、何人かの者たちが、触手にからめ取られて海へと引きずりこまれていく。

 陽子はどうして良いかわからなかった。このままここにいても、いずれあの妖魔の餌食になるのは目に見えている。しかしここは船の上。逃げ場がない。

 「陽子!」

 「玉葉さん?」

 「こっちよ!」

 振り向けば、船尾の縁につかまっている玉葉の姿があった。こちらへ、と手を伸ばしてくる。大きく揺れ続ける不安定な船上。一歩間違えればそのまま海に投げ出されてしまうかもしれない恐怖を感じながらも、陽子は何とか玉葉の手を握った。

 玉葉が陽子の身を引き寄せる。ひとまず、陽子は息をついた。そんな陽子に、よく聞いて、と玉葉が固い声で言う。

 「このままじゃ、妖魔の餌食になるか、船と共に海に沈むか二つに一つ」

 わかっていたことだが、陽子は言われた言葉に息を呑む。心臓が爆発しそうなほど動悸がした。

 「助かる可能性はたった一つ。海に飛び込むの」

 むり、と反射的に答えようとしたが、陽子の口から声は出なかった。息がまともにできなくて陽子はあえぐ。

 「海に飛び込んだら、散乱している荷物なんかにつかまってじっとするのよ。動いたり、悲鳴を上げたりしてはだめ。妖魔は案外目が弱いときくから、荷物にまぎれてしまえば見えないかもしれないわ」

 いや!むり、と陽子はでない声の変わりに頭を振った。

 昼間の海とて足のつかない場所は怖い。なのに、暗く沈んだ夜の海に飛び込むなどとんでもなかった。

 「いい、せいので跳びこむわよ?」

 いや、と陽子は頭を振る。それでも強く手を引く玉葉に、陽子は反発するように船の手すりに固くしがみついた。


 
     
 
 
     
 
 <4>
 

 「陽子」

 決心を促す玉葉の強い声がした直後だった。今までにないほどに大きく船が揺れた。あっと思ったときには、玉葉の体は宙に投げ出されていた。

 ―――玉葉さん!

 悲鳴を上げることすらできず、陽子は玉葉の体が暗い海に落ちていくのを見ているしかなかった。上がった水しぶきと共に玉葉の姿が暗い海の中に飲み込まれる。陽子は無事を祈りながら必死に水面に目を凝らしたが、玉葉が水面から顔を出したかどうか確かめる前に、船は更に揺れた。

 陽子は振り落とされまいと必死に手すりにしがみつく。妖魔も怖いが夜の海も怖い。陽子はすぐに、玉葉がどうなったかなど気にかける余裕はなくなった。

 船首での戦闘は、妖魔に軍配が上がっていた。果敢に触手と戦っていた者達も多くが海に投げ出されるか、触手に絡め取られるか、戦意を失くしているかであった。

 邪魔をする存在のなくなった船に、妖魔は心置きなく触手を伸ばす。舳先がもぎ取られ、帆柱がへし折られる。やがて船全体が嫌な音を立て始めた。悲鳴を上げるかのごとく船がきしむ。みしみしという不吉な音が鼓膜を振るわせた。

 直後、どーんと激しい振動が下から突き上げた。何事かと思う間もなく、陽子は驚きに身を硬直させた。何と船が、真ん中から真っ二つに折れたのだ。

 もはや陽子は何も考えられなかった。ただただ無我夢中で手すりにすがりつく。しかし、その行為はすでにまったくの無意味だった。

 二つに折れた船はゆっくりと沈み始めていた。陽子は息をつめてじわじわと近づいてくる海面を眺めていることしかできなかった。

 暗い海は、意思を持った生き物みたいにゆらゆらと揺れて、ほんの少しでも水面に触れたものを容赦なく引きずり込みそうであった。

 ―――いや、怖い。いや、海はいや!助けて、助けて浩瀚さま!

 陽子は心の中で叫びをあげる。しかし、無常にも水面はどんどん近づいてくる。やがて足先が水についた。

 「いやーーーーーー!」

 半狂乱になりながら陽子は足をばたつかせた。更に上へ、とあがく陽子をあざ笑うかのように船の沈む速度が一気に上がった気がした。あっという間に陽子の体は、沈む船に引きずられて海に沈んだ。

 暗く何も見えない海の底に体が沈んでいく。陽子は酸素を求めてもがいたが、下へと全てを飲み込む強い力にはあがらえなかった。

 ―――浩瀚さま・・・・・・

 陽子は自分の体が下へ下へと落ちていくのを感じながら、やがて全てをあきらめたように意識を手放した。


 
     

 
 <5>
 

 何かの気配を感じた気がして浩瀚は視線を上げた。誰か来たのかとも思ったが、衝立の向こうからはいつまでたっても誰の姿も現れない。

 気のせいか。珍しいこともあるものだと不思議に思いながら、浩瀚は気が途切れたついでだと立ち上がった。窓を開け放ち、よどんだ空気を入れ替える。空が白み始めていた。

 ―――陽子は今どの辺りか。

 昨日船がようやく出港したと聞いた。天気は良好で、これ以上ないというほどいい風が吹いていたという。この時期は天候が安定しているので、まず問題なく烏合へ着くだろう。ひとまず安心できる報告だった。到着後の逗留先はすでに手配済みだ。もともと女性官吏らを送り込むつもりであったから、空家や借家をいくつか押さえている。そのひとつを陽子にあてた。とはいえ、玉葉や何人かの女性官吏らも一緒に住まわせることにしているから、当初の計画から外れているわけでもない。

 今度こそ人の気配がして浩瀚は振り返った。衝立の向こうから柴望が現れる。柴望は浩瀚に歩み寄ると、そっと耳打ちした。

 「老師は無事、州境を越えたそうです」

 「―――そうか」

 浩瀚は呟いて、再び窓から見える空を見やる。空は見る見ると明るさを増しているようだった。陽子は雁へ向けて船出し、遠甫も瑛州に向かうべく州境を越えた。今まで身近にいた人たちが、ひとり、またひとりといなくなる。寂寥感に襲われるが、今は感傷に浸っている時ではない。

 「それで、例の賊の件は、何かわかったか?」

 「はい。賊らは最終的に、和州州都のある一軒の家に入りました。一見何の変哲もない普通の民家です。その家に入ったきり、まったく出てくる気配がありません。それどころか、様子を探っても居る気配すらないのです。その家にいるのは、年老いた老婆と老爺が二人きり。尾行の者は、撒かれたのかもしれないと周囲の探索をしたそうです。その結果……」

 柴望の口調に、浩瀚は視線を向けた。柴望は少々渋い顔をしていた。

 「近くの川に二人の死体が浮いていたそうです」

 「老婆と老爺がやったか?」

 「体格のいい男二人。老人には運ぶだけで一苦労にも思えますが」

 「なんにせよ。手がかりをひとつ失ったことだけは確かだ。しかし、その老婆と老爺がまったくの無関係とは思えない」

 それにしても、なんとも手際のいい話だと浩瀚は思った。当然、賊を使った者達はその始末まで考えていたのだろう。つまり松塾襲撃は、随分と念入りに準備された上で実行されたということである。自分達が留守にする時期を襲撃日にしたのも計算のうち。しかし、主上の勅でその計算が狂ったと考えればなんとも皮肉に思えた。

 
 
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