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 「申し訳ないとはどういうことだ」

 浩瀚はわずかに首をかしげた。万事無事に雁国にたどり着けなかったことへの謝罪か。女官らを多数失ってしまったことに対する謝罪か。確かにどちらも臣たる立場では謝罪すべきことかもしれない。しかし、そんなことは玉葉の責任ではないし、今の浩瀚にとっては二の次三の次の問題でしかない。

 「玉葉、陽子はどこだ」

 即座に応えが返らないもどかしさに、再度たずねたその口調には少々の苛立ちが交じった。しかしそれでも玉葉の口からはわけのわからぬ謝罪が漏れるばかりで、いっかな浩瀚の質問に応えない。

 「玉葉!」

 浩瀚はついに業を煮やした。気持ちのやり場を失くして、浩瀚は詰め寄るように玉葉の肩をつかんだ。

 「答えよ!」

 「―――侯、お静まりを」

 震えるばかりの細い肩を荒々しく揺さぶった浩瀚を桓がとどめた。

 「ひとまずは中へ。……ここは人目が多すぎます」

 指摘され、浩瀚はようやく周囲の視線に気づく。州侯が突然乗り込んできたということだけで周囲はざわめき、何事かと注目しているのに、その中で女性の行方をたずねて浩瀚が取り乱せば、人々の興味をひきつけないわけがない。

 浩瀚はふうっと長い長い息を吐き出すと、つかんでいた玉葉の肩から手を離し、ゆっくりと立ち上がった。それを見て、桓がすかさず浩瀚を建物の中へと誘導する。

 「玉葉。あんたも中へ」

 その言葉にようやく顔をあげた玉葉の顔は、血の気が引いて真っ白だった。

 建物の中に入って玉葉のその表情を見た浩瀚は正直ぎょっとした。彼女のこんな顔は見たことがなかったし、死人のようなその顔つきに不吉なことを想像しないわけにはいかなかった。

 「―――死罪をお申し付けくださいませ」

 改めて浩瀚の前に進み出た玉葉は、深々と伏礼すると開口一番述べたことがそれだった。浩瀚の不安と不吉な予感がいっそう膨らんだ。浩瀚の脳裏を考えたくもないことがぐるぐると回る。

 「仔細を報告してからだ」

 浩瀚が言い放つと、わずかな間があった後玉葉はようやく語り出した。

 「……船が港を出港したのは昨日の朝にございます。船は良い風を受けて快適に進み、何の問題もなく雁国烏合を目指しておりました。―――事件が起きたのが昨夜、皆がそろそろ就寝しようかという時刻にございました」


 
       
 
 
       
 
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 玉葉の話を聞きながら浩瀚の表情は険しくなる一方だった。突然起きた船の異変、それが妖魔の仕業であると気付いた時の恐怖、乗客らの混乱と木の葉のようになすがままに揺れるしかない船の様子。それらが浩瀚の脳裏に鮮明に浮かび上がった。

 「私は、助かるには海に飛び込んで、散乱する荷物の影に隠れるしかないと思いました。しかし、陽子は夜の海に飛び込むのをとても怖がって、船べりに必死にしがみついていました。その時船がひときわ大きく揺れて、私だけが海に投げ出されてしまったのです。……それが、私が陽子を見た最後にございます。必死に船へ、陽子のもとへ戻ろうと試みましたが、荒れる海の波にはばまれむしろ体は船から遠のいていくばかりでした。そうこうしているうちに、船は海にのみ込まれて―――」

 浩瀚はきつく目を閉じて、玉葉の語る状況を頭の中に再現した。暗くうねる夜の海。陽子がそれを怖がるさまは容易に想像できた。大の大人であっても、夜の海に飛び込むには覚悟と勇気がいる。結果、船にしがみついた陽子は、沈みゆく船とともに海にそこへと引き込まれていく。下へと沈む船の渦に飲まれてしまえば、自力で海面へと浮上するのは困難だろう。

 暗い海の底へと引きずり込まれていく陽子の姿がまぶたの裏に浮かびそうになって、浩瀚は目を開けた。

 「船が沈んだ後の様子は?周りはどういう状況だった?」

 玉葉の肩がまた震えた。

 「その後は意識がもうろうとしていて、気がついた時には救助に駆け付けてくれた船の上でした」

 玉葉は苦痛に顔をゆがめながら、その時の様子を浩瀚に語った。

 玉葉を助けてくれた船は、玉葉らの乗る船が妖魔に襲われているのを遠くから目撃していた船だった。そのまま通り過ぎることも考えたそうだが、妖魔が去るのを確認した後、生きている者がいるかもしれないと救助に駆け付けてくれたのだ。船には玉葉のほか三人の者が助けられていたが、陽子の姿はなかった。それに気がついた玉葉は、陽子をさがしてくれと頼みたかったが、冬の冷たい海に身をさらしていた玉葉の体は、まったく言うことをきかず、起き上がることはもちろん、言葉を発することさえできなかったという。

 「船の者達は、これ以上は生存者はいないようだと話しておりました。でも、辺りはまだ暗く、松明の明かりで照らしただけの捜索では、充分に捜しきれたとは思えません。あの時私が、絶対に見つけてくださいとお願いできていれば、今頃陽子はここにいたはずですのに!」

 玉葉はついに声をあげて泣き始めた。

 生還して喜び安堵すべきはずなのに、玉葉は生きて帰って来てしまった苦しみを全身から発していた。浩瀚も桓もそんな玉葉を直視することができずに、思わず視線をそらす。玉葉の無事の生還を喜べない心情が、より一層浩瀚を苦しめた。

 
       
 
 
       
 
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 妖魔の襲撃。沈んだ船。冷たい冬の海。どれをとっても陽子の生存は絶望的に思えた。仮に陽子が自ら海に飛び込む決心をつけていたとしても、果たして只人の身で冬の海の冷たさに耐えられたかはわからない。それでも―――。

 「侯、どちらへ」

 浩瀚が踵を返すと、慌てたように桓が叫ぶ。

 「現場に決まっている」

 不機嫌に答えて、浩瀚はひそかに眉をひそめた。己の発した言葉が「陽子のところへ」ということと同じ意味になることが、果たしていいのか悪いのか判断付かなかった。

 戸口まで歩いたところで、浩瀚はふと歩みを止めた。振り返って、未だ床に崩れ落ちている忠臣を見やる。

 「玉葉、そなたは再び雁に渡る準備をし、整いしだい出立せよ」

 「―――侯」

 「辞退は許さない。雁で計画していたことは必要なことであり、女官の多くを失った今、そなたを遊ばせておく余裕は麦州にはない」

 顔をあげた玉葉の顔は大きく歪んでいた。その苦渋の表情に、浩瀚は口もとを引き結ぶ。

 「……それに、陽子はひょっとすると雁へ向かうかもしれない」

 浩瀚は言い終えると、今度こそ部屋を飛び出した。騎獣にまたがり海へと飛び出す。あとはとにかく一直線に事故現場へと向かった。

 現場はすぐにわかった。凪いだ海の上のそこだけに、ごみのような船の残骸が散っていたからだ。その間に小舟が何艘か浮かんでいる。桓がその小船に向かってゆっくりと高度を下げて行くのに、浩瀚は続いた。

 「青将軍!」

 「敬礼はいい。それより、生存者は見つかったか?」

 「いえ。今のところ発見したのは男性が二名で、どちらも死亡していました」

 「沈んだ船の方は捜索できそうか?」

 「何人か潜らせましたが、素潜りではさすがに無理な深さです」

 「―――では、海底の捜索は無理ということか?」

 浩瀚が口を挟むと、桓が少々難しい顔をした。

 「潜水具という海に潜って作業するときに使う装具がありますが、これまでは座礁した船の浸水した部分を探索する時などにしか使ったことがなく、水深の深いところで使用できるかどうかは試してみないことには何とも言えませんね」

 「試してみる価値はあるか」と浩瀚が呟くと、さっそく桓?が部下に指示を出す。それを聞くともなしに聞きながら浩瀚は大海原を見渡した。そして思う。どうしてあの時陽子を手放してしまったのか。どうして雁へ行かせるのがいいと思ってしまったのか。どうしてあの時、自分のものにしてしまわなかったのか。後悔ばかりが浩瀚の胸を渦巻いていた。

 
       
 
 
       
 
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 ぴちゃん、と頬に落ちた冷たい何かに陽子は意識を取り戻した。ゆっくりと重いまぶたを持ち上げる。しかし、かすむ視界はうまく像を結ばず、しかも差し込んできた光が目に痛くてすぐに閉じた。同時に身体を少しひねろうとしたが、まるで鉛ででもできているかのようにぴくりとも動かない。耳が何かの雑音を拾うがうまく聞きとることができない。かろうじて、布団のようなものに寝かされているらしいということは認識できた。

 ―――わたしは……

 もやがかかったような思考の中で、陽子は己に身の起きたことを振り返ろうとしたが、激しい頭痛がそれを邪魔する。

 ―――妖魔に襲われて。船が沈んで。……それで。

 「いや、まだだ!」

 耳元で突然大きな声がした。ぼんやりと意識をさまよわせていた陽子の心臓がびくりと跳ね上がる。一気に心拍数が上がると、「あ!」とまた同じ大きな声が響いた。

 「今、目が開いた!チョウビ!チョウビ!」

 「うっせー、聞こえてる!」

 遠くからもう一つ声がして、近づいてくる気配を感じ取った。どちらも聞いたことがない声に、陽子は身を固くした。

 「おい、起きてんだろ!」

 責めるような口調と共に、肩が乱暴に揺さぶられる。寝たふりをしていると思っているようだが、目を開けようにも、身体のどこも陽子の思うままにならない。

 「女性をそんな乱暴に扱うんじゃねぇ」

 「だってよぉ!」

 「まだ意識がはっきりしてねぇんだよ。でも、目が開いたってことは、もう大丈夫ってことだろ」

 「死なないってことか」

 「峠は越えたってことだな。妖魔に襲われて生き残るなんて運のいいこった。―――なぁ、あんたは妖魔に襲われた船の残骸に乗っかって海上を浮遊していた所を通りかかった俺達が助けたんだ。俺達の船は巧に向かっている。どこに行きたかったのかは知らないが、まあ、ひとまずは命があったんだから今はそれで良しとするんだな。俺達の船は途中浮濠によって阿岸を目指す。阿岸まではあと二日はかかる。それまではどうしようもねぇんだから、ゆっくり寝てりゃいいさ」

 後半は、陽子に語りかけているような口調だったが、おそらく陽子に聞こえていようと聞こえていなかろうと、関係ないに違いなかった。

 陽子にしてみれば、フゴウも、アガンも聞いたことがない地名だったが、現状が何となくでもわかったのはうれしかった。それに、港につきさえすればそこから雁か慶に向かう船を捜せばいい。安堵感が陽子を再び深い眠りへと引きずり込んでいった。


 
       

   
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