妖魔の襲撃。沈んだ船。冷たい冬の海。どれをとっても陽子の生存は絶望的に思えた。仮に陽子が自ら海に飛び込む決心をつけていたとしても、果たして只人の身で冬の海の冷たさに耐えられたかはわからない。それでも―――。
「侯、どちらへ」
浩瀚が踵を返すと、慌てたように桓魋が叫ぶ。
「現場に決まっている」
不機嫌に答えて、浩瀚はひそかに眉をひそめた。己の発した言葉が「陽子のところへ」ということと同じ意味になることが、果たしていいのか悪いのか判断付かなかった。
戸口まで歩いたところで、浩瀚はふと歩みを止めた。振り返って、未だ床に崩れ落ちている忠臣を見やる。
「玉葉、そなたは再び雁に渡る準備をし、整いしだい出立せよ」
「―――侯」
「辞退は許さない。雁で計画していたことは必要なことであり、女官の多くを失った今、そなたを遊ばせておく余裕は麦州にはない」
顔をあげた玉葉の顔は大きく歪んでいた。その苦渋の表情に、浩瀚は口もとを引き結ぶ。
「……それに、陽子はひょっとすると雁へ向かうかもしれない」
浩瀚は言い終えると、今度こそ部屋を飛び出した。騎獣にまたがり海へと飛び出す。あとはとにかく一直線に事故現場へと向かった。
現場はすぐにわかった。凪いだ海の上のそこだけに、ごみのような船の残骸が散っていたからだ。その間に小舟が何艘か浮かんでいる。桓魋がその小船に向かってゆっくりと高度を下げて行くのに、浩瀚は続いた。
「青将軍!」
「敬礼はいい。それより、生存者は見つかったか?」
「いえ。今のところ発見したのは男性が二名で、どちらも死亡していました」
「沈んだ船の方は捜索できそうか?」
「何人か潜らせましたが、素潜りではさすがに無理な深さです」
「―――では、海底の捜索は無理ということか?」
浩瀚が口を挟むと、桓魋が少々難しい顔をした。
「潜水具という海に潜って作業するときに使う装具がありますが、これまでは座礁した船の浸水した部分を探索する時などにしか使ったことがなく、水深の深いところで使用できるかどうかは試してみないことには何とも言えませんね」
「試してみる価値はあるか」と浩瀚が呟くと、さっそく桓?が部下に指示を出す。それを聞くともなしに聞きながら浩瀚は大海原を見渡した。そして思う。どうしてあの時陽子を手放してしまったのか。どうして雁へ行かせるのがいいと思ってしまったのか。どうしてあの時、自分のものにしてしまわなかったのか。後悔ばかりが浩瀚の胸を渦巻いていた。
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