きらきらとした柔らかい日差しが降り注ぐ。その光の中で、庭院の木々がそよ風に新芽を揺らしている。時折窓から入ってくるその風は、みずみずしい若葉の匂いを乗せて陽子の鼻をくすぐる。
春真っ盛りの金波宮。
穏やかな陽気に包まれて、陽子は今日も仕事に精を出す。
「失礼します」
その声に顔を上げれば、いつもの如く涼しげな表情を浮かべた男がひとり。王の視線を受けて、ゆったりと拱手する。
「随分はかどっておられるご様子」
「浩瀚は嫌みだな」
「これは申し訳ありません」
浩瀚はくすくすと笑って、陽子に歩み寄った。
「しかしそれを終わらせて頂かねば、外出を許可できません」
「―――わかってる」
陽子はちょっとすねたように呟いて、ぽんっと御璽を押す。それを裁可済みの束に重ね、改めて浩瀚に向いた。
「で、まさか新たな仕事を持ってきた訳じゃないだろうな。終わらせる端から積み加えられたら、いつまで経っても終わらない」
その言い方が愛らしく、浩瀚は笑みを深くする。
「ご心配には及びませんよ。ただ、随分気にされていたようですので、早くご報告したがよいかと思いまして」
「ということは、武州から報告が来たか」
「はい」
差し出された書簡を、陽子は急くように受け取る。そして、はやる気持ちを落ち着かせるように一度深呼吸をしてからゆっくりと書簡を開き、そこにつづられた文字を丁寧に追った。
まだ時間は掛かるが、ひとりでも随分読めるようになった。それでもあわてると意味を取り違えたりしてしまうので、注意が必要なのだ。
ゆっくりゆっくり、丁寧に文字を追う。
そこに書かれているのは、武侯を直接手にかけようとしていた者達の処遇。すべてを武州の州官に任せ、結果のみを報告するように伝えていたのだ。そして一番陽子が気にしていたのは、実行犯の中心的存在だった夙悟のことであった。
彼は、官吏になるのが夢だったようだ。幼い頃から聡明と近所には評判だったらしく、少学まで進んでいたという。しかし突如出された女人追放令。母ひとり子ひとりの彼は、一時学業を中断して母と共に巧へと流れたようだ。その時の過酷な生活で、母は体を患った。新王践祚の報に慶へと戻ってきたが、病気の母の看病をしながら生活費を稼ぎ勉強を続けるなど無理なことであった。
それでも母がいる内は真面目に生活をしていたようだ。しかし、母が死ぬとたがが外れた。悪さをして金を稼ぐようになり、持ち前の頭脳は悪事に使われるようになった。そういう中で、魯将軍の手下に見いだされたようである。
しかし、もういい加減そんな生活から足を洗いまっとうな生活をしようと、これで最後にしようと思っていたようだ。
彼いわく、共に生きたいと思える相手を見つけたのだ、ということだったが
「―――そうか」
陽子は書簡を読み終えて、小さく息をついた。
ついっと目をそらして窓の外を見やれば、そのまぶしさが目にしみた。
「人間万事塞翁が馬だな」
「それは?」
「向こうの故事。もともとは崑崙から伝わったものでね。世の吉凶禍福は転変常なく、何が幸で何が不幸か、予測しがたいことをいうんだよ」
「なるほど。災い転じて福となすと言うところですか」
「そうともいうね」
二人は顔を見合わせて微笑した。
「武州州宰思明という者は、随分使えるようだ」
「お気に召されましたか?」
「・・・・・・その言い方は、どうやらお前にとっては想定内のようだな」
「ご不快でしたか?」
「うーん、どうかな。でも、お前はきっとありとあらゆる事を考えているんだろうから、お前の想定外のことをすることの方が難しそうだ」
「そうでもございませんよ。主上は、私ごときには思いもつかないことをしょっちゅうなさいますので」
「…・・・それ、絶対褒めてないだろう」
「感服してはおりますよ」
「―――やっぱり褒めてない」
すねたように口をとがらせたその姿が愛らしくて、浩瀚の目元がついゆるむ。
「では主上。そろそろご政務にお戻りくださいませ。いつまで経っても外出できませんよ」
「そうだった。では、これ読んでくれる。ちょっと意味がわからないところがあってさ」
「はい」
執務室に、朗々とした浩瀚の声が響く。
営々粛々。金波宮は今日も異常なし。
赤楽四年、初春、武州にて蝕起きる。被害甚大なりて、武州の民甚だ困窮す。
困窮極まりて、民武侯を恨み、反意を示して侯を除かんとす。王憂えて民の心なだめ、救済の道整え民を救く。
その動き迅速なりて民大いに感謝し、王に初穂を捧げてその謝意となす。
『慶史赤書』
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