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  - 序 -
 
     
 

 世界中央に位置する黄海。その四方を四つの広大な内海が取り巻いている。そのうち東方、青海を行く一艘の船があった。
 慶東国は麦州、清谷の港から出航したその船は、沿岸沿いを一路、雁州国烏合を目指していた。
 船に当たって砕ける白波と明るい海の青との対比も鮮やかに、帆船は穏やかな海上を順調に滑るように進む。その船縁に、海風を受けて立つひとつの影があった。
 少年とも少女ともつかぬ格好のその人物は、先ほどから行く手を見据えたままぴくりとも動かない。
 はっとするほど鮮やかな緋色の髪だけが、風に吹かれて揺れていた。


 潮の香りがする。
 陽子はそれを深く吸い込んで、始めてこの海を渡った時のことを思い出していた。
 あまりに懐かしく、そして、もう随分と昔の事になってしまった記憶。あの時と変わらず海は青かったが、あの時感じたほどの感動はもう受けることはなった。
 ただ、自嘲めいた気持ちだけが浮かぶ。
 ―――王になるためにこの海を渡り、王をやめるためにまたこの海を渡る。これが天の配剤というやつなのかもしれない。
 陽子の目的地は、烏合ではない。烏合から船を乗り換え、臨艮に向かう。そしてさらに向かうは対岸の地、艮県。
 陽子が用があるのは、その艮県にある令艮門だった。
 もうすぐ訪れる安闔日。その日、黄海に入るための唯一の道、四令門の内のひとつ令艮門が開く。
 陽子は、その令艮門から黄海に入ろうとしていた。
 

 黄海に用がある者は、主に二種類の人間しかいない。
 自ら王たらんとし、天意を諮るために蓬山を目指す所謂昇山者か、黄海にいる騎獣を狩るために黄海をさすらう者かのどちらかだ。
 しかし陽子は、そのどちらでもなかった。
 陽子の目的は、黄海を渡って蓬山を目指し、蓬山にて退位を申し出ること。つまり禅譲。
 過去の例を見れば、騎獣に乗って雲海上をいくところであろうが、陽子は黄海を自らの足で渡ってそれをなそうとしていた。
 ―――歴史に名が残るかな。
 今の陽子には、それがやたら痛快に思えてならなかった。


 
 

  
 
 
     
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