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  - 終 -
 
     
 

 景麒は、王気が近づいてくるのを感じて目を伏せた。
 麒麟にとって、王の側にあるのは無条件でうれしい。しかし今の景麒には、どんな感情を持ってそれを迎えればよいのかわからなかった。
 距離からすれば、今、青陽門をくぐった辺りだろうか。
 なればあと四半刻もしないうちに、己のいる宮にやってくるだろう。
 喜びの再開。その時が、別れの時だ。
 ―――王気は、未だこんなにもはっきりと感じ取れるほど強いのに。
 景麒は、軽く頭を振った。
 主の告白を聞いた時から、ここへ来ることは決めていた。絶対に来るなと言われなかったことに、密かに安堵もしたのだ。
 お連れ下さるか。
 それは喜びであると同時に、悲しみでもあった。
 景麒は、主が今回のことを如何に計画的に進めていたか知っている。なぜなら、あの祭事嫌いの主が、ずっと「冬至を楽しみにしている」と周囲に漏らしていたからだ。
 三百年目の節目となる冬至。周囲の者たちも、さすがに節目の年とあって主上も楽しみにされているのだと信じて疑わなかった。だから、冬至前に王が出奔しても、すぐに戻ってくると思っていたのだ。
 あれだけ楽しみにしていたのだから、絶対に戻ってくる、と。
 側近達が不審に思い出したのは二日前。実際に行方を追い出したのは、わずか一日前だった。そして主は、そうなることを見越していたのだ。
 戸の向こうで声がする。
 「ああ、ありがとう。ここでいいよ」
 懐かしい主の声。案内してくれた女仙に礼でも言っているのだろう。そういうところも、ちっとも変わらない。
 なのに、なぜ主は死へ向かうのか。
 わからないから目を伏せる。
 昔、自分は出来損ないの麒麟なのだと泣いた幼い麒麟がいたが、むしろ自分こそが出来損ないだと景麒は思う。三百年も主に仕えて、未だ主の心がわからない。
 でも、きっと何かが苦しいのだと思う。それでなければ、自分に課せられたものを放棄するような主ではないのだ。そうせねば成らないほど、主の心は苦しんでいた。しかしその苦しみに気づかず、また、苦しみを吐露することさえしてもらえず、ただただ主のやさしさに守られて、それで良しとして疑うことすらなかった。
 主の麒麟が自分ではなかったら、主の心を救ってやれるのだろうか。
 扉が開く。
 久しぶりに間近で感じる王気。
 房間に吹き込んでくる風に、見慣れた赤い髪が翻った。
 「やあ、景麒。絶対いると思ったんだ!」
 主はそう言って、信じられないくらいの笑顔で駆け寄ってくると、思い切り景麒を抱きしめた。


 「――――――――――主上?」
 「うん?」
 景麒は、今までされたことがない固い抱擁に戸惑いつつ、これが主なりの最後の別れの仕方なのだろうかと、己も主を抱き寄せる。
 思った以上に細い肩。この肩に重責を担い、三百年もの間、国と民を守ってきたのだ。
 蓬莱に迎えにいき、攫うようにして連れてきた少女。あの時、こんなにも長く共にあれるとは思いもしなかった。
 「今まで、ありがとうございました」
 耳元でささやけば、少女はくすりと笑った。
 「私もね。お礼を言うよ、景麒」
 ありがとう。
 呟かれた言葉は、小さな頭を胸に抱き寄せることでかき消した。
 「…………でね、景麒」
 「―――――――はい」
 「ここまで旅をしてくる間に、ふと思い出したことがあるんだ」
 その言葉に、頭を抱きこんでいた腕を腰へとずらせば、少女は身を反らせるようにして景麒を見上げた。
 「みんなにも、お礼を言うのを忘れてた」
 主が何を言いたいのか。景麒は黙って先を待つ。
 「でね。今まで散々お世話になったのに、お礼も言わないなんてやっぱり気になるだろう。―――――だからね」
 そして少女は少しはにかむようにして笑った。
 「禅譲はやめだ」
 その言葉に景麒は軽く目をみはる。
 「ついでにやることも出来た」
 「………やること?」
 「雁の新王に、即位式に行くって約束しちゃった。だから、約束を果たしにいかなくっちゃね」
 「………新王が、立たれたのですか?」
 「うん。まだ、門の辺りは大騒ぎじゃないかな。私達が蓬山に着いたら、門前まで麒麟が迎えに来てたんだ。で、みんなが見ている前で契約を交わしてさ、そりゃあものすごい騒ぎだったよ。で、女仙のひとりが、景麒が待ってるって教えてくれたから、どさくさにまぎれて抜けてきた」
 「……それは」
 景麒は、ニコニコと笑う主の美しい翠玉の瞳を覗き込む。
 天の配剤という言葉がある。
 まさしく今回のことを、そう呼ぶのだろう。
 きっとこの少女が、禅譲するのに黄海を渡ろうと思ったときから、二人の出会いは、天によって仕組まれていたのだ。
 「では、早急に祝いの品を用意せねばなりませんね」
 「うん。でも、新王は姜家のお坊ちゃんで結構な目利きだからな。何にするか、相当難しいと思うよ」
 「諸官に諮ればよい案が出ましょう。では、金波宮に戻りますか」
 「よし!戻りがてら旅の話を聞かせてやるよ」
 「それは楽しみです」
 景麒は少女の額に口付けをひとつ落として、穏やかに微笑んだ。

 
 

  
 
 
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