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 「 迷い人 2 」(後篇)

 
     
 

 おかしい、と気づくまでさほどの時間は要さなかった。
 庭園をぐるりと一巡り、そうすれば再び掌客殿の明かりが見えてくるはずである。なのに、それがいっかな見えてこない。焦って来た道を戻ったのがそもそもの間違いなのか。小庸は夜の王宮で完全に迷子になっていた。
 しかし、どんなに行ったり来たりしてみても道は一本。ならば少なくとも、戻れば元の場所に戻るはずなのだが。
 「……しまった。呪がかかっていたか」
 小庸ははっと気づいて思わず舌打ちした。
 王宮の深奥では、敵の侵入を阻むためにあちこちに呪が掛けてあることがある。慣れた故国の王宮なれば、どこにどんな呪がかかっているか、もはや体に染みついて意識することもないゆえにうっかり失念していた。
 「さて、如何にしたものか」
 小庸は頭を抱えた。
 王宮に掛けられるこのような呪は主に二種類に分かれ、体力を消耗したところを捕まえるためにぐるぐると同じところを巡らせる種類のものと、捕獲のための場所に誘導させる種類のものとがある。前者ならば動き回るだけ無駄であり、後者ならば事情を話せば助けてもらえるかもしれないというわずかな希望はあるが、間違いなく芳国の体面に傷がつく。
 どちらも避けたい事態だ。
 ただひとつ望みがあるとすれば、このような呪は、日が沈むと作動するようになっている場合が多いこと。つまりは、日が昇れば自動的に呪は解除され、戻る道が見つかるかもしれないということだが―――
 「それより先に、彼らが騒ぎだすかもしれぬな」
 小庸は自分の帰りを待つ掌客殿の面々を思い出し、深く深く息をついた。
 軽はずみなことをしてしまったと悔いても今更遅い。
 さて、如何にしたものか。
 小庸は文字通り頭を抱えて、その場にしゃがみこんだ。
 がさり、と草を踏み分ける人の気配がしたのはその時であった。


 「どうした。気分でも悪いのか?」
 突然にかけられた声に小庸は驚いて飛び上がった。いつの間に現れたのか、目の前にすらりとした体躯の少年が立っていて、どことなく心配げに小庸を見下ろしていた。
 「大丈夫か?」
 「あ、ああ。何でもない。大丈夫だ」
 小庸は言って立ち上がると、一気に跳ね上がった心臓をなだめるように胸を押さえた。少年はそんな小庸の様子をじっと見つめながら、
 「大丈夫ならいいんだが……」
 と呟く。
 それにしても、この少年は一体何者なのだろうか。
 質素な袍子(のらぎ)を纏い、長い髪を無造作にひとくくりにした少年だ。庭師なのだろうか。しかしそれにしては、揺らぎないまっすぐな視線を向けてくる少年だと小庸は思った。人に平伏することに慣れている階層の人間は、貴人そうに見える相手であるだけで恐れて顔を伏せ、受け答えもろくにできなくなるのが常。こんなふうにしっかりと顔を上げて相手と視線を合わせたりはしないものだ。
 だが、それは芳国にだけ言えることで、慶では違うのかもしれない。特に慶は胎果の王を迎え、確か初勅で伏礼を廃した。
 「ところで、こんな夜更けになぜこんな所にいるんだ?」
 少年が不思議そうに問う。もっともな疑問だと小庸も思った。
 「少し散歩するつもりが迷ってしまったのだ」
 下手に言い訳するのもつまらぬかと思い小庸は正直に答える。すると少年は、星明かりの中でもはっきりとわかるほど目を見開いた。
 「散歩?一体どこから散歩してくればこんなところに迷い込むんだ?」
 半ばあきれたような声音に、小庸はぴくりと反応した。
 「こんな所?ここはその、みだりに入ってはいけない所かね」
 「ひょっとして自分がどこにいるかもわかっていないのか?」
 少年は呆れたようにわずかに肩をすくめた。
 「ここは路寝だぞ」
 その言葉に小庸はぎょっとした。路寝と言えば王の私室である正寝や麒麟の住まいである仁重殿を含む王宮の中枢だ。高官と言え気軽に立ち入れる所ではなく、ましてや許しのない客人がまかり間違っても足を踏み入れてよいところではなった。
 「な、な、な…」
 言葉にならぬ声を上げ、小庸が狼狽しきっていると、少年は星明かりの下でもはっきりとわかるほど苦笑した。
 「どうやら相当思いがけないことだったみたいだな」
 腰が砕けるようにへなへなとその場に座り込んでしまった小庸に、少年は手を差し伸べて笑う。
 「きっと呪が変なふうにかかってしまったんだろう。外殿まで送ってやる。それで大丈夫か?」
 小庸は頷きを返すのが精いっぱいだった。


◇     ◇     ◇


 よどみない足取りで少年は夜の庭院を先導していく。しかし、迷い込むときは信じられないほどあっさりだったのに、戻ろうとすれば以外なほど困難だった。
 「ああ、だめだ。あそこにも見張りがいる」
 もう何度目かになるその言葉を呟いて、少年は小庸に止まるように促した。
 言われるたびに小庸にはどこに見張りがいるのか気配さえ感じないのだが、この少年にははっきりとその存在がつかめているらしい。
 「これ以上行くと確実に見つかる」
 そう呟いては迂回路を捜すのだ。
 だが今度はそう簡単にはいかないのか、少年は辺りの気配をじっと窺う様子を見せながら、何やら考え込んでいるようだった。
 最初こそ自分の犯した失態に茫然自失していた小庸だったが、不思議な少年と夜道を行くこのちょっとした冒険をいつの間にやら楽しく感じるようになっていた。ずっと昔の幼い頃に、子供だけで行ってはいけないと再三言われていた近所の里山の中にある池まで冒険した時の、わくわく感とどきどき感が妙に懐かしく思い出された。
 あの時も、行きはよかったが帰りに迷った。しだいに日が沈み辺りが薄闇に包まれてくる。最初こそ意気揚々としていた一行なのに、暗くなれば急に心細くなって誰もが無口になった。やがて、皆の頭の中は不安で一杯になり、その不安のやり場を失くして誰ともなくこの冒険を言い出したがき大将の少年を責めた。するといつも威張っていたその少年は言い返しもせずに黙りこみ、何かに耐えるように唇を引き結んだまま。それに勢いづいてさらに少年を責め立てれば、少年の目から涙がポロリとこぼれ落ち、それを引き金に少年はひと目も気にせずしゃくりあげるように泣き出したのだ。まさかこの少年がそんな姿を見せるなど誰も想像できず、小庸やほかの子らはびっくりして、皆しばし唖然としてしまったが、それから皆ふと我に返り、泣きじゃくる少年をなだめながら何とか道なき道をかき分けて下山したのだ。その下山途中で自分たちを捜している里の大人たちに発見されたのである。
 そのあとは、両親ほか里の大人たちに随分大目玉を食らって、自分たちの軽率な行動を深く反省した小庸であったが、冒険したことに対しては後悔なかった。あの経験により仲間ときずなが深まり、なにより怖くてとても逆らえないと感じていたがき大将の少年に親しみを感じるようになったからだ。事実彼とは、少学に入るまでは誰よりも親友であった。
 「なあ、おい。聞いているのか?」
 思い出に浸っていた小庸は、強い呼びかけに我に返った。はっとして視点を合わせれば、強い双眸が小庸を覗き込んでいた。
 「すまない。少しぼうっとしていた」
 小庸が謝ると、少年はふうんと小さく息を吐いて、腕を組む。「まあ、いいけどね」と呟いて、少年は小庸に改めて問いかけた。
 「そもそもどの辺りから迷い込んだんだって聞いたんだ。外殿に通じる場所はどこも見張りが立っている。今日は来客があっているから、どうやらいつもより警備が厳重みたいなんだ。これだけ見張りが立っていたら、お前が迷い込む前に声をかけてきそうなものなんだが」
 「ああ、それなら掌客殿のそばだ。実は掌客殿の目の前まで送ってもらったのだが、部屋に戻る前に少し散歩をと思ったらいつの間にか迷子になっていて」
 「―――ってことは、ひょっとしてあなたは芳からの客人なのか?」
 「……そういうことになるかな」
 小庸が申し訳なさそうに答えると、少年は何やら複雑な表情を浮かべて天を仰いだ。
 「事情がよくわかったよ。実はあの辺りは路寝から西園へ行くための抜け道が作ってあるんだ。その呪のかかった道に踏み込んでしまったんだろう」
 少年の説明に小庸は勝手に想像を巡らせて頷く。西園は、先ほど訪ねた太師邸があるところだ。黎明期の王朝においては太師の役目も重く、王に請われて太師が路寝へと赴くことも多いことだろう。そのため西園と路寝との結ぶ特殊な呪が掛けられていたのかもしれない。
 「掌客殿へなら、こっちだ」
 少年の指示に小庸は頷いた。


 しばらくして、辺りの景色に見覚えのあるような気がすると思っていれば、少年が足を止めて小庸に告げた。
 「ほら、あそこが掌客殿だ」
 そう言って闇夜に光る明かりを指さす。
 それを眺めて小庸は安堵の息をついた。
 「助かった。本当に礼を言う」
 「なに、困った時はお互い様だ」
 「お互い様ならばいいのだが、そう言ってもらっても、返せるものがない身が辛い」
 小庸が言えば、少年はわずかに苦笑した。
 「そうでもない。今日一日待ちぼうけを食ったのだろう?芳国の方々は怒って当然だと思うが、その怒りを納めてくれるとありがたい」
 少年の意外な言葉に、小庸は思わず少年を見つめた。庭師らしい少年からそんな言葉を聞くとは思いもしなかった。
 そしてしみじみ思う。
 「慶はよい国であるな」
 「は?」
 「そしてそれはきっと景王のご人徳の賜物なのであろう。慶は本当に良い王を戴いたものだ」
 きょとんとする少年に小庸は笑む。
 「今日は、急な予定変更に対する詫びをいろんな方にしていただいたが、立場も身分も違う彼らの態度は誰もが儀礼的なものではなく、同時に景王君に対する敬愛の念にあふれていた。王と臣とが信頼で繋がっているのだと心底感じる。そういう国を良い国といわず何と言おうか。それに景王君は慈悲深くいらっしゃる。それで芳がどれほど救われたことか」
 「買いかぶりすぎだ」
 小庸がとうとうと力説すると、少年はなぜか複雑そうな表情をした。
 「芳に対する援助をしたといっても、本当にささやかな程度だ。あの程度の物資を送っても焼け石に水。何の助けにもならないだろう。自己満足だ」
 「そんなことはない。芳は虚海に囲まれた国。何よりも孤立することを恐れる。日々妖魔の数が増え、いつ世界から切り離されるかと怯える中にあっては、他国から物資が届くというその事実がどれほどの支えになるか。量は関係ないのだ。気にかけてくれる者がいる。そのことが芳には大切なのだ」
 「……」
 少年はしばし何やら考え込むように黙り込む。そんな少年に小庸はさらに語りかけた。
 「それに、慶が送ってくれたのは食糧そのものというより、苗や種など。大事に育てれば幾倍にも増える。それに民は貧しければ、わかっていても種籾まで食べる。そんなときに送られてくる苗や種は、民を甘やかしすぎないのにも役立つ。食料を配れば与えられることに慣れてしまうが、苗や種なら自分で育てねば食えぬからな」
 「……そうか」
 「働かねば食えぬ。それはどんな時代にあろうとも当然のことだ」
 「役に立っているのならよかった。あなたは先ほど慶は王と臣とが信頼で繋がっていると感じるといったが、臣の誰もが王を信頼しているわけじゃない。芳への援助にも否定的な者もいる。そして彼らの言い分ももっともだと思う所もある。……だけど、距離の遠い近いに関係なく、困っている国があれば余力のある国が助ける。それが当たり前になれば、民は国の興亡に今よりもずっと振り回されずに済むだろう」
 「―――そなた」
 「さあ、話はここまでだ。もう部屋へ戻った方がいい。あなたの帰りを待つ方々が、そろそろ心配しだすかもしれない」
 少年は言って笑う。柔らかい笑みだったのに、これ以上何かを問うことを許さない、そんな雰囲気を発する笑みだった。
 小庸は仕方なく頷いて、再度の礼を述べると掌客殿に向かって歩き出す。その背に少年の最後の言葉かかかる。
 「もう、迷子にならないようにな。明日は景王と会えるだろう」
 振り返ればもうそこに少年の姿はなかった。

 翌日、少年の言葉通り小庸ら一行は景王への目通りが叶った。玉座に凛然と座る景王は、確かに年若くはあったが、王としての威厳と慈悲深さを兼ね備えて、小庸に目の眩しく映った。
 「遠路はるばる、慶まで来てくれてうれしく思う。これを機に二国の交流がさらに深まることを期待している。貴国に対しては十分とは言えない程度の援助しかできないが、これからもできる限りのことはしよう」
 誠実なその言葉は、小庸の胸を打つ。小庸は慶に来ることができ本当に良かったと思った。
 「国主になり替わりましてお礼申し上げます」
 
 感動で胸がいっぱいの小庸が、そう言えばどこかで聞いた声だと思うのは帰国の途についたあとのことだった。


 
 
 
 

13万打記念。「迷い人」2をお送りました。
前回の「迷い人」が3万打記念だったので、なんとなくきりがよいかと(苦笑)
小庸が訪ねて来る設定は意外と前からあったのですが、どんな風に「迷子」にさせようか、というところで随分悩みました。 そして結局前回と同じようなパターン…

ちなみに陽子がどこへ行っていたのか、はまた別話で書きたいと思います。

 
   
 
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