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 「 迷い人 2 」(前篇)

 
     
 

 天地を貫く一本の柱。限りなく垂直に近い角度で聳えるその峰を視界に捉えた瞬間、小庸はほっとした安堵と共に湧き上がってくる緊張を抑えることができなかった。
 騎獣を操る手綱を持つ手が嫌でも汗ばむ。やけに咽喉が渇いてすぐにでも潤したかったが、わずかに震える手に、腰に下げた水筒を取り落とさずにいられる自信がなくてやめた。
 「大使、堯天山です」
 先導する州師将軍が振り返って叫ぶ。小庸はそれに頷きだけで返して唇を固く引き結んだ。
 小庸率いる慶国使節団は今、慶東国の首都堯天、その中央にそびえる堯天山の頂きにある金波宮を目指していた。彼らの目的は、芳国に対する長年の援助に対するお礼と同時に、崑崙に流されたまま行方知れずになっていた芳の麒麟の行方を捜し続けてくれたことに対するお礼を兼ねたもので、以前より芳国国主月渓がぜひにと考えていた訪問であった。
 だが先方の「無理はせずとも良い」というやんわりとした断りと、国内情勢からなかなか実現をみず、気づけば両国の国交が始まって十年以上という歳月が流れていたのである。その間慶国で即位十年の礼祭があり、それに合わせてという話も当然持ち上がったのだが、仮朝の使節が天命を受けた王の祝いに顔を出すなど相手を侮辱することになりはしないかと朝内で慎重意見が噴出し、その時はついに話が流れたという経緯もある。
 ようやくなった念願の慶国訪問。
 小庸の感動はひとしおであった。
 一行は、迫る堯天山を視界にとらえながら次第に高度を下げる。堯天の外れの閑地に降り立つと、時を計っていたかのように酉門の方から二人の男がやってくる。一足先に堯天入りし、今日の宿を調達しているはずの下官だった。
 「ああ、出迎えだ」
 小庸は騎獣から降りて、ようやく緊張を解いた。
 早く旅装を解いて風呂にでもつかりたい気分だった。


 「ここです大使。こちらが今宵の宿になります」
 案内されてたどり着いた宿は、かなり立派な舎館だった。四階建ての堅牢な建物で、入ったすぐの堂はかなりの広さの上に四階まで突き抜けた吹き抜け空間となっていた。天井からつるされた大きな明かりは見たこともない形をしており、玻璃の覆いをかけられた灯火がいくつも集まってひとつの形を成しているようだった。
 母国では冢宰という重役を拝命している小庸ではあるが、先代は質素倹約を旨としたし現在は細々と上がってくる税収から何とか王宮を維持している仮朝である、冢宰の官邸はもとより芳の王宮よりこちらの方が幾倍も豪奢で、小庸はその絢爛豪華さに驚きを隠せなかった。
 市井にこれほど立派な舎館が建つとは、慶は想像していた以上に復興しているようだ。国交を持つより以前は、遠くにあって風の便り程度にしか聞かぬ国ではあったが、それでも数代続いた短命な王朝のせいで慶が波乱含みの貧しい国であったということは小庸とて知っていた。
 こういった宿は当然、泊まる者がいるから建つ。つまりは、こういった高価な宿に泊まれるほどの富裕層が市井の中に出てきたということなのだ。
 これが、王を戴く国と戴かぬ国との差なのか。
 同じ十数年の歳月を経て、慶は前へ前へとどんどん進み、芳はその場で足踏みを続けている。いや、その場で足踏みを続けていられるならまだよい方で、じわりじわりと後退するのを何とか食い止めているありさまなのだ。
 小庸は思わず息をつく。そのため息を拾って下官が心配げに小庸を覗き込んだ。
 「いかがなさいました」
 その問いかけに小庸は何でもない、と首を振り改めて下官を見やった。
 「それにしても豪華な宿だな。……その、我々にはすこし贅沢すぎやしないだろうか」
 今回の慶国訪問に際して、国庫からは結構な経費が充てられていた。しかしそれでも年々少なくなる税収でどうにかこうにかやりくりしている仮朝の懐事情だ。経費は最低限で抑えることを心がけ、ここまでの道中、正直一国の正式な使節団が泊まるとは思えない安宿でやり過ごしてきた。
 そんな小庸の心配を察したように下官はわずかに笑みを浮かべた。
 「実は、主上のご意向なのです」
 「主上の?」
 思わぬ言葉が返ってきて、小庸はわずかに目を見開いた。
 「ええ、慶国では一番いい宿に泊まるようにと」
 その言葉に小庸は、ああと嘆息する。
 「一国の使節団が安宿に泊まっていると知れると国の体面を傷つけるばかりでなく、慶の官吏らに侮られるかもしれぬとご心配なされたのであろう。深いご配慮をなさるものだ」
 小庸が呟くと、「いえ、そうではなく」と下官は困ったように苦笑した。
 「大使のご性格から考えて、道中は安宿に泊まるだろうから、慶国に着いたら一番いい宿をとって大使を休ませるようにと。疲れの残った体で金波宮を訪ねるのは負担が大きいだろうからと」
 言って下官は小庸を促す。
 「ということで、主上のお心に添うためにも、今夜は大使にゆっくりと休んでもらわねばなりません。さあ、こんなところにいつまでも突っ立ってないで、さっさと部屋へ入って旅装を解いてください」
 小庸は驚いた顔で下官を見つめたが、下官は「抗議は受け付けませんよ」とばかりに笑顔で小庸の口を封じると半ば強引に小庸を部屋へ押し込んだのであった。


 ◇     ◇     ◇


 翌朝、小庸率いる使節団一行は、身なりを整えて慶の国府を訪ねた。
 国主月渓の計らいで上等な宿でゆっくりと体を休めた小庸に旅の疲れは微塵もなかったが、一行を出迎えに現れた慶の官吏、大行人たちに導かれながら宮城へと向かう小庸の表情は硬かった。
 祖国では冢宰という要職にあって様々な責任を負ってきた経験があるが、こうして使者として他国を訪ねるのは初めてのこと。しかも遠くにあって何の見返りも要求せずに芳を支援し続けてくれた大恩ある国への訪問だ。何か粗相をしやしないか、小庸は緊張していたのである。
 国主月渓の御心に添うためにも、此度の訪問で失敗するわけにはいかない。そんなことを考えながら小庸は、堯天山の内部を通る階段上の隧道を抜け、雲海を貫く巨大な山の、三合目、五合目、七合目と登っていく。そして最後の隧道を登って五つ目の門、路門を超えるとそこはすでに雲海の上であった。
 刹那、眩しいほどの陽光が小庸を穿つ。一瞬目がくらんだ小庸は、門前に人影があるのに気づくのが遅れた。
 「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
 その声にはっとして見やれば、門を抜けた先に出迎えの官が待っていて、若い男がにこやかに笑って立っていた。誰だろうと思っていると、
 「小国にて冢宰を拝命しております、浩瀚と申します」
 その言葉にぎょっとして、小庸は慌てて礼を取った。冢宰ほどの高官が門前まで出迎えに来るとは思ってもいなかった。
 「芳国が国主の命を受け、これまでの小国に対する貴国の御温情に対しささやかなれど御礼申し上げに参りました。大使を拝命しております小庸と申します」
 不意打ちを食らったような形で小庸は内心の狼狽を隠せずにいると、慶の冢宰はにこりと笑った。
 「ご丁寧なあいさつ痛み入ります。ただ、芳の方々には、実はお詫び申し上げねばならぬ事態が発生いたしました」
 「は?」
 「このまま外殿にて主上に謁見していただく予定であったのですが、少々急務が発生いたしまして」
 何となく嫌な予感を胸によぎらせていると、浩瀚と名乗った慶の冢宰は、一度ゆったりと会釈してから続けた。
 「まずは掌客殿にご案内いたします。しばしそちらでお待ち頂きますようお願い申し上げます」
 何が何やらわからぬまま、小庸ら一行はいわれるがまま掌客殿に移動するしかなかった。


 「……大使、これは一体どういうことなのでしょうか?」
 掌客殿へ移動し、女官からの簡単な歓待を受けた後、芳国の者だけが残された室内で小庸にそう問いかけてきたのは下官のひとりだった。
 「まさかここまで来て、景王君への拝謁が許されない、なんてことがあるのでしょうか」
 下官が心配そうな顔をするのも最もだ、と小庸は思った。もしそういう事態になれば、無理して自分たちを送り出してくれた主上に対し申し訳が立たない。
 予想していなかった事態に小庸も動揺を隠せなかったが、小庸は努めて冷静に答えた。
 「そのような結論を出すには早すぎるだろう。此度の訪問は国同士の話し合いによって正式に取り決められたもの。ここまで来て私たちを門前払いするとは思えぬが」
 「……仮朝だから侮られているのかもしれません」
 ぼそり、と下官は呟いた。刹那、
 「文鼎(ぶんてい)!」
 小庸は強いまなざしで下官を見やった。
 芳の官吏の中に、自分たちの仕える王朝が仮朝であることを必要以上に恥じる者たちがいることは小庸とて承知していたが、芳の王宮の中でそれを表だって口にする者はほとんどいなかった。自分たちが主にと選んだ月渓の手前、それを口にすることは禁忌であったからだ。
 仮朝であることを恥じることは、仮王の存在をないがしろにすることに繋がる。誰よりも仮朝であることを恥じ新王の登極を望みながら、皆の説得によって玉座を埋めている月渓をないがしろにすることは許されないことだった。月渓が仮王の座から降りてしまえば、それこそ芳は最後なのだ。
 だから下官が口にした言葉に、小庸は反射的に怒りや不快といった感情が湧いたのだ。それと同時に、下官の言葉の中に潜んでいる慶国の対応に対する不信感を見逃すことはできなかった。
 小庸は大きく首を横に振ると、下官の言葉を受け入れがたいと態度で示した。
 「少々予定が変わったぐらいのことでうがち過ぎであろう。それにそのような考え、大恩ある慶に対して不敬が過ぎる。慶国が我が芳国にどれほどの慈悲を与えてくださったかもう一度思い返してみよ。そなたの言葉を聞けば主上は大層心を痛められることだろう」
 普段温厚な小庸の強い語気に下官は驚いたような顔をしていたが、やがて自分の言葉を恥じるように頭を下げた。この下官とて月渓のことは崇敬しているのだ。その姿を見つめながら、わかればよいのだ、と小庸は言葉をつなぐ。
 「わざわざ冢宰殿が門前まで出迎えに来られたのだ。急な予定変更に対する誠意の表れと見るべきだ。それに、取り決めによって慶に参ったとはいえ、我々は半ば押しかけて来たようなもの。慶国の都合に合わせるのが筋というものだ」
 それで一旦は納得顔をした使節一行の面々であったが、それからいくら待てども、謁見の準備が整ったことを告げる官は来ない。さすがにこれは侮られていると見ても仕方ないのではないかと一行がざわめきだした頃、ようやくきた連絡は、今日はもう景王への拝謁はかなわないということと、それの代わりというわけではないのだけれども、という前置きのついた慶の太師の私的な宴への招待であった。


 ◇     ◇     ◇


 下官たちの不満や不信感を何とか抑え込んで、小庸は身なりを改めて金波宮西園太師邸へと向かった。慶の王朝を支える徳高い飛仙の噂は芳国にもわずかばかり噂が流れてきていて、じかにあって言葉を交わせるせっかくの機会を下官たちの不満を理由に小庸はふいにしたくはなかった。
 小庸が少々高揚した気持ちで太師邸を訪ねると、そこには見慣れた顔があって、小庸は驚きながらも懐かしさに顔がほころんだ。
 「おお、これは青将軍ではございませんか。ご健勝であられたか」
 「お久しぶりです、小庸殿。以前芳国を訪ねた折は大層お世話になりました」
 久々に会った懐かしい顔は、穏やかな笑みを見せながら丁寧に拱手した。青は、簡素な甲を身に付けた武官の風情であったが、芳国で対面した時同様穏やかな空気を纏っていた。
 「いいえ、それはこちらの台詞です。青将軍のお蔭で、我が芳国は主を失わずに済みました」
 「そんな、大げさな」
 好感のもてる笑みを見せる青に、小庸は大きく頭を振った。
 「いえいえ、大げさでも何でもありません。芳国の官吏は皆、あなた様に感謝しております」
 「何にせよ、なるようになったということでしょう。私の何かがひとつのきっかけであったとしても、すべては天の配剤というものです」
 「青将軍は相変わらず弁がお立ちになる」
 「よ、よしてください。しかも太師の前で。あとで何と言ってからかわれるかわかったものじゃありません」
 本気で慌てる青の様子に、小庸ははたと困り、その様子を眺めていた遠甫が助け船を出すように朗らかに笑った。
 「よいではないか、桓魋。褒め言葉は素直に受けておくものじゃ。さあ、大使も立ち話はそのくらいで。どうぞ席にお着きになられよ。ささやかながら我が歓待を受けてくだされ」
 その言葉に頷いて、小庸は勧められた席に座った。
 「今日は青将軍にも同席をお願いした。お二人は顔見知りらしいので、懐かしい話もあろう。それと給仕を手伝ってくれる鈴と祥瓊じゃ」
 太師の紹介に部屋の隅にいた少女が二人軽く会釈した。
 小庸は二人を見やる。いや、正確には群青の髪をした方の少女を。しかし少女は軽く視線を落したまま小庸を見ることはなく、小庸もまた、そのまま視線を太師へと戻した。
 「このような席を設けていただき、感謝いたします」
 「なに、ヒマな爺の話し相手を務めてもらおうという腹積もりじゃよ。覚悟なさるがよろしい」
 そう言ってどことなく茶目っ気を見せて笑う遠甫の様子に、小庸の顔にも自然と笑みが浮かんだ。
 「私も太師にいろいろ教えを請いたいと思っていたところです。太師もご覚悟のほどを」
 「さてさて、この爺にご教授できることがあるとよいのですが」
 こうして始まったささやかな宴は、始終穏やかに進んだ。


 「随分と長居をしてしまいました。そろそろお暇申し上げます」
 小庸が、そう言って席を辞した時には、もう随分と夜が更けていた。遠甫との話はとても有意義で、時間が経つのはあっという間だった。
 「いやいや、こちらこそ。長々と付き合わせてしまいましたの」
 小庸の拱手を受けて太師が穏やかに笑む。その姿を眺めながら、これでもし下官たちが心配しているような事態になったとしても、少々の無理をして自分を送り出してくれた月渓にいい土産話が出来たと小庸は思った。
 「いえ、太師の話随分ためになりました。これだけで慶国に参った甲斐があったというもの」
 「年寄りの戯言よ。話半分になさるがよろしかろう」
 そう言って声を立てて笑う。太師のその陽気さに小庸もまた笑った。少々御酒が過ぎているのかもしれない。鈴という名の少女が心配顔で世話を焼いている。しかし、心ゆくまで酒をたしなみ、大いに語って笑えるというのは実に幸せなことだと小庸は思った。
 これほど笑ったのは随分と久しぶりだ。祖国芳では、皆荒廃と戦うのに必死で笑う余裕がある者など誰もいない。
 「では、これで。失礼いたします」
 「大使。お送りいたしますわ」
 小庸が退席を告げると、宴席に同席していた群青の髪の少女がすっと立ち上がった。
 元芳国公主孫昭―――祥瓊。
 見違えるほどに成長したその姿に、小庸はそっと双眸を細めた。
 招かれた太師邸の宴席に祥瓊の姿があったのをそんなに驚かなかったのは、ごく私的な客人として、ということで呼ばれた時にある程度予想がついていたからだろうと小庸は思う。
 宴席にて、何くれとなく芳国のことを聞かれるのかと思ったが、彼女は特に何かを問うでもなく、また身の上について話をするでもなく、控えめに同席して宴席の給仕にいそしんでいた。その姿はもはや小庸の知る公主孫昭の影は微塵もなく、「人は変わることができるのだ」という将軍の言葉が妙に懐かしく小庸の胸によみがえったものである。
 「いえ。大した距離ではありませんので、一人で大丈夫です。それよりも太師のお世話を」
 「それは、鈴に任せておけば大丈夫ですわ」
 少女はにっこり笑って小庸を促す。それ以上の断る言葉を見つけられずに、小庸は頷いた。
 もしや二人きりになって聞きたいことがあるのかもしれない。例えば、どんなに親しくとも、慶国の人々の前では口に出せぬようなことを。
 だが、小庸の心配は杞憂だったのか、先導する少女はいつまでたっても何か言ってくる気配はなかった。
 二人で夜道を歩きながら、小庸は何か言った方がよいだろうかと思ったが、相手が何も言わないのであえて自分から口を開くことはなかった。 
 ただ、前を行く少女のその背を静かに見つめる。
 折々に届けられた手紙で、かつての公主が大きく成長したことは知っていた。かつて享受した贅沢な暮しからすれば今の生活はつつましいものに違いない。身を飾る宝石などひとつもなく、絹とはいえさほど上等とは言えない衣を纏う。それでも背筋をしゃんとのばし自信にあふれる彼女の何と美しいことだろう。
 先王仲達の罪には、彼女からこの真の輝きを奪っていたことも含まれるのかもしれない、と小庸は漠然と思った。
 「ああ、もうここで結構ですよ」
 掌客殿の明かりが見えたところで、小庸は先を行く祥瓊を呼びとめた。
 先導していた少女はその呼びかけに足を止めて振り返る。その表情がわずかに緊張しているのを見てとって、小庸は何事だろうかとわずかに身構えた。
 「あの、大使」
 「なんでしょうか」 
 「本日主上への目通りが叶わなかったこと、御気分を害していないとよろしいのですが」
 紡がれた意外な言葉に小庸は瞬いた。
 確かに予定では今日景王に拝謁できるはずであった。だが、通された掌客殿にて待てど暮らせど連絡はなく、ようよう来たと思った連絡が太師の私的な宴への招待であったのだ。
 「いえ、こちらこそ無理を言って押しかけて来たようなもので」
 「先触れの官まで出されての訪問であるというのに予定が狂いましたこと、私ごときでは分不相応なことは重々承知しておりますが主の非礼代わりにお詫び申し上げます」
 そう言って祥瓊は丁寧に跪拝する。小庸の知る少女からは絶対に想像できない姿であった。
 「―――すっかり慶の官吏なのですね」
 小庸が思わず感慨深く呟けば、少女は下げた頭を持ち上げてにっこりと微笑んだ。
 「当然ですわ。では、おやすみなさいませ」
 少女は立ち上がって小さく会釈すると、小庸の前を通り過ぎ、今来た道を引き返していく。その背が見えなくなるまで見送って、小庸は頭上の星空を見上げた。
 「やれやれ、主上への御報告がひとつ増えたな」
 小庸は小さく嘆息すると、くるりと踵を返す。目の前には掌客殿の明かり。あの明かりの下では芳の官吏たちが、宴がどうであったのか根掘り葉掘り聞こうと手ぐすねを引いて待っているに違いない。
 特に隠す気はないが、余計な誤解を与えずに話をするためには少し気持ちを落ち着かせる時間が必要なようだ。
 「この庭を一巡りしてから帰るか」
 小庸は、目の前に広がる庭院に足を踏み出した。

 
 
 
  ・・・つづく  
 
     
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