| TOP | 小説 | イラスト | 雑記 | リンク | 拍手

       
 
<46>
 

 「今日は本当にありがとう。助かったよ」

 人もまばらになった市のはずれで、陽子と孔友は二人帰路につかんとしていた。随分と時間はかかったが無事今日の目的は果たし終わった。そのことに安堵しつつ陽子は微笑む。

 「お役に立てたのなら良かったです」

 そう言った後、陽子は今日一日のことを思い出して笑みを一層深めた。

 「それにしても、本当に妹さん思いなんですね」

 妹の土産を買うために何軒巡ったことか。珠帯に櫛、組紐に連珠と見て回り、簪を扱う店では陽子の頭に何本も挿してみて検討する熱心ぶり。妹に似合う物をと真剣に選ぶこんな兄がいるなど、ひとりっ子の陽子は正直うらやましく感じたほどだった。

 「妹さん喜んでくれるといいですね」

 「さて、どうかな」

 孔友は苦笑する。

 「なかなか好みのうるさい妹でね」

 「お洒落さんなんですかね。私なら、どんなものでもうれしいですけど」

 陽子は言って少しはにかんだ。

 「贈り物って、どんな物を贈るかが大切なんでしょうけど、贈る相手のことを考えてその人がどんな物を喜ぶか、どんなものだと気に入ってもらえるのかって考えて用意する時間こそが大切で、その時間こそが本当の贈り物なんじゃないかって思うんです。自分のために多少なりとも悩んで時間を割かねば贈り物なんて用意できないでしょう?だから私は、どんな物でも貰ったらうれしいです」

 孔友はしばし言葉を失ったように黙して陽子を見つめいていた。

 「こんな考えおかしいですかね」

 反応なくどこか驚いたように自分を見つめ続ける孔友の視線に恥ずかしくなって陽子がうつむくと、ぽつりと孔友がつぶやいた。

 「―――おかしくない。おかしくなんかないよ」

 ことのほか真面目なその響きに陽子が視線を上げれば、孔友はにっこりとほほ笑んだ。

 「その考えはとても素敵だと思う」

 「そう、ですかね?」

 あまりに真摯なその眼差しに陽子がはにかめば孔友の笑みは一層深まった。

 「ああ、それに今から贈り物をしようとする者にとってとても励みになる言葉だ」

 孔友はそう言うと懐から布の包みを取り出した。妹への土産のひとつだろうかと陽子が思っていると、孔友は布をぱらりと解いて中身をだす。そしてそれをおもむろに陽子に差し出したのだった。

 「これを受け取ってくれないか」

 差し出されたそれは簪であった。

 
       
 
 
       
 
<47>
 

  翌日早朝柴望はわずかな下官を引き連れて清谷へと出発した。

 この日は陽子が登城する今年最後の日。年明けの初出勤は早くても新年の諸行事が終わった一月も末になるだろう。そう思えば陽子が登城するまで出発を待って、ひと言ふた言なり言葉を交わしたいとも思ったが、一刻も早くけりをつけねばならぬ仕事に柴望にそんな余裕はなかった。

 「それでは陽子によろしくお伝えください。良い年越しをと」

 柴望はそう浩瀚に言葉を託して州城をあとにした。

 しかしこれで良かったかもしれないと柴望は思う。もうこの時には柴望は、浩瀚の密かな胸の内に気がついていたのだ。そして陽子もそれを望むなら、それはそれでよいかもしれないと密かに期待していた。

 浩瀚が密かに抱えている絶望と孤独を、陽子なら埋めてくれそうな気がしていたのだ。

 年内最後の会食時。二人きりで過ごして少し二人の距離が縮まるなら、自分の楽しみも増えるというものだ。

 「さて、帰城した折りには惚気のひとつも聞けようか」

 騎獣の上で呟けば、下官が何事かと真剣な眼差しを向けたので柴望はひとつ手を振ってなんでもないと返した。

 そしてふと気付く。どうして今日という日に自分が州城をあけることになったのかということに。あの怜悧な浩瀚のことだ。たまたま今日だったというわけがない、と柴望は確信した。

 「つまりはていよく追い払われた訳か」

 そう思えば苦笑が漏れたが、一方でかわいらしいところもあるものだと素直に感心した。どうせひと目があるのだ。陽子が嫌がるような無理矢理なことが出来るはずもない。ただ食事時に卓に二人ついているという程度。そんなささやかな時間でも欲しいと思ったに違いない浩瀚の胸中を柴望はほほえましく思った。

 その頃陽子は朝の支度に追われていた。朝餉をすませて登城するための服に着替え、髪を結い上げてはたとそこで手が止まる。視線の先には昨日孔友にもらった簪。買い物につきあってくれたお礼だと渡され、無碍に断ることも出来ずにもらってしまったが、正直陽子は戸惑っていた。

 これが安価でない、というのも理由のひとつだが、例え「お礼」だといわれても親兄弟でもない異性から装飾品をもらうなどいくら鈍い陽子でもぴんとくるものがある。いや、仮にさらりと渡されただけなら「勘違いかも」ぐらいですませたかもしれないが、これを渡す時の孔友の様子やその後松塾まで送り届けてくれた時の雰囲気は明らかにいつもと違っていたのだ。

 どうしよう・・・・・・

 陽子は簪を手にとって考え込んだ。

 
   

 
<48>
 

 朝の会議を終えて自分の執務室へと戻ろうとしていた浩瀚は、ふと視界の端をかすめた鮮やかな緋色に思わず目を奪われた。それはすぐに死角へと消えてしまってその姿をはっきりと確認することは叶わなかったが、惹き付けて離さない鮮やかすぎる緋色の持ち主など浩瀚は一人しか心当たりがない。疑問を差し挟む余地なく今のは間違いなく陽子だったと断定した浩瀚は、一瞬でも彼女を目に出来たことに喜んだ。

 浩瀚の陽子への思いは日を追うごとに高まっていた。毎日会えないがゆえに会える日が楽しみで仕方なく、陽子の来る前日などは、早く明日にならぬものかと気付けばそればかりを考えているありさま。翌朝は「ああ、今日は彼女が来る」と思えばそれだけで心は浮き立ったが、実際日があけても彼女に会えるのはその日の夕刻を待たねばならず、楽しい時間はあっという間に過ぎ去って寂寥感ばかりがつのるのだった。

 特に今日は年内最後と思うゆえだろうか。会いたい気持ちはいつにもまして強く、しかも出来ることなら二人きりでと望んで下手な手回しまでしてしまった。だがそのことに浩瀚は、罪悪感も羞恥心も抱いてはいなかった。

 浩瀚にとって陽子は、深い闇の中にしずみこんでしまいそうになる心にともる一筋の光明のようなものであった。その一筋の光を懇願する貪欲な思いは、もはや誰であろうと阻むことは出来ない。もしそのようなものが存在するとするなら、それは彼女自身でしかないと浩瀚は確信していた。

 いや、自分のもっともっと奥の深く暗いよどみには、彼女自身が全身で己を拒否しようと強引に自分のものにせんとする獣が眠っているような気がした。だが、その獣を御し切らねば、結局は何も得ることが出来ないだろう。己をよく知る浩瀚は、そう思ってわずかに嗤った。

 「少し外の空気を吸ってくる。供はいらぬ」

 浩瀚は随従らにそう言い放つと、わずかに戸惑いの色を見せる随従らに構わず回廊から庭院へと降りた。

 せっかくの僥倖、もうひと目なりとも彼女の姿を見ていこう。うまくいけばひと言ふた言なり言葉が交わせるかもしれない。そう思って浩瀚は、陽子の消えた先へと向かったのである。

 はたして、浩瀚は庭院のはずれの人気のない茂みの傍で求めていた緋色を見つけることが出来た。あんなところで一体何をしているのか、一瞬そう疑問に思った直後、浩瀚は彼女が一人ではないことに気がついた。ちょうど茂みに顔が隠れていたが、のぞく衣服は間違いなく男の纏う長袍で、浩瀚は思わずどきりとする。

 男とこんなところで待ち合わせていたのだろうか。

 ・・・・・・それとも男が呼び出したのか。

 浩瀚の表情が知らず険しくなった。

 その目つきは、見る者がいればひやりとするほど冷たく鋭かった。

 
 
       
 

<49>

 

 ゆっくりと二人に近づくと、とぎれとぎれに二人の言葉が聞こえてきた。「簪」やら「もらえない」という単語とともに彼女が手にもつ簪が目に入って、浩瀚は今がどういう状況か理解したような気がした。

 困り顔の彼女と熱の籠もった男の視線。あきらめの悪い男の様子を浩瀚は不快に感じてさらに二人に近づいた。

 「陽子」

 声を掛けると少女が弾かれたように振り返った。遅れて男のほうも浩瀚を見やる。面識はなくとも己の格好にはっとしたのだろう。男は慌ててその場に叩頭した。

 「―――浩瀚さま」

 どうしてここに?そういわんばかりの驚いた表情に柔らかく微笑んで、浩瀚は陽子に歩み寄った。

 「こんな所で何を?」

 「えっ、・・・・・・その」

 自分こそが問おうとしたことを先に問われ、何と言ったものかと戸惑う陽子をよそに、浩瀚は叩頭する男と簪にちらりと視線をやる。すると陽子はその視線になにやら察したのだろう。簪を持つ手をあわてて後ろに回すと、明らかにばつの悪い顔をした。

 「私に何か用があるのではないのですか?」

 不器用に話題を変えようとするその様子に胸中苦笑しつつも、浩瀚にとってはそれが愛らしくもあった。彼女を困らせるのも何かと、浩瀚はにこやかに頷いた。

 「そうだ。用があって陽子を捜していた」

 「え?」

 「休憩がてらに一服しようと思ってね。できれば陽子の入れた茶を飲みたいのだ」

 「私の?」

 驚いたように、陽子がわずかに目を見張った。そんな陽子に浩瀚はもう一度頷く。

 「先日、玉葉にそなたの入れる茶は格別にうまいと自慢話をされてね。是非一度味わってみたいと」

 「・・・・・・そんな」

 陽子は照れたように頬をわずかに朱に染めた。

 「・・・・・・期待するとがっかりされると思いますよ。玉葉さんは褒め上手なんです」

 「では、玉葉の言が真実がどうか判定してみることにしよう」

 浩瀚が視線で促すと、陽子は一瞬だけ戸惑うように男をちらりと見やってから浩瀚の後に続いた。

 この状況に浩瀚はとりあえず満足する。

 種々の事情はさておき、愛しい少女が自分と共に来ることを選んだのだ。男の性からすると、それは間違いなく優越感をもたらすものであった。

 

   
<50>
 

 「そうだ。ついでに今が見ごろの寒牡丹を見せてやろう」

 浩瀚はそう言って行く先を変えた。少しでも長く二人きりの時間を過ごしたかった。

 「寒牡丹?牡丹に今頃咲く種があるのですか?」

 「牡丹の中には二季咲きのものがあるのだ。普通種よりも花が小振りだし、育てるのも難しいのだが、彩りの少ない冬の時期に花を咲かせる貴重な存在だ」

 へぇ、と感心して頷く陽子を浩瀚は庭院のさらに奥へと導いた。そしてたどり着いたそこは、花園とよばれる花苗を育てる園芸場であった。州城では、ここで苗を育てて季節に応じて各庭に植えていくのだ。そしてここでは花苗を育てる以外にも、切り花用の花を育てたり花の品種改良を行ったりもしている。浩瀚の話した寒牡丹はその花園の一画に植えられていた。

 「へぇ、これが寒牡丹ですか」

 陽子は藁をかぶせられた牡丹をのぞき込んだ。見慣れた大振りな八重の牡丹と違い確かに小振りで一重であったが、鮮やかな緋色は色の少ない今の季節にとても鮮烈に目に映った。しばし寒牡丹を愛でて、陽子は辺りを見回すようにふと視線を上げた。この辺りは一帯牡丹を育てている区画なのだろう。春に花を咲かせる普通種と思われる牡丹の株がたくさん植えられていた。

 その視線の先、一風変わった建物が目に入る。玻璃が多くはめ込まれたその建物は、例えるなら温室に似ていて、陽子はその珍しさに思わず興味をそそられた。するとその視線に気がついた浩瀚が、「あちらも見せてやろう」と陽子を誘う。

 建物の中に足を踏み入れて、陽子は思わず目を見張った。中には八重の見事な牡丹が咲き誇っていたのだ。

 「これも寒牡丹ですか?」

 「これは冬牡丹だ」

 「冬牡丹?」

 それは寒牡丹とどう違うのか。陽子が不思議にそう問うと、浩瀚は近くにあった薄紅の牡丹にそっと手を伸ばした。

 「これは春咲きの普通種の牡丹なのだ。だが、温度管理をすることでこうして冬に咲かせることが出来る」

 浩瀚はそう言ってわずかに苦笑を浮かべた。

 冬牡丹は、寒牡丹では見栄えに欠けると言った数代前の女王の言により栽培されるようになったものだ。栽培自体はすでに他国でなされておりその存在も知られていたが、その技法は秘匿され慶の者が習得するのは容易ではなかった。ゆえにわずかに伝え聞いたことを頼りに独自の研究が重ねられ、結果慶でも冬牡丹を栽培することが可能となったが、今でも冬牡丹は貴重なものであり、王への献上品として通用するものであるとの格付けがされている。そしてここに咲き誇る花たちも近々王へと献上される予定の花であった。

 

   
  背景素材
inserted by FC2 system