桓魋は室内に足を一歩踏み入れた瞬間「しまった」と自分の間の悪さを呪った。
房室の中には我が主と、その主がひそかに思いを寄せている少女の二人きり。この時間がいかに主にとって重要な時間であり、かつ自分がどれほど邪魔者であったかは、瞬時に向けられた突き刺さるような視線で明らかだった。
できることならこのまま何も言わずに回れ右をして立ち去りたい。本能的にそう思った桓魋だったが、動揺のあまり反応の鈍った桓魋よりも陽子が口を開くほうが早かった。
「桓魋さん。お久しぶりです。お元気でしたか?」
「あ、ああ・・・・・・」
にっこりと向けられた笑顔に、桓魋もまた笑顔を返す。若干頬が引きつっていたのは動揺を隠しきれなかったためだが、それでも浩瀚の冷たい視線とは対照的な陽子の温かな笑顔に心が癒される気がした。
しかしそれも束の間、次の瞬間桓魋は、陽子の髪を飾る薄紅の花の正体に気がついて思わず言葉を失った。
あれは、王への献上品ではなかったか。
数多用意したうちのたった一輪とはいえ、当然他の花と同等に考えてよいもののはずがない。また、ただでさえ価値ある冬牡丹の王への献上品として用意されたそれは、下手な簪よりもよほど価値のあるものであった。
それを少女の髪へ飾るそのことの意味に桓魋は思いを巡らせ、やはり自分の間がいかに悪かったかと桓魋は改めて痛感した。
ここはもう、如何に不自然だろうと何だろうととりあえず立ち去ったが無難だ。いや、命が惜しければ是が非でもそうしなければならない。そう思った桓魋だったが、
「ちょうどよかった。今お茶を入れたところだったんですよ。桓魋さんも一服なさってください。はい、どうぞ」
断る間もなく茶を差し出されて、桓魋はわずかに躊躇いつつも茶器を受け取らないわけにはいかなかった。
ここで断わってはあまりに失礼。
しかし桓魋の行動は明らかに主の不快を買ったようで、向けられた視線はさらに激しく桓魋に突き刺さった。
「では、私はこれで。お二人ともお仕事がんばってくださいね」
桓魋に茶器を渡した陽子は、そう言って一礼する。その姿を見て、桓魋は思わず陽子にすがりそうになった。ここで立ちさられてはますます自分の身が危うい。
「いや、そんなに急がなくとも」と桓魋は何とか引きとどめようとしたのだが、陽子はどこか苦笑するように笑った。
「お仕事でいらっしゃったのでしょう?これ以上お邪魔できませんから」
そう言うと、桓魋の願いもむなしく陽子は房室から去って行ったのだった。
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