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 孔友との待ち合わせ場所は、玄武門前広場に面した所にある金花庵という茶屋であった。まだまだこちらの世事に疎い陽子は知らなかったが、この茶屋は逢引する男女の待ち合わせ場所として有名な所であった。

 何しろこちらは、蓬莱のように時計を持ち歩いていつでも時間が確認できるというものではない。時は鼓楼の音で確認するのが基本で、あとは太陽の角度から大体の時間を推し量っているにすぎず、分刻みの細かな約束など土台無理な話なのである。

 故に悪気はなくとも相手を待たせることがあるし、また、早く着きすぎてしまうこともある。むしろ約束の相手とちょうどぴったりに集合できたなどというのがびっくりするぐらい珍しいことなのだ。

 だから人と待ち合わせをした時は、少々待ち時間が生じるというのがこちらの人の当たり前の感覚だが、好意を抱いている相手となるとやはりぼうっとそこら辺の道端に立たせているわけにもいかない。ゆえに茶屋で待ち合わせ、というのが粋な男のするはからいであった。

 約束通り金花庵へとやって来た陽子は、意外と人の多い店内を見回し孔友の姿を探した。しかし相手がまだ来ていない様子に、陽子はどうしようかと迷う。こういう店に一人で入った経験がないのだ。それで入ろうか入るまいかと躊躇ってぐずぐずしていると、陽子は突然後ろから声を掛けられた。

 「ひょっとして、陽子か?」

 「え?」

 その声に驚いて振り返る。するとそこには意外な人物が立っていた。

 「清河さん!?」

 「ああ、やっぱり」

 陽子が振り返ると、鮮やかな青い髪の男がにっこりと微笑んだ。

 「見たような緋色の髪だと思ったんだ。―――それにしても、こんな所で何をしているんだ?」

 「ちょっと人と待ち合わせを」

 陽子が言えば、清河はわずかに目を見開いた。

 「―――まさか、柴望さまと?」

 思いもしない名前が飛び出してきて、今度は陽子の方が驚きに目を見開いた。

 「まさか。違いますよ。孔友さんとです」

 「孔友?」

 「ええ、春官府で下官をなさっている」

 陽子が答えると、清河はなぜかわずかに険しい顔をした。

 「・・・・・・彼とは何度もこうして待ち合わせを?」

 清河がなぜそんなことを聞いてくるのか、陽子にはさっぱりわからなかった。

 
       
 
 
       
 
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 「はじめてですよ。買い物についてきてはくれないかと頼まれまして」

 いいえ、と軽く首を振った陽子は、とりあえずこうして待ち合わせをすることになったいきさつを話し出す。

 「正月休暇に実家に帰省するのに土産を買いたいのだそうです。で、私と同じ年頃の妹さんがいるらしいのですが、そのくらいの年齢の女性が喜びそうなものを見立てて欲しいと」

 「・・・・・・へぇ」

 なんだかとってつけたような理由だな、と清河は思ったが、当然そんなことを清河が思ったなどと陽子がわかるはずもない。清河のなにやら思案げな顔にわずかに首をかしげながら、陽子はとりあえず清河に同じ質問を返す。

 「ところで清河さんはここで何を?」

 「ちょっと府城に用があってね」

 清河の答えに、ああ、と陽子は頷いた。州府からまっすぐ府城へと向かえば確かにここは通り道だ。

 「そういえば、州府で働くことになったんだって?」

 「ええ。働くというより本当にお手伝い程度のことですけど」

 「仕事には慣れた?」

 「ええ、まあ。といっても、こちらは蓬莱では考えられないような習慣が多くて」

 「へぇ」

 「まあでも、皆さんに良くして頂いて何とかやっています。考えてみれば、すべては清河さんとの出会いから始まっているんですよね。見つけてくれたのが清河さんで本当によかったです」

 「別に俺が何かしたわけじゃないさ。それに周りが色々とよくしてくれていると感じるなら、それは陽子にそうさせるだけの魅力があるんだ。・・・・・・だが、魅力があるということは時に危険の元にもなる。気をつけることだ」

 「―――?」

 陽子が首をかしげれば清河は苦笑した。

 その時陽子は突然、強い力に引っ張られてよろめく。何が起きたかわからずただびっくりしていると、視界一面誰かの背中に覆われた。どうやら誰かが自分の腕を引っ張りつつ清河と陽子の間に割って入ってきたらしい。

 何事かと思っていると、聞き慣れた声が耳に響いた。

 「私の連れに何かご用ですか?」

 その声はどこかとげを含んで清河に向けられていた。

 「少し話をしていただけだが?」

 答える清河の声はどこか挑発的にも聞こえた。

 
   

 
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 「孔友さん?」

 「待たせて悪かったね。さ、行こうか」

 相手を確認するように陽子が恐る恐る声をかけると、孔友がにこやかに振り返った。急に割って入ってきた相手が間違いなく待ち合わせの相手であったことに安堵しつつも、陽子は、一刻も早くこの場を立ち去ろうとするかのように力強く背中を押すその手に孔友がなにかとんでもない勘違いをしているのではないかと直感して、少々あわてて言葉をつないだ。

 「あの、清河さんは怪しい人じゃないですよ。知り合いなんです」

 陽子が言えば、その言葉に孔友は一瞬動きを止め、見比べるように陽子と清河を見やった。それでもどこか警戒しているような眼差しであったのは、陽子の気のせいだろうか。

 「清河さんは、柴望さまの下官なんです」

 「柴望さまは彼女の後見人でね」

 陽子の後を継ぐように清河が言えば、さすがに孔友は驚きに目をみはった。

 「柴望さまって・・・・・・」

 思いもしない名に孔友はしばし言葉を失う。柴望さまといえば州宰だ。自分の主のさらに上にいるお方であり、州府の中心に身を置くまさに雲上の人。そんな人物が後見人であるなど、二人の間に一体どういうつながりがあるのか。そんなことを疑問に思っていると、

 「柴望さまは彼女のことを大層大切に思っていらっしゃる」

 だめ押しとばかりに清河がさらりと言葉をつなげ、どういう意味だかわかるだろう?と言わんばかりの視線を向けた。その清河の言葉と視線は暗に身を引けと言っており、孔友はそれに気付いてわずかに顔をしかめたが、しかし一瞬の沈黙のあと、孔友は意外にもにこやかな笑みを清河に向けたのだった。

 「そうでしたか。陽子の知り合いとは存ぜず失礼をしました。私は春官御史に仕える孔友と申します。以後、お見知りおきを。それと州宰さまが陽子の後見をなさっているとは初耳にて少々驚きましたが、そのようなことで陽子の価値が変わるわけでも私自身の見方が変わるわけでもありません。私はそのような狭小な人間ではないと少なからず自負しておりますので、心配はご無用にございます」

 うまい論点のすり替えに、今度は清河が顔をしかめる番だった。

 柴望さまの思い人ゆえ手を出したらどうなるかわかっているな、と脅しにも似た清河の言葉に対し孔友は、州宰が後見人であるからといって自分の出世のために彼女を利用しようとは思わない、と切り返したのだ。

 陽子はただ一人、なにやらよくわからぬ二人のやりとりに首をかしげるばかりだった。

 「では、我々はこれから要がありますので、これにて失礼します」

 丁寧に会釈して孔友は陽子の背中を押した。その手に促されて陽子も歩き出す。そんな二人の姿を、清河は厳しい視線で見送っていた。

 
 
       
 

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 州宰が彼女の後見人?

 その言葉は、清河が思っていた以上に孔友を動揺させていた。目的の市へと向かう雑踏の中、さりげなく背中に手を回し彼女をぴたりと自分に寄り添わせることに成功している孔友は、本来なら胸中の喜びを隠しきれないほどに浮かれていたであろうが、動揺を抑えきれない一方の心が、孔友の表情にわずかに影を落としていた。

 後見人というのは、いわば親のいない未成年者の親代わりのような存在である。里家に預けられれば閭胥が、旅芸人に拾われればその一座の長が暗黙の内にその後見人となり、縁者や知人などを頼って子を預ければ預かった人がその後見人となる。

 こういう場合の後見人は、本当に親の代わりという意味しかない。だが、後見とは別の意味を持つ場合もあるのだ。それは特に有力者が後見となった場合に多く、例えば才知あふれる若者にある有力者が後見についたという場合、これはこの若者が後見についた有力者の庇護を受けているという意味であり、その若者の背後に有力者の持つ権力がついているということを指す。そしてその他に、未成年の女子を有力者の男性が側に置いた場合に後見という言葉が使われた場合、それはとりもなおさず、その女子をいずれは側妾にするつもりで生活の面倒を見ているという意味であり、清河がこの意味で後見という言葉を使ったのは明らかであった。

 当然のことながらそんな少女に手を出すのは危険すぎる。州宰の所有物に手を出すということと同義なのだ。だが、孔友は危険を承知しながらもそんな簡単に陽子を諦めきれなかったし、彼女を見るに、囲われているなどという自覚があるようにも見えないことから、清河の話が真実なのかどうか信じきれいない部分もあった。

 だが、そんな嘘をついて清河に利があるようには思えないし、彼女はどこか世情に疎く純粋すぎる所があるから、はっきりとそういう状況を突きつけられなければ勝手に勘違いしているという可能性もある。つまりは、州宰のことを後見人と認識しつつも、単なる親代わりという意味の後見人と思っているかもしれないのだ。

 このまま州宰の元で育てられれば、おそらく陽子は成人するやいなや共寝を強要されるのだろう。成人するのを待たずに少女を手込めにする者も多い中、後見人としてちゃんとした教育を受けさせ成人するまで待った州宰は、彼女を無理矢理に側妾にしたとしても出来た御仁だという評価を周囲から受けるのだろう。

 ―――仙であるあの方にとって、三四年程度の年月がどれほどのものだろうか。

 そう思うと、孔友は無性に腹立たしかった。

 陽子に自覚がないというのは、陽子は側妾になるのを承知して州宰の元にいるのではないということだ。温厚と評判の州宰がそんなだまし討ちのようなことするのか、ということにも憤りを感じたし、表面上は自身の評判を落とさぬように手回しをしているそのやり方にも憤りを感じずにはいられなかった。

 このまま攫っていってしまおうか。孔友の脳裏にそんなことがちらりとよぎった。

 

   
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 「おや、そこにおるのは李真かね」

 夕闇が迫っていた。空は赤く染まり、その明かりがまだわずかに地上を照らしてはいたが、人の顔の見分けがつきにくくなってきた時分。遠甫は門前をうろうろとしている若者の姿を見つけて声を掛けた。

 そのままゆったりと近づいていけば、若者は振り返って丁寧に拱手する。

 「どうかしたのかの?」

 「まだ、陽子が帰ってこないんです」

 返ってきた応えに、遠甫は長いひげをなでながら、少し考えるように首をかしげた。

 「陽子が?確か今日は市へ出かけると言うておったか?」

 「ええ」

 遠甫の問いかけに李真は頷いた。こんなに遅い時間まで陽子が帰ってこなかったことは今までない。もちろん州府で仕事の時は例外で、夕餉を済ませてくるのでもっと遅いが、かならず桓堆という人が送り届けてくれている。

 やっぱり一緒に行けば良かったかと、李真は夕闇に包まれていく通りを見やった。

 比較的治安の良い麦州だが、それでもたちの悪い連中というのはどこにでもいるものだ。陽子は美人だし、何と言ってもあの鮮やかな緋色の髪は人目を引く。市で変な奴らに目をつけられたとしても不思議はない。

 いや、それよりも・・・、と李真は小さく首を振った。

 もっと問題なのは、ひょっとしたら今日待ち合わせをしていると言っていた州府で知り合ったという若者かもしれない。男と二人で出かけると聞いて正直気分は良くなかったし、男が抱いているかもしれない下心を心配しなかったわけでもないのだが、州府で働いている身元のしっかりした人を疑ったりするのは失礼だと必死に自分に言い聞かせ、表面上は笑顔で送り出したのだ。

 だがやはり、もっと危機意識をもったほうがよかったかもしれない。

 第一ちゃんとした人なら、少女をこんな暗くなるまで連れ回したりするような無責任なことをするはずがない。

 「僕、ちょっと市まで行ってきます」

 今にも駆け出さんばかりの勢いで李真が言えば、遠甫があわててそれを止めた。

 「待て待て、もう市は閉まっておる。それに、そろそろ帰って来るじゃろうて」

 「でも」

 「ひょっとしたらどこかで夕餉でも、という話になっておるのかもしれんしの。とにかくあと半刻ほど待ってみよう。下手に騒ぐと、陽子が気に病むかもしれん」

 遠甫の言葉に李真はわずかにはっとして、しぶしぶといった感じで頷いた。

 確かに必要以上の心配は陽子を恐縮させるだけだろう。それで変な気遣いをして陽子が自ら自分の行動を制限するようになるのは李真の本意ではなかった。

   
   
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