| TOP | 小説 | イラスト | 雑記 | リンク | 拍手

       
 
<11>
 

 「僕が陽子をすごいと思うのは、言葉のことだけじゃない」

 存外に真面目な顔で李真は続けた。

 「うまく言えないけど、自分と比べてそう思うんだ。実はね、僕は慶の人間じゃない。戴の生まれなんだ」

 「戴―――というと、北方にある?」

 「そう、慶からは虚海を挟んで北東に位置する、戴極国。戴の王様は今から十二年前に崩御なされてね。僕が、四つの時の話だ」

 陽子は相づちを打ちつつ、李真の話に耳を傾ける。

 「先の泰王の治世は百二十四年。穏やかで堅実な治世を布いていた王様だったけど、一方で、奢侈におぼれて国庫を破綻させ、それで道を失ったんだ。でも、民を虐げたり国土を荒らしたりした訳じゃなかったから、王様が崩御した後も戴の荒廃は小さかった。実際、僕たち民は、毎日普通の生活を送っていたんだ。でも、戴は虚海に囲まれているだろう?虚海に囲まれている国が荒れると悲惨だ。他国へ逃げるには、海を渡らなければならないんだからね。本当に荒れてしまってからでは、国を出るのが困難になるんだ」

 こちらでは王は神であり、国を治めると同時に災異を沈める存在でもあると陽子は聞いていた。つまり、王がいなければ災異を沈める存在がいなくなり国が荒れる。土地は痩せて水は枯れ、気候が狂って災害が起き、なにより妖魔と呼ばれる妖(あやかし)が出没するようになるというのだ。あちらでは信じられないような話だが、それがこちらの理であるらしい。

 「だから荒れる前に国を出ようって人達もいた。僕の父親もずいぶん悩んでいたみたいだけど、僕が小さいから国に残っていたんだ。父は商売をしていたから、国を出ても生活は出来るだろうと思っていたようだけど、困るのが学校の問題でね。荒民は、そう簡単に他国の学校へは通えないんだ」

 ああ、なるほど、と陽子は頷く。陽子は、こちらの学校の制度についても話を聞いていた。民が最初に通うのは、住んでいる里にある小学と呼ばれる学校で、小学へは必ずその里の者達だけが通うというのが決まりらしい。つまりはよそ者が通うことは出来ず、それから序学、庠学、上庠、少学、大学と進学していくのだが、進学するには有力者の推挙が必要になるため、これまた荒民が推挙を受けて学校へ入るのは難しいのである。

 「でも、そんな父もとうとう国を出ることを決意したんだ。それが、僕が十二歳の時でね。新しい戴の麒麟が生まれて七年になるはずなのに、なかなか麒麟旗が上がらないことに父が異常を感じたんだ。このままだといつ新王がお立ちになるかわらかない。つまりそれは、国がどこまで荒れるかわからないってことだからね」

 そうして李真は、父と母と三人で国を出て対岸の雁へと向かった。しかしその船上で妖魔の襲撃を受け、天涯孤独の身となったというのである。

 「生き残ったのはわずか数人。しかも、その中の一人に助けられてここにいるのだから、僕は運が良いんだ」

 
       
 
 
       
 
<12>
 

 僕は運が良い。

 李真はそういって笑ったが、その笑顔が愁いを帯びていることに陽子は気がついていた。

 「でも、何度もその運の良さを呪った。自分だけが置いて行かれた気がして、毎日が孤独だった。良くしてくれる人達に感謝も示さずに、僕の気持ちなんてどうせ誰もわからないと勝手に決めつけて腐っていたんだ」

 李真はどこか気まずそうに笑った。

 「ここに来て一年は、ほとんど誰とも口をきかない有様だった。ふてくされた顔で返事もしないんだから本当にかわいげのない子どもだったと思うよ。それでも気に掛けてくれる人がいたし、放り出されなかったんだから、松塾の人達は本当にお人好しぞろいなんだ」

 確かにね、と陽子は笑う。

 松塾の人達は、みんないい人だ。中には、生真面目が過ぎて取っつきにくい雰囲気の人だっているが、それでも根はいい人ばかりだった。海客であるということで陽子が何か不利益を被ることはなく、むしろみな珍しがって陽子と話をしたがった。陽子の語彙力は、そうして鍛えられたのだ。

 ただ、陽子は気がついていなかった。自分の外見がかなり美しい部類に入るということと、自分と話をしたがる男性の中には、大いに下心がある者達もいるということに。

 そして目の前の少年もまた、陽子に対してほのかに恋心を抱いていたのだが、こちらはまだ初な少年。自分の気持ちをまだはっきりと自覚できてはいなかった。だからこそ、無邪気に陽子に近づくことが出来てもいたのだが―――

 「戴にはまだ新しい王様は立たないの?」

 「・・・・・・僕が国を出て二年後に麒麟旗が上がって、すぐさま新王がお立ちになったんだけどね」

 李真は小さく息をついた。

 「すぐに崩御なされたという噂だ。謀反が起きて王も台補も逆賊の手に掛かったとか」

 「―――こちらも大変なんだね」

 しみじみと陽子は思った。

 髪の色があり得なかったり、空を飛ぶ獣がいたり、仙と呼ばれる人達がいたりと、こちらはどこか物語じみた世界ではあるが、どこまでも現実的だ。

 しかしこちらの人間が突然あちらに行けば、あちらこそあり得ない世界なのかも知れない。高速で移動する乗り物が道路を行き交い、鉄の塊が空を飛び、自動で扉が開く。すべては科学で説明のつく話ではあるが、考えてみれば多くの人は、仕組みや原理など理解してはおらず、そういうものだと受け入れているに過ぎない。それは、なんだかわからないけど空を駆ける獣がいるのだと受け入れているこちらと変わりないだろう。

 そう考えれば、あちらもこちらも大して違いのない世界だ。そうして、あちらであれこちらであれ、結局人は、与えられた環境の中で精一杯生きるしかないのだ。

 
   

 
<13>
 
 それから数日後、陽子は遠甫の遣いで州城にいる柴望に手紙を届けることになった。いつもと違って髪を結い、それなりに身なりを整えた陽子の姿に若い塾生達が熱い視線を送っていたが、そんなことに気づく様子もなく、陽子は元気に出かけていった。

 久しぶりに柴望に会うのは、陽子にとっても楽しみだった。なにしろ柴望は恩人だ。改めて礼を言いたい気持ちもあるし、時間があれば一時世話になっていた官邸にも寄ってみたい。

 そんなどこか浮かれた気持ちがあったが、州城が近づくにつれさすがに緊張感が沸いてきた。

 まずは言われた通り州府へいって来訪の理由を述べる。しばし待つように言われて待っていれば、どこかで見覚えのある男が現われた。

 「ああ、やっぱりお前か。変わった名なのでそうじゃないかと思った」

 気さくに声を掛けてきた男に、陽子は首をかしげる。何処かで会ったような気はするが思い出せない。

 「あの・・・、どなたでしたっけ?」

 陽子が問えば男は軽く目を見開いた。

 「ずいぶんと言葉を覚えたものだ。最初に声を掛けた時には、全く通じていなかったのに」

 それで陽子は、ようやくぴんと来た。そうだ、この男はあの浜辺で陽子に最初に声を掛けてきた男だ。

 ああ、と思い出した陽子の様子に気づいたのだろう。男は破顔した。

 「俺は清河(せいが)だ。今はどこに?」

 「松塾です。柴望さまに紹介してもらって、乙老師のもとでこちらのことをいろいろと勉強しています」

 「乙老師に?」

 清河は軽く驚いた。麦州にいて松塾のことを知らぬ者はない。道を教える義塾として、大学へ行くことよりも松塾で学ぶ方が意義あることだというのが麦州での一般認識だ。そしてその松塾といえば乙老師。数多いる老師の中でも別格中の別格で、師事したいと思う者は数知れず。しかしめったなことでは会って話すことさえ難しい相手であった。

 州宰位にある柴望ほどになれば容易いことかも知れないが、それでもその老師に人を預けようとはなかなか思うものではない。海客ということが珍しかったのかも知れないが、そればかりでなく、預けることに意味があると思ったからこそ預けたのだろう。

 そう思えば、この短期間の間にずいぶん言葉を覚えたのも納得なのかも知れないと、清河は改めて陽子を見た。こうして再会してみれば、確かに翠玉の双眸には理知の光が宿る。

 初めて見た時は奇妙な格好で言葉も通じず、何処かおびえた風であった陽子を見て異質なものしか感じなかった清河は、自分の見る目のなさに苦笑せざるを得なかった。

 
 
       
 
 
       
 

<14>

 

それにしても・・・・・・、と清河は陽子の姿を見て思う。

 最初に会った時よりも少し大人びただろうか。こちらの生活に馴染み気持ちが落着いたせいなのかもしれなかったが、纏う雰囲気が変わっていることに清河は目を見張った。

 結い上げられた鮮やかな緋色の髪が、妙に色っぽく感じる。それを思った瞬間、清河は妙に下世話な想像をしてしまった。

 州宰がこの娘に、密かな執着を抱いているのではないかという想像だ。だが、どう見ても未成年のこの娘をすぐに囲うのは少々問題があるだろう。自他共に認める色ぼけか、あるいは来るもの拒まずと聞く侯なら気にしないかもしれないが、今まで一度も浮いた話など聞いたことがない州宰ならば外聞というものを気にするだろう。それに、異境から流されてきて右も左もわからぬ内にというのは、やはり少々強引すぎる。あの基本的に穏やかな性格をしている州宰が、そんなことをするとは思えない。

 となれば採る選択はただひとつ。つかず離れずの場所に置き、娘の成長を待つ。寿命がない仙にしてみれば、数年待つなどたいしたことではないだろう。その間州宰のそばに置いても恥ずかしくない教養を身につけさせれば一石二鳥というものだ。

 清河は、己の想像が妙に現実味があるように思った。

 「それで今日はどんな用件で?」

 「乙老師のお遣いで、柴望さまに手紙を届けに」

 「そうか」

 清河は頷く。

 「では、私が案内してやろう」

 この娘が尋ねてきたと知った時の柴望さまの顔を見れば答えが得られるかもしれない。清河は密かにそんな期待をふくらませた。

 一方陽子は、清河がそんな想像などしているなど知るよしもなく、見知った人に案内してもらえることになってほっと胸をなで下ろした。自分が思っていたよりも緊張していたようで、肩からすとんと力が抜けるのを感じた。

 「よろしくお願いします」

 陽子はにこやかに笑って、清河の後をついていった。

 そして路門をくぐって初めて州城の内殿まで上がった陽子は、そこで信じられないものを見た。そこに海が広がっていたのである。

 「海!」

 陽子が驚いて声を上げれば、清河が笑った。

 「そりゃあるさ。雲の上だからな」

 「―――は?」

 訳がわからず陽子がぽかんと清河をふり返れば、清河は軽く苦笑して肩をすくめた。

 「海がなければ雲海とはいわないだろう?蓬莱にはなかったのか?」

 

 
       

   
<15>
 

 こくりと頷く以外に何ができただろう。

 こちらの色んなことに驚いて、そして受け入れてきた陽子だが、まさかまだ驚くことがあるとは思わなかった。

 「不思議。―――どうして水が落ちないんだろう」

 しばし目を奪われるように眺めて呟けば、清河がくつくつと笑った。

 「落ちたらみんなが困るじゃないか」

 「ひょっとして、こっちの雨はしょっぱいとか?」

 「まさか」

 清河は、雲海を不思議がる少女をおもしろく眺めた。

 「雲海の水は落ちたりしない。下から見ても海があるようには見えない。ただ、立つ白波が雲のように見えるだけだ。実際に雨を降らす雲は雲海の下だ」

 「へぇ・・・」

 「気に入ったのなら、柴望さまに案内を請うて見ると良い」

 「でも、柴望さまはお忙しいでしょう?」

 清河が再び歩き始めたので、陽子は小走りにその後を追った。

 「まあ、そうかな。でも、たまには息抜きをするのも必要だからな」

 「―――そうですよね」

 小さく呟く娘をちらりと見やって、清河は軽く笑う。柴望は本当に忙しい。清河はそれを嫌というほど知っている。でも、そんな状況にあるからこそ、この娘のささやかなおねだりを聞くならば、自分の想像もあながち間違いではないという確証になるのではないかと、清河はそんなことを考えた。

 「でも、やめておきます。柴望さまには本当に色々お世話になっていますから、わがままはいえません」

 「そうか」

 少し残念に思いつつ、清河はそう呟くにとどめた。

 陽子は清河のあとについて歩きながら、いくつかの門や建物を通り過ぎていく。最初から州城内のことなど何もわからない陽子だ。自分が今どこを歩いているかなど皆目見当もつかなかったが、並ぶ建物や通り過ぎる庭はどこも綺麗に手入れがされて美しかった。陽子は何処か観光気分になりつつ、もっとゆっくり眺められたらいいのにとそれを少し残念に思った。

 しばらく歩いてある建物に入る。その建物の一室、待合室のような小部屋に通されると、陽子は、ここでしばし待つようにと言われた。

 「お会いになれるかどうか確認してくる」

 「はい」

 陽子は頷いて、清河の背を見送った。

   
   
  背景素材
inserted by FC2 system