それから数日後、陽子は遠甫の遣いで州城にいる柴望に手紙を届けることになった。いつもと違って髪を結い、それなりに身なりを整えた陽子の姿に若い塾生達が熱い視線を送っていたが、そんなことに気づく様子もなく、陽子は元気に出かけていった。
久しぶりに柴望に会うのは、陽子にとっても楽しみだった。なにしろ柴望は恩人だ。改めて礼を言いたい気持ちもあるし、時間があれば一時世話になっていた官邸にも寄ってみたい。
そんなどこか浮かれた気持ちがあったが、州城が近づくにつれさすがに緊張感が沸いてきた。
まずは言われた通り州府へいって来訪の理由を述べる。しばし待つように言われて待っていれば、どこかで見覚えのある男が現われた。
「ああ、やっぱりお前か。変わった名なのでそうじゃないかと思った」
気さくに声を掛けてきた男に、陽子は首をかしげる。何処かで会ったような気はするが思い出せない。
「あの・・・、どなたでしたっけ?」
陽子が問えば男は軽く目を見開いた。
「ずいぶんと言葉を覚えたものだ。最初に声を掛けた時には、全く通じていなかったのに」
それで陽子は、ようやくぴんと来た。そうだ、この男はあの浜辺で陽子に最初に声を掛けてきた男だ。
ああ、と思い出した陽子の様子に気づいたのだろう。男は破顔した。
「俺は清河(せいが)だ。今はどこに?」
「松塾です。柴望さまに紹介してもらって、乙老師のもとでこちらのことをいろいろと勉強しています」
「乙老師に?」
清河は軽く驚いた。麦州にいて松塾のことを知らぬ者はない。道を教える義塾として、大学へ行くことよりも松塾で学ぶ方が意義あることだというのが麦州での一般認識だ。そしてその松塾といえば乙老師。数多いる老師の中でも別格中の別格で、師事したいと思う者は数知れず。しかしめったなことでは会って話すことさえ難しい相手であった。
州宰位にある柴望ほどになれば容易いことかも知れないが、それでもその老師に人を預けようとはなかなか思うものではない。海客ということが珍しかったのかも知れないが、そればかりでなく、預けることに意味があると思ったからこそ預けたのだろう。
そう思えば、この短期間の間にずいぶん言葉を覚えたのも納得なのかも知れないと、清河は改めて陽子を見た。こうして再会してみれば、確かに翠玉の双眸には理知の光が宿る。
初めて見た時は奇妙な格好で言葉も通じず、何処かおびえた風であった陽子を見て異質なものしか感じなかった清河は、自分の見る目のなさに苦笑せざるを得なかった。
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