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 麦州は他州に比べて豊かな方だ。気候にも恵まれているし、青海に面しているため商業も盛んだ。人や物が行き交えば、それだけ税を徴収できる。長い空位の時代には、さすがに気候穏やかな麦州とて収穫量が減って税収は格段に目減りしたが、他からの税収がそれを補い、州の財政は揺るぎなかった。

 豊かな資金を背景に麦州は諜報活動を怠らず、よって麦州はいつだって最適な選択を選び取って臨機応変に事態に対処して危険を回避してきた。州府の安定は、民の生活に安定をもたらす。揺るぎない体制を作ることで麦州は益々栄えてきたのである。

 ゆえに民は讃えるのだ。温厚篤実な麦州侯と。それは州の安定と何か起きた時の州の対応の早さからくる民の抱く州侯の印象であった。

 だが、そんな麦州といえど、湯水の如く資金が沸いて出てくるわけではない。なにせ地が天の恵みをため込む前に国情は日一日と悪くなっているし、今年に入った辺りからは、堯天から流れてくる女人が増えた。それを野放しにすることもできぬゆえに保護しているが、当初念頭になかった予算がそちらに使われ、金はいくらあっても足りぬと言うのが本音であった。

 手っ取り早く金を得る方法としては、義倉の穀物を売るという方法があり、今まで急な物いりには何度もその方法を使ったこともあるのだが、

 「今回ばかりは、義倉のものを売って、となると州司徒がよい顔をしません」

 柴望が困り顔で言えば、浩瀚が苦笑した。

 「まあ、あれはいつも義倉の蓄えに神経をとがらせているからな」

 ぞんざいな物言いだったが、それも信頼してのこと。彼がこれ以上ならぬ、というなら本当にダメなのだ。

 「まあ、穀物を売るのは私も反対だ。これから穀物はどれだけため込んでいても無駄ではない。むしろ州司徒には、買えるだけの穀物を買っておくようにいっておくか」

 「―――侯」

 金がないと言っているのに何を言っているのか。柴望が少々あきれ顔すると、その内心を読み取ったかのように、浩瀚は口の端に笑みを乗せた。

 「金はつくるものだぞ、柴望。さしより、あるところから取る」

 浩瀚はそう言うと、引き出しからおもむろに紙の束を取り出した。それをいぶかしげに手にとって、柴望は目を通す。ぱらぱらと最後まで確認し、柴望は思わず眉を顰めた。それは、ある商家の内部調査書だった。

 「清谷に居を構えている万賈の内偵の結果だ。随分と勝手をしてくれているだろう?」

 その言葉に同意しつつも、柴望は別のことの方が気になった。これだけの調査、一朝一夕にできることでないのは一目瞭然。つまりは、随分と前から目をつけ時間をかけて調査していたということになるのだが、今この時にあわせて出してきたかのような頃合いの良さに、一体どこまでが計画的なのかと唸らずにはいられなかったのである。

 
       
 
 
       
 
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 「調べがついただけでも相当な財をため込んでいるが、おそらくまだあると私は踏んでいる。どこまで掘り起こせるかは、お前の腕の見せ所だな」

 どこか挑発的に笑う浩瀚を見返しながら、柴望はあきれたようにため息をひとつ落とした。

 「ひとつおたずねしてもいいですか?」

 「何だ?」

 「一体この調査はいつからされていたのです?」

 「さて。似たような事案は山とあるからな。はっきりとは覚えていない」

 「では、質問を変えましょう。これはいつ調査のめどが立っていたのです?」

 問えばその意図を明確に察したのだろう。浩瀚はわずかに苦笑した。

 「この忙しい時に、などというなよ。何事にも適当な時期というものがある」

 「―――つまりは最初から、ここから没収する財を見込んでおられたのですか?」

 「そういうわけではない」

 浩瀚は小さく首を振った。

 「この万賈の行いが目に余るのは事実だが、彼らの存在によって清谷一体の商業にある一定の秩序が保たれているのもまた事実。本来その秩序を保つのは州府が行うべきことだが、悪行ばかりに目をやって万賈を叩けば清谷一体に混乱が生じるのは必定だし、その生じた混乱を収め再度秩序を構築する手間と費用を思えば、もう少し国内が安定してからでもいいかと思っていた。清谷は他国との貿易の要になる港町。混乱は私の望むところではないし、それによって得る不利益の方が民にとっては痛かろう」

 「―――では」

 「だが、国内の情勢はいつまで待っても良くなりはしない。それを考えた時に、いつまで放置していてよいものかと悩んだことがひとつ。それと、あえて混乱させるもありかという思いが生じたことがひとつ」

 その意外な答えに柴望は浩瀚を凝視した。

 「あえて混乱させる?なぜです」

 「これははずれて欲しいと思っているのだが―――

 浩瀚はそういうと、珍しく渋く険しい顔をした。

 「・・・・・・ひょっとすると主上のご決断は、もっと苛烈になるかもしれない。と、おもっている」

 「というと?」

 「もしかすると堯天追放の先があるかもしれない、ということだ」

 「・・・・・・堯天追放の先」

 柴望は口の中で小さく繰り返し、そっと眉を顰めた。

 浩瀚が密かに案じているものが何か、柴望は察したのである。

 
   

 
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 あれはいつのことだったか。

 柴望はそう遠くない記憶をたぐり寄せ、王朝が傾き始めた兆候を振り返る。

 主上が朝議に滅多に姿を見せなくなった、という噂を耳にしたのは、確か予青三年頃のことだった。元々登極当時からぱっとせぬ王で、覇気少ないその様子にいい噂などひとつも聞かなかったし、明るい兆しなんてものが見えたことなどあったのかと思うほどではあるが、それでも登極したばかりのころは真面目に政務をこなしていたようである。

 少なくとも、薄王のように奢侈におぼれているということはなかったし、比王のように権をもてあそぶような素振りがあったわけでもない。

 だが、当然の帰結というべきか、覇気少ない女王が海千山千の官吏に太刀打ちできるはずもなく、すぐに政務を厭うようになった。正寝で過ごす時間が多くなり、台輔が迎えに行かねばなかなか内殿まで出てこぬようになった。

 それでも、迎えに応じていた内はまだ良かったのだ。

 主上が官の前にほとんど姿を見せなくなったのは、呀峰より献上された園林がきっかけであろう。かりそめの理想郷を手に入れた主上は、そこで夢想にふけることを望み、台輔の言もほとんど届くことがなくなったという。

 とはいえ、これはかなり探りを入れて知ったことである。

 柴望の主浩瀚は、主上が呀峰より献上された園林に入り浸りほとんど姿を見せない、という噂を耳にした時、最初は、ひょっとしたらそこで何か秘密裏のことが行われているのかもしれないと考えた。官吏から離れたところで、朝を再生させる何かをしているのかもしれないと。そして、もしそうであるなら、主上のためにできる何かを見つけたかったのだろう。主上の身辺を探っている時の浩瀚の様子は並々ならぬ熱の入れようで、真実が明らかになった時には、さすがの柴望もかける言葉を見つけられなかったほどである。

 柴望は知っている。浩瀚という男は、仕えるべき主を渇望している者だということを。柴望からすれば、浩瀚こそ万民の主たる器を備えた者であると思っているのだが、他者が思うことと本人の内実とはしょせん並べようのないものだ。とにかく浩瀚は、自分のすべてを捧げても惜しくないと思うほどの主を求めていたし、浩瀚という主を持つ柴望にしてみれば、その思いもまた理解できなくはなかった。

 もし、自分の主が浩瀚ではなく、いつもどこかに絶望を抱えながら仕えねばならぬ者が主なら、それはどれほど虚しいことだろうかと思う。そして想像するしかないその絶望だが、もし浩瀚が常にその絶望を胸の中に密かに抱え続けているのならば、なんと哀れなことだろうとも思うのだ。

 もし自分なら、どこまでその絶望に耐えられるだろうか。二十数年の空位。その時代を堪え忍び、やっと得た主。それがまた絶望を与える者ならば、おそらく自分なら折れてしまうだろうと思う。だがそれでも、自分を主と従う者のために簡単は引けぬ身なれば、絶望はただただ澱となって心の中に降り積もっていくのだろう。

 
 
       
 

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 柴望は我知らず小さく息をついた。

 主上が堯天郊外の園林の入り浸りだした時が麦州府が一番熱かった時であるというのは、何とも皮肉としかいいようがない。

 とにかく主上は政を捨てた。玉座を捨てた王の天命は長くは続かない。あとはとにかく、ただ天命がつきるのを静かに待つだけだと思われた。

 だが、状況はまた変わる。一時期台輔との面会を避け続けていた主上が一転、台輔に恋着し始めた。きっかけが何かなどわからないし理由など意味のないことだと思うが、とにかく女房を気取って傍に女が寄るのを嫌がる。その悋気たるやすさまじく、台輔付きの女官を次々にやめさせ始めたのである。

 間違いなくこれが、一気に坂道を転げ落ちることになる出来事だったろう。勘気の対象は台輔付きの女官にとどまらず、まず内殿からことごと女官が追放され、次に女官吏も対象になった。そしてそれは内殿だけでは済まず、次第に範囲を広げ、ついには金波宮にいるすべての女性が王宮から追放された。その際、勅を本気とは受け入れきれずに王宮にとどまっていた者も多かったが、そういう者達は強制的に排除されることになった。つまりは処刑。勅に従わなかった罪として、多くの女性達が命を奪われ、現在でもまだそれは続いている。

 そして、主上の暴走はまだとどまる様子がない。

 そもそもこれほど事態が深刻化したのは、台輔が女人達をかばうからだ。台輔は仁獣。不遇を受ける者がいれば誰だって哀れに思うのが当然である。だが皮肉にもその仁は主上の暴走に拍車をかけた。主上が女を追放する、台輔は女人達が哀れだという。主上はその言葉に悋気を覚え、益々台輔から女人達を遠ざけようとする。内殿から、王宮から、堯天から。そしてすでに追放令は瑛州全土に拡大している。だが、台輔の憐憫は益々深まるだろう。となれば主上はどうするか。

 おそらく、国外追放。もう慶の民でなくしてしまえば、台輔が哀れむいわれもない。他国の者を哀れという前に自国の民を哀れめと、そういう大義名分が立つのだ。

 柴望は思いもしていなかったその考えに思わず戦慄を覚えた。慶から女を追放すれば、国が沈む。新たな子が授からぬのだ。いずれ国民はいなくなる。あとにはただ、寿命のない仙ばかりが、治める民のいない荒れた国土に残るのだ。

 果たしてそれは国と言えるのだろうか。

 「・・・・・・しかし」

 柴望は声に出しても良いものを慎重に選び取るかのように言葉を見つけながら、顰めた視線を浩瀚に向けた。

 「なぜ、混乱させる必要が?そんなことをすればかえって女人達を困らせるのではありませんか?」

 柴望の疑問はもっともだった。

 

   
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 柴望の問いに浩瀚は小さく笑う。その笑みはどこか寂しげでもあり皮肉めいてもおり、複雑なその心中を如実に表しているようであった。

 「考えても見ろ。誰が望んで国をでようか」

 浩瀚はそういうと小さく息をついた。

 「余裕のある者はいいのだ。他国に頼るべき者がいる者も恵まれている。しかし、着の身着のまま、財ももたずに追われてきた者達はどうだろうか。特に幼き者達や老人達にとっては他州まで流れること自体どれほどの負担だろうか」

 浩瀚の言葉に柴望はうつむいた。 

 確かにそうだ。誰も望んで国を出たいと思っているわけではないのだ。住み慣れた地を離れるというだけでも不安だろうに、それが他国にまでとなると心身にかかる負担はいかばかりか。

 「誰も国を出たいなどと思っていないのなら、せめて麦州に来た者達だけでも保護したい。他州のことに手出しできぬが、この麦州のことなら私の管理下だ。州侯という地位を積極的に活用させてもらおうと思う」

 「・・・・・・それが清谷の混乱ですか」

 「港の商業一体が混乱すれば船の運航に支障が出るのは必定だ。それを隠れ蓑に意図的に船の運行を止めれば清谷から船がでらぬことの言い訳が立つ」

 そこまで考えていたのか。柴望が浩瀚の先を見据えた視点にただただ驚いていると、浩瀚はわずかに自嘲の笑みを漏らした。

 「ただこれは、先にも言ったようにはずれてくれることに越したことはない。だが、その場合は、いたずらに混乱させただけであとの収拾が大変だろうがな」

 「当たろうが当たりまいが、万賈を叩けば混乱は必定。そして万賈はもともと法に触れておりいつまでも放置できる存在ではない。そして今叩くことで不足している財源を補充できるという利もある。ならば、結局がさ入れは避けられぬということでしょう?」

 「―――まあ、その通りだな」

 「ならば、どちらにせよ面倒な後始末が必要だということです」

 柴望がいえば浩瀚は口の端に笑みを浮かべた。

 「・・・・・・苦労を掛けるな」

 それに柴望ははっきりと苦笑した。

 「それをおっしゃるなら、あなた様を主に戴いた時から苦労しっぱなしです。でも何だかんだいってその苦労が麦州のためになっているのでそれなりに報われているのですよ」

 「そうか」

 「ええ、ですから、浩瀚様は麦州のためにきっちり働いてください。これは私が早速明日から取りかかりましょう」

 柴望の言葉に、浩瀚は苦笑しながら頷いた。

   
   
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