「何も心配する必要はない」
庭の中ほどまで歩いてきたところで、浩瀚はふと足を止めて陽子を振り返った。
すべてから彼女を守りたかった。苦しみも悲しみも彼女に近寄らせたくはなかった。
「しばらくは、ここでゆっくりするといい。欲しい物があれば何でも用意しよう」
贅沢を楽しむことで彼女の心が癒えるなら、どんな贅沢も叶えてやろうと浩瀚は本気で思った。
浩瀚は彼女の上着に手を伸ばす。男物の上着は彼女には大きすぎて、だぶつく前をそっと整える。その手に一瞬だけ視線を落として、陽子は浩瀚を見やった。
「私は海客です。こちらのことは詳しいとはいえませんし、理解できないこともたくさんあります。けれども、今この国はとても大きな問題を抱えていて、皆がいろいろ苦労しながら生きていかなければならない状況なのだということはわかっているつもりです」
陽子は努めて冷静に言うつもりだった。しかし言いながら感情が高ぶってくる。それを無理に抑えようとすれば言葉が震えて、訳も分からず涙がこぼれ落ちた。
「けれども、あんな酷いことが起きるなんて!何の心配もないって言われても納得できません。どうしてあんなことが起きたんですか。みんなはどうなったんですか。私たちはこれからどうなるんですか。説明できないのは、私が海客だからですか?」
「違う。そうじゃない」
「なら教えてください。塾のみんなはどうなったんですか。無事なんですか?今どこにいるんですか?みんなも州城にいるんですか?遠甫は無事なのですか?」
矢継ぎ早の質問に、浩瀚はどこからどう答えたものかと悩む。その戸惑いに陽子は困惑した。
「―――まさか!」
マサカジブンダケガ?
唐突に恐怖が突き上げた。胸をつかまれたような息苦しさに、陽子はあえぐ。空気を求めるように口の開閉を繰り返したが、呼吸はうまくいかなかった。
「陽子、落ち着きなさい」
浩瀚が肩をつかんで陽子を激しく揺さぶった。そのまま胸に抱き、背中をなでる。
「落ち着いて。ゆっくり息をするんだ。ゆっくり、ゆっくり。吸って、吐いて」
吸って、吐いて、と繰り返されるその言葉に従って、陽子は深呼吸を繰り返した。やがて陽子の息は落ち着きを取り戻したが、浩瀚はそのまま陽子の背をなで続けていた。
陽子はそんな浩瀚の腕の中におとなしく身を預けた。浩瀚の腕の中は、暖かくて、居心地がよくて、何より安心感があった。本当は自分がこんな風に甘えていい相手ではないことはわかっていたが、今だけは浩瀚の好意に甘えたかった。現実を知りたいと思いながらも、一人で聞くのは怖くて、抱きしめてくれる誰かがいなければとても立っていられそうになかった。
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