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 浩瀚の放つ気配に柴望は小さく息を吐いた。

 「現段階では問題がありすぎます」

 覚悟の一言だった。柴望も引けなかった。

 「主上の勅のあとに、北宮に女人を招いたともし周囲に知れることになれば、貴方様を落としいれようと虎視眈々と狙っている者たちは、当然そこに付け入ろうとするでしょう。―――そうなれば、陽子は貴方様以上に多くの者に目をつけられる存在になるのです」

 「それは、情報が漏れればという前提に立っているんだろう?現時点でそのことを知るのは、私とそなたと玉葉しか知らぬはず。それとももうすでに、これ以外に情報を漏らしているのか?」

 「・・・・・・いえ」

 柴望は、口の中に苦味が広がったような不快感に耐えた。

 「では、もし情報が外へ漏れれば私は最も信頼してきた部下を疑わなくてはいけなくなるわけだ」

 「浩瀚様、情報は如何に漏れるかわからぬものです。北宮に陽子がいれば、誰も通わずに閉じ込めておくわけには行きますまい。人の出入りがあれば、不審に思う者もいるはずです」

 「では、そなたにも後宮の一室を与えてやろう」

 「は?」

 唐突な言葉に、柴望は思わず素っ頓狂な声を上げた。聞き間違い出なければ自分の耳がおかしくなったのだと柴望は本気で思った。固まったまま浩瀚を見つめる柴望に、浩瀚はにやりと笑った。

 「さすればそなたが後宮に出入りするのは当然になるだろう?」

 「じょ、冗談も程ほどに!」

 「冗談ではない」

 浩瀚は笑みを引っ込めた。その瞳の奥に宿った鋭さに柴望は固唾をのむ。確かにその雰囲気を見れば、何か思惑があっての発言のようだったが、浩瀚の真意の程が読み取れず、柴望はただただ狼狽した。

 「ひとつに、これから女性には州城から退去してもらわなければならない。だから、そもそも女官に世話を頼むわけには行かないんだ。かといって、下男と二人きりなどという状況にするつもりもない。ならば誰が適当か、と考えればそなた以外にいない。そもそもそなたは陽子の庇護者だし、陽子とも気心がしれている。陽子も安心するだろう」

 だが、と浩瀚は続けた。

 「そなたが後宮に頻繁に出入りするのはさすがに怪しい。周囲が納得する理由が必要だ」

 「それで私にも後宮をお与えになると?」

 柴望はこめかみを押さえながら渋面した。

 
       
 
 
       
 
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 「周囲に絶対漏れてはならぬ仕事をするためだという噂を流せば、周囲はそういうこともあるだろうと納得する。このご時勢だからな。官府とはいえどこから間者が紛れ込んでくるかわからない」

 やれやれ一体どこまで頭のまわる御仁か、と柴望はほとほと感心した。確かにそれなら柴望が後宮に頻繁に出入りしていても説明がつくし、浩瀚の出入りも二人で密談しているのだろうと取られるだろう。もし州城内に間者が紛れ込んで「後宮で一体どんな密談をしているのか」と疑問には思っても「女人を匿っている」とは思わないに違いない。そして後宮には絶対に忍び入るのは不可能なので、中の真実が外に漏れることはないのである。

 陽子を後宮に匿うことは、浩瀚と柴望が後宮に出入りする理由さえついてしまえば確かに可能であると柴望も思った。

 しかし―――

 「それを陽子が望むでしょうか?」

 その呟きに浩瀚が一瞬動揺したのを柴望は見逃さなかった。

 「これから起きる混乱がどのくらい続くのかわかりません。思いの外早く収拾してしまうのかもしれませんが、2年や3年続くかもしれません。いつまでともわからない間、ただの二人しか訪ねてこない人気のない場所にいたいと思う者がいるでしょうか? ・・・・・・それに、そんなことが果たして陽子のためになるのでしょうか?いくら建物は豪華で、衣食住に困らなくても、まるで自由のない生活は囚人と同じではないのですか?」

 「だが、仮に城外に移したとて変わりあるまい。慶は混乱のさなか、女が自由に出歩ける場所はない。しかも松塾の生き残りと知れれば賊徒に襲われる危険もある。しばし不自由を掛けるのは承知だが、身の危険がない分だけ今のままとどめ置いた方が陽子のためになる」

 「確かに城下なら」

 柴望はうなずいた。

 「しかし、雁ならいかがです?」

 浩瀚が目を見張って柴望を見た。

 「陽子の身の安全を考えるなら、雁へ行かせるのが最善の道ではないでしょうか?雁ならば陽子は自由です。賊徒もまさかわざわざ、塾に身を置いていただけの少女を雁まで追いかけていくことはないでしょう。それに、陽子は慶の人間ではありません。慶国内に無理やりに留め置く理由はありませんし、慶の混乱にこれ以上巻き込む道理もありません」

 珍しく浩瀚は言葉に詰まった。反論できない浩瀚に柴望は更に畳み掛けた。

 「女性官吏を雁へやる同じ便で雁へ送れば危険も少ないでしょう。海客に対する手続きも女性官吏に頼んでおけば安心です。これで陽子も正当な戸籍を得ることができ、こちらの世界で結婚して家庭を築いていく道も開かれることになります」

 柴望は切り札を切った。


 
       
 
 
       
 
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 陽子に正式な戸籍を与えることが可能になる、という柴望の言葉は、浩瀚にはかなりの威力だった。先々のことを考えれば陽子がこのまま無戸籍のままというのは浩瀚も望むところではない。自分の持つ権力を最大限に生かせば、表向きはどうとでもなるが、それが真に天に認められたものとなるのかは浩瀚とて自信がなかった。

 婚姻は同じ国の男女でしか認められない。それは、この世界の絶対に動かすことができない摂理だった。

 「渡航及び雁での生活については私が責任を持ちます」

 だから、と柴望は訴えた。

 「陽子は仙ではありません。十代の只人なのです。この年代の二年や三年が如何に貴重な時間であるかを思い出して下さいませ。我々と同じ時間の尺度で測ってはなりません。陽子のことを大切に思うなら、彼女の時間を奪ってならないのです」

 柴望の言葉に、浩瀚は渋い顔をして黙りこんだ。

 柴望の言い分はもっともだった。頭では理解できる。しかし感情が絡むと何とも厄介だった。

 浩瀚は黙り込んだ。それは、浩瀚にしては長い長い沈黙だった。

 柴望は静かに浩瀚の答えを待った。既に言うべきことは言った。あとは、浩瀚の答えを待つしかなかった。

 やがて浩瀚は静かに息を吐き出す。細く長く、深いため息だった。

 「……陽子が望む通りにしよう」

 すべてを説明し、ここに居たいというのならそうするし、雁へ行きたいというのならそうする。あるいは、別のことを望むかもしれない。しかし、できる限りの中で陽子の意に沿うよう努力しよう。浩瀚は、静かにそういった。

 「しかし、すべては陽子の安全が確保されるとの確認の上でだ」

 「もちろんです」

 柴望は頷いた。頷きながら柴望は、浩瀚はひょっとして陽子がここに留まると言うことにかけているのではないかと思った。あるいは、そう説得してしまおうと考えているのかもしれないと。

 「陽子にはいつ話を?」

 「今日の夕餉に」

 「私も同席を」

 浩瀚は一瞬間をおいて頷いた。

 「玉葉も一緒であった方が、陽子も気がほぐれるでしょう」

 柴望の提案に浩瀚はわずかに苦笑して頷いた。

 「では、そうしよう」

 玉葉は手紙を届けてくれただろうか。柴望は浩瀚の前を辞しながらそれを考えていた。

 
       
 
 
       
 
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 四人での夕餉はそれぞれ思惑を抱えつつも和やかに始まった。会話には時折笑い声も交じった。話の内容は主に浩瀚や柴望の若い頃のことで、学生時代の話が中心だった。恩師との逸話はいくつ年を経ても色あせぬのか、浩瀚がある老師の課題の無謀さに未だに憤慨しているのが陽子にはおかしかった。

 そんな座の雰囲気が一変したのは、食事も終わり卓上に茶器だけとなったときだ。

 「ところで陽子、大事な話があるのだ」

 浩瀚は陽子をまっすぐに見つめて、そう切り出した。

 陽子はついに来た、と思った。

 三人が一緒に現れて夕餉を共にすると言った時から、何かあると感じていた。食卓の楽しげな雰囲気はむしろどこか不自然だった。あまりも屈託なく楽しすぎたのだ。陽子の知る現在の世の中の状況を考えただけでも、三人は陽子の相手をしながらこんなに楽しげに食卓を囲んでいる場合ではないはずだった。

 「陽子の今後のことなのだが」

 浩瀚はそこで言葉を切った。そんな浩瀚を柴望は難しい表情で見つめていた。

 「まず、はじめに言っておくが、私はできれば陽子にはここにいてもらいたいと思っている。陽子のためだという言葉を使うこともできるが、正直に言えば、私が不安なのだ。こことは別の場所に身を移せばどうしたって目は届かない。目の届かない所にそなたがいくのが不安でたまらないのだ」

 陽子は驚いて浩瀚を見つめた。言われた言葉をどう受け止めていいのかわからなかった。愛の告白のようにも聞こえたが、自意識過剰すぎると陽子は否定した。

 昼間会った女性の姿が脳裏をよぎる。豊かな胸にくびれた腰。匂い立つような色気を振りまいていたあんな女性が好みのはずの大人の男性が、自分みたいな小娘に恋愛感情なんて持つはずがない。

 恐らく彼は庇護欲をかきたてられているのだろう。正義感と責任感が強いゆえに、身寄りのない頼るべき者がない自分みたいな存在が、放っておけないのだ。親代わり、とでも言えばいいのか。州の民をあずかる立場にいるゆえに、陽子のこともその延長線上に思っているにすぎないのだ。

 「でも、それは無理なのですよね?」

 陽子は静かに言った。

 「この国の王が、女性は国から出ていくようにとの命令をお出しになられたと聞きました。それで、州城にいらっしゃる女性官吏の方々も近々州城を出ていかれるのでしょう?」

 誰からそれを?と驚いて、浩瀚は柴望と玉葉を見やった。しかし二人とも同じように驚いていて、目線で自分たちではないと訴えた。

 「―――それは」

 浩瀚は次の言葉に詰まった。

 
       

   
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 そんな話はでまかせに過ぎない、とごまかすにはすでに遅すぎた。狼狽しすぎた自分を浩瀚は呪った。

 「・・・・・・それでも、陽子一人ここに匿うくらい雑作はない」

 「いいえ」

 陽子はふるふると頭を振った。染め抜いたような赤い髪が揺れる。浩瀚は陽子から目が離せなかった。柴望も玉葉も、陽子が何と言うのか息をつめて見守っていた。

 「私だけが特別扱いを受けるようなことがあってはいけないと思います。だって、王様の命令なんですよね?もし、その命令を無視していることがわかったら浩瀚様や柴望様や、その他麦州の方々はどうなるんでしょう。私のせいで罰を受けるようなことになれば、私は絶対自分を許せないと思います。・・・・・・どうして、あの時出て行くって言わなかったんだろう。どうして、甘えてしまったんだろう。そう、ずっと後悔するに違いありません」

 本当は、と陽子は小さく呟く。

 「ここから出て行くのは怖いって思います。塾を襲った賊が、生き残った人をまた襲うかもしれないって聞けば、怖くて仕方ありません。ここに匿ってくれるとおっしゃってくれるのなら、それに甘えてしまいたい気持ちもあります。不安や恐怖は全部外の世界に追い出して、何にも考えずにここにいれたらって思うんです」

 陽子が言葉を切ると、部屋には沈黙が落ちた。浩瀚は言うべき言葉を捜したが、思いは複雑に絡まるばかりで言葉を拾い上げることはできなかった。

 「でも、その選択の先は袋小路なんです。いずれ身動きが取れなくなって、進むことも戻ることもできなくなる。―――そうならないためには別の道を進むしかありません。…その別の道がどこにあってどこに続いているのかは、今の私にはさっぱりわかりませんが」

 陽子、と柴望が口を開いた。浩瀚は視線を伏せただけで、柴望を見ることはなかった。

 「そなたは、雁へ行ってはどうかと思っているのだ」

 「雁?」

 陽子は戸惑いながら柴望を見やった。雁は慶の隣りの国。胎果の王が治める五百年の大国。そのくらいしか情報を持たない国だった。

 「陽子の言ったように、女性は慶国内から出ていくようにとの勅を主上がお出しになられた。それに従って、麦州府でも女性官吏を州城から出す段取りを整えている。民にも国外退去の触れをお出しになられた。しかし、浩瀚様は一方で、できれば国を出て行きたくないと思っている者達を港近辺にとどめ置いて匿おうと計画なさっておられる。出ていきたいんだけれども、船が順番待ちで出ていけないというような体裁を整えて」

 陽子は頷いた。これまで見てきた浩瀚の姿を考えれば、すんなりと納得できる話だった。

 「しかし、それでもすべての者を港に匿うことは不可能だし、本当に国を出たいと思う者もいるだろう。だが、国を出たところで当てがあるのか。浩瀚様はそこまで心配なさっておられるのだ」

   
   
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