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 清陵の街中をひとりの若者が行く。年の頃は二十代半ばか。毛織りの襤褸(ぼろ)を纏いつつも、どこか気品の漂う男である。
 広途の両脇には、あちこちから流れ込んできた荒民の姿があった。男は先を急くように歩きながら、その者たちをちらりと一瞥する。地に伏せたままぴくりとも動かない者は、死んでいるのかもしれない。仮にまだ生きていても、あのまま朝を迎えれば間違いなく死体になるだろう。この季節の武州は、まだ野宿できるほど温かくはなく、いまの清陵では、朝になると道端のあちこちに遺体が転がっているのは珍しくもない光景になっていた。
 街自体に被害のなかった清陵には、あちこちから荒民が流れ込んでいる。中には川を渡って広趾、さらにその先にある郷都興元を目指していた者もいるのかもしれないが、橋が落ちて川を渡れぬために清陵から動けず、この街に留まる荒民はかなりの数に登っていた。しかし、人がどんどん集まってきても十分な物資がない。寒さと飢えでばたばたと人が死に、閑地には埋葬が間に合わぬ遺体が山と積まれていた。
 先日、一度食事の配給があったがとても十分とは言えず、わずかな食料を巡って騒動がおきた。大混乱となった現場では死人も出て、それ以来官府(やくしょ)は民を救済することよりも暴動が起きることやそれに自分達が巻き込まれることを警戒したようだ。門を固く閉ざし、民を寒空に放置したまま見てみぬ振りを続けている。
 その現状に、清陵では武侯への怨嗟の声が巷に溢れ始めていた。つい昨日には暴徒と化した民らが官府を襲うという事件まで起きたが、門戸をわずかに焦がしたに過ぎなかった。犯人捜しはいまだ続いているが、哀れんだ州師の兵によってすでに逃がされたという噂もある。
 男は広途から串風路(ろじ)へと曲がると、一度ちらりと後ろを振り返ってからその速度を上げた。ひと気のない串風路を男は人目を気にするように進み、随分とくたびれた戸の前まで来ると、その戸をそっと押し開けてするりと身を滑り込ませた。

 「どうだ。何か連絡はあったか?」
 若者が戸をくぐると、待ち構えていたかのようにひとりの男が現れる。こちらは随分と体格のいい壮年の男だ。男の言葉に若者はうなずいた。
 「ああ、昨日堯天からの使者が武州入りしたようだ。被災地の視察には武侯自ら案内するらしい。清陵の視察は三日後の予定だそうだ」
 若者の言葉に男がにやりと笑った。
 「では、あの方がおっしゃっていた通りに事が運ぶわけだ」
 「堯天からの使者の護衛に将軍をつけないわけにはいかない。しかし、将軍と使者を二人だけで会わせたくない。ゆえに武侯も城から出てくるだろう」
 かつて伝えられた策を若者はそのまま口にして、彼もまた口の端に笑みを乗せた。
 「ただ、その使者というのが禁軍の左将軍らしいがな」
 その言葉に、男はわずかに驚いたように片眉を上げた。
 「―――武侯はひょっとしたら堯天と通じているのかもしれない」
 「怖気づいたか?」
 「まさか。ただ、失敗しては元も子もない。慎重になっているだけだ」
 揶揄するような男の口調に若者はわずかに不快を露にする。そんな若者を安心させるかのように男は努めて穏やかな声を出した。
 「何も心配することはない。俺たちにはあの方がついているのだ。作戦通りにやればいい。あとのことは、あの方が考えてくださる」
 「そうだな」
 男の言葉に若者はうなずく。
 「それより、あいつはどうしている?」
 若者が問うと男は口の端に笑みを乗せた。
 「言われた通りに侠客集めに励んでいるさ。―――ただ、今はあの娘の部屋かな」
 「……昼間からいいご身分だな」
 若者がわずかに顔をしかめると、男は声を立てて笑った。そして若者の耳にそっとささやく。
 「いいじゃないか。あいつにはすべてをかぶってもらわなきゃならんのだからな。今のうちに楽しませておけばいい」


◇     ◇     ◇


 意識を手放して果たしてどれほどの時間が過ぎたのか。気がつくと琳明は見知らぬ房間の臥牀(しんだい)に横たわっていた。
 ―――ここはどこだろうか。
 起き上がろうとしたが足に力が入らず、そのまま床にへたり込む。
 記憶の糸を辿れば、覚えているのは空を覆った黄金色の光。そのあと、ものすごい風に吹き飛ばされたような気がする。そのあとの断続した記憶は、夢か現かよくわからない。
 地に伏して動けなかったところを誰かに助けられた。今ここにこうして寝ていたのだから、あれは夢ではなかったのだろう。
 とりあえずそう結論付けて、琳明は臥牀(しんだい)に這い上がって再び横になった。
 ―――おそらく蝕が起きたんだ。
 覚えているだけの記憶から推論づけて、琳明はそう思った。今まで蝕にあったことはないが、蝕がどんなものかというのは小さい頃からいろいろと話に聞いている。いろんな天変地異が一緒くたに起こる災害――――蝕。四年前には、隣国巧で起きたと風の噂で聞いた。多くの人が亡くなり、生き残った人たちも麦が全滅して困窮したという。
 ―――睡稜は大丈夫だろうか。
 そんなことをとりとめもなく考えていると、戸の向こうに人の気配がした。その気配は何のためらいもなく戸を押し開けて室内に入ってくる。鮮やかな青い髪が印象的な見知らぬ青年であった。
 「ああ、気がついたか」
 青年は琳明と目が合うと、やさしい笑みを見せた。それにどことなく安心して、琳明は思わず身構えた体から力を抜く。
 「気分はどう?怪我をしている様子じゃなかったけど、どこか痛んだりする?」
 問われて琳明は首を横に振る。
 「……ただ、力がはいらなくて」
 答えれば青年は微笑んだ。
 「まあ、三日も寝たきりだったからね。何か食べる?その前にこれを飲んでもらわなきゃならないけど」
 青年はそう言って手にしていた盆を少し掲げて見せた。
 それは?と問えば、すかさず薬だと返される。
 「ちょっと苦いけどね」
 そう言って差し出された椀を琳明は受け取った。口に含めば確かに苦い。それでも全部呑んで琳明は青年に椀を返した。
 「随分、お世話になったみたいで。ありがとうございます」
 琳明がぺこりと頭を下げて名を名乗ると、青年は「いい名だ」と呟いてから夙悟(しゅくご)と名乗った。
 聞けばここは夙悟が経営している宿の一室だという。お金もないのに申し訳ないといえば、もともと客の少ない宿だから構わないと笑った。
 それから話の中で、ここが清陵であると知って驚く。清陵は、睡稜と同じ湍水沿岸の街だが、随分と下流にある。徒歩で向かえば丸一日かかる距離だ。
 琳明の驚き振りが不思議だったのだろうか。夙悟がどうかしたかと首をかしげた。それで睡稜出身なのだといえば、今度は夙悟の方が驚いた顔をした。そしてその表情は見る見るうちに険しくなる。
 「―――そう、睡稜の人だったのか」
 「あの……、なにか?」
 意外なほど引き締められた表情に琳明が訝しげに首を傾げると、夙悟はしばし言葉を捜すように視線を彷徨わせてから琳明に視線を向けた。
 「蝕は、安寧辺りから虚海へ抜けていったと聞いている」
 その言葉に琳明はとりあえずうなずく。安寧は武州の東。かなり瑛州よりにある郷だ。そこから虚海まで蝕被害を受けたのなら、かなり広範囲にわたることになる。
 漠然と大変なことが起きたんだなと考えていた琳明に、夙悟は思いもしなかった言葉を告げた。
 「里が三つ消えた。睡稜もそのひとつだ」
 「・・・・・・え」
 あまりのことに琳明は一瞬、夙悟何を言ったのか理解できなかった。ただただ驚きの視線を向けると、夙悟は一度瞑目した。
 「君は運が良かった。・・・・・・申し訳ないけど、そうとしかいいようがない。―――行き先が決まるまでここにいていいから。何も心配しなくていい」
 夙悟はそう言うと、ただただ呆然とする琳明をそっと抱きしめた。

 

 
 
 

  
 
 
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