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 太陽が西の稜線にかかろうかという頃、陽子は清陵の門をくぐった。閉門に間に合ったことにほっとしたのは一瞬のこと。暮れなずむ街は奇妙な静寂に満ちていて、陽子は一歩足を踏み入れた途端思わず眉をひそめた。
 それは直感としかいいようがない。しかし今までの経験から、陽子はこの街が何かとても危険な空気を孕んでいる気がしてならなかった。
 強いていうなら嵐の前の静けさ。
 子門から街に入った陽子は、中大経(おおどおり)をまっすぐ南へ下る。行けば広い途の両脇に広趾同様多くの荒民が肩を寄せ合うようにうずくまっているのが嫌でも目に入った。日が傾いて、気温は下降の一途を辿っている。このまま野宿すればどうなるか。そんなことは容易に想像がつく。果たしてあの中の何人が、朝を迎えることができるのだろう。
 ―――蓬莱のように毛布の一枚でも配給できたら。
 唇をかみしめながらしばし歩けば内環途にでた。正面には官府。閉門の日没までにはまだ少し時間があったが、なぜか目の前の玄武門は固く閉ざされている。それを少し不審に思いながら、陽子は青龍門へと回った。そこも同じように閉ざされているのを見て取って、陽子はますます不審を募らせた。しかも、門戸の一部が焦げている。
 官と民が衝突している。目の前の光景に陽子はそう直感した。下手すると多くの人が無為に命を落とす事態が起きるかもしれない。
 そんな心配をしながら、陽子は取りあえず今夜の宿を探そうとその場を離れた。


 キャーという悲鳴を聞いたのは、その直後だった。ただならぬその叫び声に陽子は迷わず駆け出す。悲鳴の元はすぐに知れた。華奢な少女が三人の男に絡まれている。
 「その手を離せ」
 駆けつけるなり陽子はそう言い放った。しかしごろつき風情の男たちは、陽子を見て鼻で笑った。
 「随分と威勢がいいが、痛い目に遭いたくなきゃうせな」
 「その言葉、そのままそっくり返そう」
 「なに?」
 「その子を離して今すぐに立ち去るなら、見逃そうと言っているんだ」
 男たちは一瞬惚けたように顔を見合わせると、突如声を立てて笑った。
 「おい、いまの聞いたか!」
 「こいつ何様のつもりだよ」
 「小説の見すぎじゃないのか」
 「頃合いよく現れて活躍する剣士か?」
 「ありえんだろう」
 男たちはひとしきり笑うと陽子に向き直った。
 「英雄気取りは相手を選んだ方が良いぞ」
 「別に英雄を気取っているつもりはない」
 「どうやら本当に痛い目に遭いたいようだな」
 「それはさっきそのまま返そうと言っただろう。頭が悪いのか」
 陽子が答えれば男は思い切り顔をしかめた。
 「口の減らない餓鬼だな!」
 「生意気なやつだ」
 「兄貴。やっちまいましょうぜ。どうせ今この街では、道端に転がってる死体が一個増えたぐらいじゃ役人にとがめられることもねぇ」 
 男たちはそう言うと腰に下げていた刀を抜いた。刃の反り返っている、青竜刀のような刀であった。
 男達が抜刀したのを見て、陽子も水禺刀を抜く。
 「随分と大層なもの持ってるじゃねぇか。少しは楽しませてくれよな」
 男たちは叫んで、一気に襲いかかってきた。
 一人目の間合いを完全に読み切ってひらりと身をかわしてやり過ごすと、二人目の刃をすりあげて流す。振り下ろされた三人目の刃をぎりぎりで受けとめると火花が散った。力業では負けるとわかっているので受けた刃はそのまま流し、同時に身を返して攻撃に転じる。殺すのは簡単だったが、簡単に殺したくもなかった。どこかで彼らも自分が守るべき慶の民なのだという思いがある。衣食足りて礼節を知る、という言葉があるように、彼らとてもっと恵まれた環境に身を置けば違った人生を送れるかも知れないのだ。そしてその環境を整えるのは、間違いなく王の責務である。
 武器を握った手をねらう。峰で強打すれば男たちは小さくうめいて武器を取り落とす。最後のひとりが雄叫びを上げて斬りかかってきたところを、陽子はうまく受けて流す。相手が体勢を崩したのを見て取って、柄で思い切り背を突いた。派手に転んだその背を踏みつけて喉元に刃を突きつけると、男が息を呑むのが剣先から伝わった。
 「・・・・・・ま、参った」
 助けてくれ、と助命する男を冷ややかに見下ろして、陽子はわずかに苦笑した。
 人の命は簡単に奪おうとするくせに、己の命は惜しいと見える。これなら死を覚悟して大逆をもくろんだ天官らのほうがよほど理解できる。そう思って、陽子は苦笑を深めた。
 ―――こんなことを言うと、また浩瀚の長い説教を聞く羽目になるな。
 「次に会った時は容赦しない」
 剣を下げて、行けといえば、男たちは一目散に逃げていった。
 一気に静寂の戻った途には、腰を抜かしたように地面に座り込んでいる少女がひとり。陽子はその少女に歩み寄った。
 「大丈夫?怪我はない?」
 「あ、はい。ありがとうございました」
 立てる?と手を差し出せば、少女はこくりとうなずき、少々ほほを赤らめながら差し出された手をとった。
 「送ろう。また変なやつらに絡まれるといけないからね」


◇     ◇     ◇


 少女は名を琳明といった。蝕で帰る場をなくし、今はこの街の花雲閣という宿館で世話になっているという。家族は無事なのかと聞けば、もともと孤児だと言われた。睡稜の里家に身を寄せていたという。
 「睡稜?」
 陽子は軽く目を見開いて問い返す。確か、消えたという里のひとつが睡稜という名前ではなかった。
 「そう、睡稜。消えちゃったらしいわね」
 実際に見ていないからあまり実感できないんだけど、と琳明は小さく笑った。
 「だから、詳しい話を知っている人がいるんじゃないかと流れてきた人達に聞き回ってたの」
 「―――そうか」
 「陽子は、街の人?」
 「いや、堯天に住んでる」
 「―――じゃあ、わざわざ清陵にきたの?」
 「知り合いがいてね。無事がどうか気になって」
 「・・・・・・そう」
 用意していた嘘に琳明もあっさりと納得してうなずいた。
 「それで、無事は確認できた?」
 「いや。清陵に着いたのはついさっきでね。今日はとりあえず宿に泊まろうと探していたところなんだ」
 陽子がそう言うと、琳明は少し難しい顔をした。
 「今清陵で宿を取るのは難しいかもしれないわ」
 「そうなの?」
 「ええ。多くの人が蝕で家を失って流れてきているでしょう?お金がない人達は野宿するしかないけど、お金がある人達はみんな宿に泊まってるの。だから、今清陵の宿はどこもいっぱいだし、法外な値を要求して随分儲けている宿もあるって」
 「―――なるほど」
 陽子はひとつ息をついて天を仰いだ。ここにも貧富の差が影響している。お金がある者は夜露をしのげる場所を確保して命を繋ぐことができ、そうでない者は死と隣り合わせの環境に身を置くしかないのだ。
 蓬莱のように避難所さえあれば・・・・・・。
 ないないづくしの今の状況に、陽子はため息をつくしかなかった。
 それを琳明は別の気鬱に取ったのだろう。心配そうにのぞき込む。
 「あの、私。夙悟に聞いてみるわ。陽子を泊められないか」
 「夙悟?」
 「いまお世話になっている宿の主よ。―――部屋がない訳じゃないんだけど、あまり客を取りたがらなくて」
 「稼ぎ時なのに?」
 「変なお客を取っちゃうと厄介な事になっちゃったりするでしょう?特に家をなくした人は長く逗留するだろうし。だから、すごくお客を選んでいるみたいなの。でも、陽子はしっかりした人だし、・・・・・・私の恩人ですもの」
 「ありがたいけど、無理はしなくていい。琳明だってお世話になっている身だろう?」
 「とりあえず、頼むだけ頼んでみるわ」
 琳明の申し出に陽子はうなずいた。


 宿館に向かいながら、陽子はこの街の様子についていろいろ尋ねた。聞けば思っていたよりも事態は深刻で、食糧配給をきっかけに起きた騒動で死人まで出たと知って驚いた。無計画な配給は、より混乱を招く。とりあえずある物を民に分け与えねばと考えていた己の浅はかさを思い知らされた気がした。
 やはり早急に救済の仕組みを築き上げねばならない。今回の蝕で国としてやるべき事は、被害状況の把握ばかりでなく、今後作り上げる仕組みに必要な情報の収集とその分析だ。
 ―――戻ったら浩瀚に相談しよう。
 そんなことを考えている間に、目的の花雲閣に着いた。


◇     ◇     ◇


 宿の奧から出てきたのはまだ若い男だった。鮮やかな青い髪が印象的で、線の細い知的な雰囲気が、宿の主らしからぬ男だと陽子は漠然と思った。
 「話はわかりました。一晩で良ければお泊めしますよ」
 琳明から事のいきさつを聞いた男は、柔和に笑ってそう言った。
 「世話になる」
 陽子が軽く頭を下げると、男はわずかに苦笑する。
 「いいえ。蝕以来、いろいろな物が手に入りにくくて。たいしたもてなしはできないと思うけど、それはご容赦願いたい」
 「寝床があるだけでありがたい」
 「では、こちらへ」
 男の案内で陽子は部屋へ通された。
 中庭に面した二階の部屋で、臥室がふたつそろっているしっかりした部屋であった。宿の中でも随分と良い部屋だといっていいだろう。
 それなりに遇されているようだ。そうは思ったが、陽子はこの宿に入った瞬間から違和感がぬぐえなかった。
 客を取り渋っている。それだけにしては、本当に客の姿がなかった。まるで、宿というのは看板だけであるのではないかと疑いたくなるほどに。
 そう思うのは、客の姿はないが、建物の中には人の気配を感じるからだ。品定めされているような、そんな視線を物陰から何度も感じた。
 「班渠」 
 「ここに」
 陽子が呼べば影からぬっと獣が顔を出す。
 「この宿の中を調べよ。少しでも不審があれば知らせて欲しい」
 「かしこまりまして」
 獣は音もなく再び影に消えた。

 

 
 
 

  
 
 
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