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 夜の帳が降りた宿の奧。ただならぬ空気を纏った男たちが十数人。息を潜めるようにして頭をつきあわせていた。
 皆の視線の先には鮮やかな青い髪の男―――夙悟。そのすぐ脇に、体格の良い壮年の男とどこか気品漂う若者が座している。
 誰一人として、影に隠行しているものがいるなど気づく様子もない。
 「いよいよ明日に迫った」
 静かな部屋に夙悟の密やかな声が響いた。男たちは息を凝らして、その密やかなささやきに耳を傾ける。
 「情報では、武侯は使者とともに騎獣で官府に降り立ち、玄武門から出て中大経(おおどおり)を通って里に向かうことになっている。使者の共はわずかに二。武侯の共は補佐する文官が一人だけだ。形式上は州師が護衛するのだから武侯は丸腰だと言っていい」
 その説明に、幾人かがにやりと薄い笑みを浮かべた。
 「襲撃場所は里の内部。武侯のやり方に前々から不満を抱いていた里の人間の犯行だと見せかける。ひょっとしたら使者やその共が武侯を守る動きを見せるかも知れないが、暴徒たちから守るという形を取って州師が動きを封じるので心配しなくて良い。その間に俺たちが武侯を確実にしとめる」
 伝えられる作戦に、男達は一様にうなずく。
 「―――そのあとは、前から伝えているとおりだ。適当なところで州師に投降するように」
 その言葉に幾人かが緊張の色を見せたが、なにも言いはしなかった。何度も聞かされている計画だったからだが、夙悟の横に座していた壮年の男は、それでも安心させるように言葉を繋いだ。
 「なあに、何も心配する必要はない。犯人を捕まえないと魯将軍の面目が保たれないから捕まってもらうが、形ばかりのこと。捕まったあとはすぐに処刑されたことになるが、何度も言っているように書類上だけの話さ。あとは雁で新しい戸籍を入手できるように手はずが整っている。これが済んだら、こんな貧しい国とはおさらばして、豊かな雁で悠々自適に暮らせばいい。それだけの成功報酬も用意している。これはその金の一部だ」
 男は笑みを見せて、皆の前にずしりと重たい袋を出した。おお、と小さく歓声が上がる。これが明日には自分の物になる。そう思えば男たちは色めき立った。
 「今夜はもう、明日に備えてゆっくり休むといい。見事武侯を殺った者には、特別に報償がつくことだしな」
 ごくりと息を呑む気配が静かな部屋に満ちた。誰もが高ぶる気持ちを抑えるのに必死で、今夜は安眠などできそうになかった。
 男たちは静かに部屋を去っていく。あとには薄い笑みを浮かべた壮年の男。その男を戸口まで来て若者が振り返り、問うような視線を投げかけた。
 「あの客人。放っておくつもり?」
 「心配か?」
 「―――堯天から来たと聞いた」
 「お前は本当に心配性だな」
 男が小さく笑ったのを見て、若者は不快そうにわずかに顔をしかめた。
 「心配ならお前が見張っておけ。どうせもう、お前の仕事はないだろう」
 「・・・・・・そうする」
 ぷいっとそっぽを向くように視線をそらすと、若者はそのまま出て行った。それを見て男はくつくつと笑う。
 「さて、俺も寝るか。明日は待ちに待ったお楽しみみだからな。―――いや、本当のお楽しみはもう少し先か」
 男はそう呟いてにやりと笑うと、最後の一人となった部屋をあとにした。


◇     ◇     ◇


 ―――どういう事だ?
 班渠からの報告を受けた陽子は、かなり難しい顔をして考え込んだ。
 広趾で聞いた武侯の噂。明日行われようとしている武侯暗殺。それだけならば、和州のように不満を抱えた民が反乱を起こそうとしていると思うところだが、
 ―――裏で糸を引いているのが魯将軍?
 それがどうにも奇妙な気がしてならない。しかし自分がどこに引っかかりを覚えるのか、明確に言えないもどかしさを抱えて、陽子は衾褥(ふとん)の中で何度も寝返りをうつ。
 どんなに正当な理由を掲げても、それは謀反ではないのか?そうは思うが、心に浮かぶはやはり和州での出来事。
 ―――いや、あれは正確には反乱、または一揆と言うべきか。
 言葉を換えてみたところで本質が変わるわけではないことを心の隅では重々承知しながらも、陽子はあの出来事を否定したくはなかった。浩瀚にしろ虎嘯にしろ、あの時はああいう手段しか選択せざるを得なかったのだ。浩瀚たちは、冤罪をかけられた中で王に和州の現状や官吏の腐敗を知らせるために。虎嘯たちは、長年の圧政から解放されるために。
 そう思えば、魯将軍とてそう選択せざるを得ない状況に追い込まれているのかもしれない。そして、武でもって取り除くしかない、という選択をした以上、目的達成のために打たれる手段は、どんなに美辞麗句を用いたとしてもきれい事では済まないのが現実なのだ。
 ―――仮に将軍の謀反が明らかになったとき、自分は将軍を罰することが出来るだろうか。
 そう考えてふと違和感が胸を突く。
 仮に、と考える時点で、罪が明らかにならない事を想定している。例え武侯が暗殺されたとしても、それを将軍が指示したという確かな証拠がなければ罰することなどできない。暴利をむさぼっていると噂されていた呀峰を、証拠不十分でなかなか罷免できなかったとの同じように。
 何か答えが出そうな気がした。
 呀峰は暴利をむさぼっていた。朝議でそれが何度も問題に上がったが、証拠不十分だとなかなか罰することが出来なかった。それを口惜しそうにしていた靖共は、その実呀峰とつながっていた。己の手を汚す代わりに呀峰という豺虎を飼っていたのだ。陽子はその靖共のやり方を嫌悪した。
 一方で、天官らは直接王に刃を向けた。彼らは彼らなりの理屈で、正当性を掲げて反意を示した。仮に彼らの目的が達成されていたとしても、彼らには大逆の罪がかけられただろう。そして恐らくはその覚悟を彼らもしており、それでも他人任せにしなかったその潔さを陽子は内心で買っていた。
 だが、あの事件で思い出すは、どうしたって浩瀚の長い長い説教。
 『剣を持って人を襲うと決めた時点で動議の上では有罪』
 かつて聞いた浩瀚の言葉が脳裏をよぎる。
 『その罪人に正義を標榜して他者を裁く資格のあろうはずがない』
 ―――ああ、そうか。
 陽子は不意に、己が何に引っかかっていたのか理解した。
 そう、今は武侯がいかような州侯であるかは問題ではない。以前浩瀚が言っていたように、武侯が良い州侯であるか否か―――これは見る人にもより、見るときにもよるのだろう。
 それに確かな罪があるというなら、暗殺などという手段で葬るのではなく、その罪を白日の下にさらし、正式な手順でもって裁くべきなのだ。
 慶は、無法国家ではない。
 陽子は、思いがけず巻き込まれることになったこの事態で自分が何をすべきか見えた気がした。
 翌朝陽子は、話に聞いた場所へと急ぐ。自分の後をつけてくる者の存在は、承知のうえであった。

 

 
 
 

  
 
 
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