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   長い長い争いに今こそ終止符を打とう。
   確かにお前は無能ではないが、私の相棒にはなり得ない。
   なぜならお前の根本には、義がないからだ。
   お前は、お前こそがそうではないかと、間違いなく反論するだろう。
   だが、お前の言う義は、誠の義ではない。
   両雄並び立たず、と誰かが言ったが、間違っても勘違いをしてはならない。
   義のないお前は、決して英雄にはなれないのだから。
   そしてまた、私とて英雄たらんとする訳じゃない。
   時にお前の選択は正しい。
   だが、それでも私はお前を認めはしない。
   一の正しさも、百の欺瞞の前には無に等しいのだ。
   律せよ、律せよ、己を厳しく律せよ。
   我々は、主上からこの地を預かっているに過ぎないことを忘れてはならぬ。
   私がお前に求めたのはたったそれだけのことだったのに、お前はついにそれに応え
   てはくれなかった。
   私を恨むなら恨めばよい。自身の不徳に最後まで気づかずに私への怨嗟を口にする
   なら、はからずもお前は、私の理論の正しさを証明することになるのだから―――

 

◇     ◇     ◇

 

 里閭(もん)を見上げて、男はにやりと笑った。
 ―――もう少しだ。
 目に飛び込んできた蒼天がまぶしい。道中目にした光景は色を失っていたが、今はくたびれた里閭さえ輝いて見えた。それにはさすがの男も苦笑を禁じ得ず、自分がどれほどこの日を待ち望んでいたのか自覚せざるを得なかった。
 そんな男の胸中など知るよしもなく、一行は粛々と里閭をくぐる。
 里閭は里にある唯一の門。ゆえに里に出入りする人々は、必ずこの門をくぐらねばならない。抜けた先で、里宰が一行を出迎えた。
 「お待ちしておりました」
 里宰が丁寧に礼を取る。
 「この度は、わざわざ足をお運びいただき、里の者一同感謝しております」
 「主上のご意向ゆえ、感謝なら主上にするがよい」
 里宰の謝辞に、素っ気なく返したのは武侯端厳。その声に里宰は、緊張した面持ちをさらに硬くした。不快を買ったか、と思ったのだろう。しかし短いながらもここ数日行動を共にしてきた桓は、端厳という男が特に意図するわけでもなくどこかぶっきらぼうなところがあると知っていたゆえに苦笑した。
 ―――浩瀚さまなら、こういう時は絶対微笑むところだな。
 かつての主は、自分の所作や表情、声の調子が相手にどう受け取られどう影響するか知り尽くしてうまく使い分けていた。そうやって、すべてを己の土俵に上げてしまうしたたかさを持っていたのだ。そういう意味では、端厳の方が何倍もかわいらしい性格だと言えるだろうか。
 しかし里宰にしてみれば、浩瀚のような対応をしてもらった方が救われるのだろう。そう思いつつ桓は、努めて穏やかに里宰に視線を向けた。
 「現場を見たところで、実際何ができるかはわからない。しかし主上が被害にあった民のことを心配しているのは確かで、今できる精一杯の援助をしたいとお考えであらせられる。そのためには、現場の状況を確実に把握しなければならないのだ。だから里宰には、包み隠すことない現状を見せてほしい」
 「かしこまりました」
 里宰はわずかに安堵したように、深々と頭を下げた。
 その直後だった。
 突如里閭が、音を立てて閉じだしたのである。

 一行の誰もが驚いて振り返り、閉門時でもないのに閉じるその門をただ見つめた。
 「里宰!どういう事だ!」
 最初に声を上げたのは丕顕だった。
 ―――こんな計画は、なかったではないか!
 思わず叫びそうになって、丕顕はあわてて言葉を飲み込む。
 「わ、私にも何が起きたのやら・・・・・」
 震えながら応える里宰の顔からは、さっと血の気が引いていた。堂々たる偉丈夫に詰め寄られ、膝から砕けるように地にへたり込む。
 「里宰のそなたが、知らぬはずがなかろう!」
 「ほ、本当です!私は何も」
 「その者を責めるのはよせ!」
 ざわつく地上に、朗々とした声が響いたのはその時である。声の主を捜せば門上の楼閣に一つの影。赤い髪を翻し、堂々とした風情で一行を見下ろしていた。
 その姿に丕顕は怪訝な顔をして盛大に顔をしかめ、端厳と桓が同じように驚きに目を見開いた。
 「何者だ!」
 「人に名を尋ねる時は、先に名乗ってはどうだ」
 どう見ても少年。しかし、それにしては随分と肝が据わりすぎていた。だがそんなことよりも、高飛車ともとれるその物言いに、丕顕は不快を露わにした。
 「随分と礼儀を知らぬ小僧だ。我らを上から見下ろして誰何するなど、許されると思っているのか!」
 丕顕のこの態度は、あながち間違いではない。州侯は、冢宰とおなじく侯の身分にある高官。人臣としては最高位にある者であり、上にはもう宰輔と王しかおらぬのである。その主を護衛する立場である丕顕としては、訳のわからぬ者に上から見下ろされ、主の体面に傷をつけるわけにはいかないのだ。
 しかしその当の端厳が、恭しく膝をついたものだから丕顕は驚きに言葉を失った。
 ―――こいつはここまで痴れ者だったか!
 それは絶望。深い深い絶望。長きにわたって水面下で激しい火花を散らしてきた相手がこの程度の者であったのかという、言いしれぬ絶望であった。
 しかしその感情は、端厳の発した一言であっという間に吹き飛ぶ。
 「かような場所にお越しになるなど、いかがなさいました。使者を派遣しておりますのに、何か不足がありましたでしょうか」
 「―――?」
 怪訝に眉をひそめる。
 丕顕は間違っても愚鈍な男ではない。この物腰、この言いよう。
 ―――まさか!?
 と、丕顕は新ためて楼上の人物を振り仰いだ。
 「さすが、というところか。私を見誤らぬとは」
 「―――その堂々たるお姿を拝して、どうして見間違いなどしましょうか」
 陽子は、端厳の態度に苦笑した。
 「あなどれぬ男とはよく言ったもの」
 「何かご用がおありで」
 楼上から見下ろしながら、陽子は三者三様の態度をつぶさに観察していた。
 「そう怒るな。気分を害したのなら謝ろう。だが、何もお前達の働きに不満や不審があったわけではない。ただ、自分の目で見ないと納得できない質でね」
 桓に目をやると、こうなることをどこか予想していたかのように、困ったように苦笑していた。
 「早々に帰る予定であったが、ふと気になることを耳にしてしまってね」
 「それは?」
 「お前を暗殺せんとしている輩がいるらしい」
 「―――なるほど」
 端厳の表情は、ぴくりとも動かなかった。いつも涼しげな顔をしている浩瀚もかなり表情を読ませぬやつだが、こいつもなかなか手強い、と陽子は内心苦笑する。
 「知っては放置できない。もしこの事態がお前の身から出た錆だとしても、殺生与奪の権は私のみが持つ。ほかの誰にもその権を与えたことはないし、また与えるつもりもない」
 「ご立派なお心がけにございます」
 「お前にも聞きたいことはあるが、詮議は後ほど。まずは与えられてもいない権を振りかざそうとしている輩を捕まえる。―――お前が魯将軍か?」
 「―――は」
 丕顕は呼びかけられ、慌てて膝をついた。
 まさか、本当に?といまだ疑いがあったが、否やを言わせぬ強さが向けられた視線にはあった。
 「里の者のふりをして、かなりの数の賊が入り込んでいる。旌券をあらため、この里の者でない者たちは、全員を不審者とみなして捕まえろ」
 「かしこまりました」
 「ただし、決して殺すなよ。どんな状況であろうと、死人が出ればお前の責を問う」
 「―――はっ」
 丕顕は深々と頭を下げた。その表情が強張っていたことは、楼上の陽子からは見ることは出来なかった。


 かなり時間をかけて捕まえられた賊は二十人余り。みなが固唾を呑んで事の成り行きを見守る中、上空から騎獣の一団が現れる。先導するのは、二十代半ばほどの男。陽子の後をつけてきていた男で、纏っていた襤褸をあらため、いまは官吏らしい格好をしていた。
 男の登場に声もなく驚く者たちを無視して、男は陽子の前に恭しく膝をついた。
 「ご下命により、州宰および秋官の者たちを連れていまいりました」
 「ご苦労」
 陽子は悠然と微笑む。
 男は、武侯の命を受けて州師に潜入している者であった。その正体を陽子が知ったのは、宿を出発してすぐのこと。より詳しい情報を聞きだそうと捕まえてみたところ、そう男が告白したのである。しかも陽子の正体も知っており、なぜかと驚けば、和州の乱の折には、これまた武侯の命を受けて和州入りしていたのだという。なんでも端厳は、麦侯を罷免され逃亡した浩瀚が何も仕掛けないはずはないと踏み、和州が怪しいかと目をつけ前もって幾人か部下を潜入させていたというのだ。
 そこで男は、慶の夜明けの象徴とも言えるあの歴史的場面に居合わせたのだという。
 感動を隠さずに語る男に苦笑しつつも男を信用した陽子は、今回の役目を男に与えたのだ。
 「秋官に来てもらったのは他でもない。武侯暗殺の噂を聞いて賊を捕まえた。この者達がなぜそんな計画を立てたのか、取り調べてもらいたい」
 陽子の言葉に騎獣から降り立った面々は恭しく頭を下げた。
 「そして桓
 「は」
 「ここの取調べが済みしだい、武州侯および魯将軍を金波宮へ護送せよ。両名にはじっくり聞きたいことがある」
 「かしこまりました」
 「私は先に帰っているからな。これ以上帰りが遅くなると、景麒と浩瀚がうるさい」
 「そうでしょうね」
 桓が、くつくつと笑う。
 「お気をつけて」
 「ああ」
 班渠、と陽子が足元に声をかければ、大型犬のような獣が姿を現す。みなが唖然とする中で、陽子はその獣の背にひらりとまたがると、あっという間に上空に姿を消したのであった。

 

 
 
 

  
 
 
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