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 「どういうことだ!」
 頭上から降ってきた激しい声に、その場に居合わせた者達は首をすくめた。
 金波宮外殿、朝議の間。叱責する声の主は、殿上階(きざはし)の上、玉座に座る少女のものだった。しかし声にこもる覇気は、とても十六、七の少女とは思えない。
 奏上していた官はびくりと肩を震わせて、壇上の少女を伺うように視線を上げた。
 「先日報告のあった火災は、火の不始末が原因じゃなかったのか!」
 「―――は。楊州からの報告では、そういう所見であったのです」
 「どういう現場検証をしたらそうなるんだ」
 不快や不機嫌を隠しもしないその低い響きに、官らはそっと顔を見合わせる。
 先日、楊州南鄭(なんてい)の閑地で火災が起きた。多くの荒民が巻き込まれたとの報告を受け、王は官に被害状況の詳細と必要な支援を調査するよう命じた。
 しかしそれによって、意外な事実が判明したのである。
 火災のあったその夜、刃を振り回して荒民を次々と虐殺していた集団がいたとの証言を得たのである。さらにはその者達が、故意に火をつけ回っていたとも。
 「楊侯は意図して虚偽の報告をしたに違いありません」
 官のひとりが声を上げた。
 「おそらく楊侯は、今回の事態が明るみに出れば自分の失態を責められると思ったのでしょう。自分の身かわいさに、主上に嘘の報告を申し上げたのです」
 「その通りです。主上に虚偽の報告をするなど、断じて許すべきではありません。直ちに、楊州侯を罷免なさいませ!」
 その通りだ!と、次々に楊侯罷免を求める声が上がり、朝議の場は急に色めき立った。
 そんな中、
 「そうとも限りますまい」
 静かに響いた声は、地官長大司徒端厳だった。
 「そう報告せざるを得ない事情があったのかも知れません。もともと楊州では、民と荒民との間に諍いが絶えません。民が荒民の存在を快く思ってはおらぬのです」
 「だからどうしたと。それが虚偽の報告をする言い訳になるのか」
 春官長の仲言が、端厳に鋭く切り替えした。
 「そもそも虚偽の報告をした、というのはこちらの推論に他なりません。楊州府では、それが事実と認識されているやも知れません」
 「ふん!地官長殿はやけに楊侯の肩を持つ。我らが調べてすぐにわかるような事実が楊州府ではつかめていないとなると、それはそれで問題ではないか」
 「内部だからこそ掴めぬ事もあるのです」
 「それは自分たちの無能を隠すための言い訳に過ぎぬ。任せている州のことをきちんと把握できぬとあっては、やはり州侯として不適格であるとしかいいようがない。それともなにか―――」
 仲言は端厳を見やってにやりと笑った。
 「地官長殿は、楊侯をかばう理由でもあられるのかな?確か偽王の乱の折り、いち早く偽王についたのが当時の武侯と楊侯であったか」
 端厳は不快に顔をしかめ、反論しようと口を開きかけると、
 「そこまでだ」
 殿上から声が響いた。見上げれば、清廉で覇気を帯びた翡翠の瞳が、端厳ら官吏一同を見下ろしていた。
 「話が横にずれている。それに―――」
 といいさして、王は冢宰に呼びかける。ひとり涼しげな顔を崩さず階のすぐ下に控えていた男が、ゆったりと壇上に視線を向けた。
 「何でございましょう、主上」
 「楊州侯にことの真偽を尋ねた方が早いと思うが、どうだ?」
 「そうですね。楊州侯とて、主上に誤解を与えているとなれば本意ではありますまい」
 その答えに陽子は頷く。
 「では、楊州侯を呼ぶ手はずを整えよ。事の次第を直接本人に尋ねる」
 御意、と浩瀚が答えるのを確認し、陽子は一同を見回した。
 「すべては楊侯の返事次第だ」
 ゆえにこれ以上の横議はならぬ。王の言に、一同はただ黙って頭を下げた。


◇     ◇     ◇


 楊州に荒民が多く集まりだしたのは、ここ二年ほどのことである。
 巧の王が倒れたのは、慶の年号で赤楽元年のこと。巧は王が倒れた直後より国が傾き、すぐさま多くの民が他国へと流れ始めた。初め多くは青海を渡り対岸の雁を目指していたが、荒廃が進むにつれて内海から国外へ出るのは難しくなった。令巽門からあふれる妖魔の数が多く、内海が閉じてしまったのだ。
 時同じくして、奏が虚海側から逃げる民を支援するために船を出し始めたが、それを利用できたのは、早めにそれを利用することを決断した者か、虚海に近い所に住んでいた者達だけであったろう。とにかく巧は日一日と荒廃を深め、あふれる妖魔の数の多さに、年々移動が困難になっているとの噂であった。
 そのような状況の中、陸路を慶へと向かった方が近い者達が、どうしたって慶へと流れ込み始めた。それがここ二年ほどのことである。
 結果として、巧と高岫(こっきょう)を接する楊州には、かなりの数の荒民がいすわっている。彼らの存在は、復興を始めたばかりの慶には頭痛の種だ。それは、彼らを保護するだけの物資も財力も不足している、ということもあるのだが、もう一つ深刻な問題があった。
 それは、荒民と楊州の民との関係。
 慶も長らく波乱続きの国だった。よって他国へ流れた経験を持つ民も多い。予王の末期には女人追放令が出たこともあり、むしろ国内にとどまった民の方が少ないかもしれない。そして巧と高岫(こっきょう)を接する楊州の民は、当然多くが巧へと流れた。
 問題は、そこでの経験に起因する。巧は、半獣や海客に厳しい国だったが、荒民にも厳しい国だった。十分な保護など受けられるはずがなく、むしろ手ひどい扱いを受けた者がほとんどだった。その時受けた差別が、楊州の民の心に闇を生んでいる。
 どういう事かといえば、事実上荒民を放置することなど出来ないのだが、楊州の民は荒民が保護を受けるのが許せない。自分達はそんな保護を受けられなかったと不満に思い、いまだ自分達だって貧しい暮らしをしているのに荒民に施しをするなどけしからんと怒る。それが時に行動となって現れるのだ。
 一方で巧の民には、慶は波乱の国だという印象と共に、慶は巧より劣る国だという認識が強い。いま新王が立って復興へ向かっているとはいってもいつ斃れるかわからず、ゆえに慶の客分になる気などさらさらなく、国に王が立ちさえすればすぐに戻ろうと思うがゆえに高岫近くの地を離れたがらない。
 荒民の存在が許せない楊州の民と、慶は劣る国という思いを抱えつつも現実慶の世話にならなければならない荒民たち。相容れない民が混在すれば、どうしたって軋轢が生まれる。
 いままでも小さな諍いは多々あったのだが―――
 「南鄭の件、予想できなかった訳じゃない」
 浩瀚は、執務室でひとり、ぽつりと呟いた。
 楊州の民の我慢が限界を超えて、ひょっとしたら何かことを起こすかも知れない。それは十分に予想出来る範疇のことであった。そしてそれは楊州侯とて同じはず。ならば州侯としては、それを未然に防ぐ策を練らねばならない。
 今回の事態、策を立てていたにも関わらず、防ぐことが出来なかったのか。それとも、無策であったのか。それは浩瀚にはわからないし、結果として事件が起きてしまった以上、もはやどちらであるかはさほど重要ではないと思う。
 必要なのは善後策。
 なのに、
 「なにゆえ、事を隠したのか」
 それが浩瀚には解せなかった。
 朝議の場で上がったように、己の失態と責められるのを恐れたのか。それとも隠すことが何かの策の内であるのか。
 浩瀚がいま最も気にしていることは、その点であった。
 浩瀚は間違っても、楊侯が事態を把握していないとは考えてはいなかった。そしておそらく、その可能性を口にした端厳とてそうであろう。あの言は、推測で物事が進むことを恐れて口にしたことにすぎない。
 朝議の場というのは時に不思議な空気に包まれる。意見が一方に傾けば、事実確認も曖昧で多くの者がどことなく納得していなくても事が進められてしまうことがあるのだ。そうなってからでは、心に引っかかるものはあったがうまく言葉に出来なかった、などと後で言い出しても遅いのである。ゆえに、真実思っているわけではないことでも発言することがある。要は、意見の傾きすぎをおさえるため、性急に事を進ませないための重しにするのだ。
 あの時端厳がああいわねば、場は一気に楊侯罷免の空気になっていただろう。それを自分が諫めるのは簡単だし、女王も自分の言を尊重するだろうとは思うが、そういう場面が何度も続けば諸官が寵の偏りだと言い始めるのは必至である。
 端厳がそういうことも含めて、あえてあのような発言したということを浩瀚はわかっていた。そして同時に、浩瀚と同じ危惧を抱いたゆえに、その可能性を口にすることをしなかったのだろう。
 すぐにばれるようなことを隠す。この行為が何かの策であるならば、その策が向けられる対象は、国府ということになる。国府、詰まるところは主上だ。
 それこそ軽々しく口に出来ることではない。
 「楊侯。―――何を考えているのか」
 浩瀚は、楊州侯に登城を促すための書類を整えて立ち上がった。
 この書簡にどういう反応が返るか。それで意図が読めるだろう。

 
 

  
 
 
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