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 楊州から使者が来たのは、楊州侯に登城を促してからほぼ十日のことである。使者の来朝を耳打ちされた陽子が通すよう命じると、案内されて現われたのはかなり若い男。礼装を整えた男は玉座の前に進み出て深々と跪礼すると、楊州令尹胡文饒(こぶんじょう)と名乗った。
 「主上は楊侯をお召しになったはずだが、なぜ令尹が来たか?」
 冷ややかとも言える声音で問うたのは、冢宰浩瀚。その瞳には常ならぬ剣呑な光が宿っており居並ぶ諸官らをひやりとさせたが、文饒と名乗る男は動じることなく、また冢宰の問いかけをあっさり無視して恭しく前口上を述べた。
 「拝謁賜りまことに恐悦至極に存じます。また、侯をお召しであったのに、拙ごとき小官が代わりに参内いたしましたこと、どうかご寛恕くださいませ」
 「前置きはいい。さっさと本題に入りたい」
 陽子が言えば、男は恐縮したように一礼する。
 「が、その前にひとつ問うておこう。楊侯ではなくお前が来たのはなぜだ?」
 「主上がお召しとの書状を受け取り、侯はすぐにでも城を飛び立ちかねない勢いでございましたが、拙が押しとどめたのでございます」
 「なぜ?」
 「恐れながら申し上げれば、侯の身の安全が保障されているとは言いがたかったからでございます。侯は楊州の要。万が一のことがあれば、楊州は明日から立ち行きませぬ」
 「令尹ごときが何を言うか!」
 仲言が突如声を荒げた。
 「州侯は王に任じられて州を任されているに過ぎぬ。それをさも自分達のもののように言うは思い上がりもはなはだしい!そもそも、やましきことがなければ身の危険を感じる必要などないはず。それを堂々と告白すること自体、楊州に不審ありといっているにも等しいではないか。どんなに身を隠そうとも、主上が罷免をご決断なされれば意味なきこと。小心者のそしりを受ける前に、楊侯をここへ引っ張り出してくるが賢明であろう」
 「慶には冤罪によって裁かれた者の前例が多すぎますゆえ、慎重になるは当然というもの」
 「―――お前が来た経緯はわかった」
 まだ何か言いたそうだった仲言の口を視線ひとつで黙らせて、陽子は文饒を見やった。
 「まずは書簡に書いていたことを問いたい。先日、南鄭の閑地にて起こった火災について楊州府はどう捉えている」
 「その前に、主上は楊州がどのような地であるかご存じでありましょうか?」
 「なに?」
 「楊州は慶の南部、巧と国境を接する地にて、古より南の玄関口として人の往来激しいところにございます」
 「―――それは知っているが?」
 「そのため、国が荒れれば多くの民が楊州に集まって高岫山を越えて行きますし、国が治まれば出て行った民が帰って参ります」
 「まあ、そうだろうな」
 「出て行く民も、帰ってくる民も必死。近年慶は波乱続きでありましたゆえ、楊州にはそういう必死な民がひっきりなしでございました」
 この男はなにを言いたいのか。そう思いつつも、陽子はとりあえず頷いた。
 「生きるに必死な者は、時に何をしでかすかわかりません。楊州は、常にそのことに頭を痛めて参りましたが、ここ数年は、それに巧からの荒民までが加わっている有様でございます」
 「―――楊州がいろいろと問題を抱えているのは、理解しているつもりだ」
 陽子が言えば、文饒はわずかに苦笑した。
 「ありがたいお言葉にございます。しかし、理解しているつもりは、真実どのくらいご理解いただいているのか測れぬものでございます。いまの話を聞いて主上は、楊州の様子を過たず理解できたとおっしゃれますでしょうか?」
 「それはさすがに無理だな」
 陽子が苦笑すれば、文饒は陽子をまっすぐに見つめて微笑した。
 「当然、それであって当たり前です。例え万の言葉を尽くした説明を受けようとも、相手が伝えんとすることを、齟齬なく理解できたと思うのは往々にして独りよがりに過ぎません。言葉は万能ではなく、特にその場の空気といったものは伝えるのが難しゅうございます。書簡にてお尋ねの件も、同じようなこと。ゆえに拙めがここへ参りましたのも、お尋ねにあった件の返答をするためではございません。楊州の実情を正確にお伝えするため、また、新たな誤解が生まれるのを防ぐため、主上には実際に楊州をご覧頂きたく、楊州にお招きするためこうして参りました」
 文饒は深々と頭を下げた。
 「南鄭の件は、楊州の抱えるあらゆる問題が複雑に絡み合って起きたことなれば、実際に楊州に足をお運びいただき楊州の実情をご覧にならなければ、我々があのように報告した真意を、決して主上にはご理解いただけないでしょう」
 是非とも楊州へ、文饒が再度そう述べるのを、浩瀚は人知れず渋い顔で見つめていた。
 州侯を呼んだら令尹が来た。もはやそれだけで、不審を抱くに十分な要素だ。なのにあまつさえ、主上に来訪を促すとは。
 「詭弁を申すな」
 叱責に近いその声音に少なからず驚いて、陽子は浩瀚を見やった。
 「言葉を尽くして状況をご説明申し上げるのが官吏たる者の務め。主上の目となり手足となるのが官吏の本分であるというのに、語彙のなきを棚に上げ、主上にご足労願うとは何たる怠慢。己の浅慮を深く恥じるが良かろう」
 「恐れながら申し上げれば、主上は胎果であらせられる。蓬莱とこちら、同じ言葉が違う意で使われていても不思議ございません。さすれば益々、正しく言葉が伝わるという保証がございません」
 文饒は揺らぎない目で、今一度陽子を見た。
 「なにとぞ、主上。百聞は一見にしかずと申します」
 「なるほど」
 陽子は笑った。
 「お前の言うことに一理ある」
 「主上!」 
 「私は慶の王だ。楊州も慶の一部なれば、その地のことを正しく理解する義務が私にはあるだろう」


◇     ◇     ◇


 なんたることだ。
 浩瀚は舌打ちしたい気持ちで一杯だった。
 「楊州へ行こう」
 冢宰である浩瀚ほか、台輔や太師にも相談せず王は使者にそう返答した。
 「私がその場に行かねばわからぬ事があるというなら行こう。お前の言うとおり私は胎果だ。万の言葉を尽くされたとて、真にその言葉の意味を理解できているとは私自身思わない」
 出立の準備を、と命じられては、もはや浩瀚はそれに従うしかなかった。浩瀚にできることは、出立の日取りを一日でも遅らせ、その間に楊州内部を少しでも探ること。そして王の身辺護衛をぬかりなく采配することだけであった。
 「浩瀚さまらしくもない」
 王の出立の準備に伴い冢宰府へとおもむいた桓魋は、その府第の長のしかめっ面を見て思わず苦笑した。
 「冷静沈着、温厚篤実と評されていたのはどなたでしたかね。視線で人ひとりくらい射殺してしまいそうですよ」
 「左将軍に来てもらったのはほかでもない。主上の此度の行幸に追従する兵のことなのだが」
 桓魋の軽口に答えることなく、ずいぶんと他人行儀に話を始めた浩瀚の様子に、相当重症らしいと桓魋は心中苦笑した。
 どうやらこの男は王の視察が気に入らぬらしい。視察が決まって以来ずっと不機嫌だ。さすがにそれを他人に悟らせるほどお粗末でもかわいげのある性格でもなかったが、付き合いの長い桓魋にしてみれば一目瞭然。そしてそれを理解しているゆえか、浩瀚の方も桓魋の前では無理に隠そうとしないようであった。あるいは他者に向けられぬ鬱憤を都合良く晴らされているのかもしれない。
 「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。主上は、なかなかにお強い。水禺刀をお離しにさえならなければ、めったなことはおこりません」
 桓魋は努めて穏やかに言ってみたが、男の気を和らげることはできなかった。
 「めったに起こらぬことが起こることを心配しているのだ。左将軍には、ゆめゆめ怠りなきよう充分に気を引き締めてもらいたい」
 「それはもちろん、承知しております」
 浩瀚の棘のある一瞥を受けて、桓魋はあわてて神妙な顔を整える。
 それにしてもなぜこうも慎重になっているのか。桓魋は、いまいち理解できないでいた。
 結局、楊州に不審な点はなかった。それどころか、州侯を中心に州府は良く纏まっており、なにかと問題を抱えながらも良く州を治めているといえた。それに桓魋は、文饒の気持ちもわからないではない。真面目な官吏ほど自分たちを正しく王に理解してもらいたいと思うものだし、その場の空気に直に触れねば伝わらないことがあるという言い分も確かにその通りだ。そしてそれを浩瀚も認めているから、今まで何度となく王がお忍びで王宮を出るのを認めてきたはずではなかったか。
 だから意外と、視察そのものを渋っているのではないかもしれない。そう思えば思い当たる節がひとつある。
 今回の件、王は臣に図らずに視察を決めた。広く意見を求め真摯にそれに耳を傾けて日々の政を行う女王には珍しいことだった。そのことが、この男にとっては少々衝撃だったのかもしれない。
 だから・・・・・・
 ―――侯はすねておられるのだ。自分に一言も相談することなく、自分の手の届かぬ所へ、易々と主上が行ってしまわれるのに。
 浩瀚の態度は、桓魋にはそう見えた。

 
 

  
 
 
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