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 「やはり大号令を出されたのは、主上ご自身だったのです!でなければ、楊州師が龍旗を掲げるはずがございません」
 「あんなもの偽りの龍旗に決まっている!」
 「そんな証拠がどこに!主上がお許しになった。だから楊州師が禁軍の旗を掲げていた。そう考えるのが自然ではないですか!」
 「自然?どこが自然だ。何もかも不自然ではないか!」
 戦況を伝えられた金波宮では、臨時の朝議が開かれた。
 龍旗を見て動揺が広がった王師は戦火を交える前に崩れ、六千もの兵を失ったのである。国府側の大敗であった。しかもその多くが自ら敵陣に投降した者達であり、国府は六千の兵を失っただけでなく、相手に六千の兵をくれてやったも同じ形であった。
 「真偽はいずれにせよ、王師の動揺は深い。楊州師はさらに軍を進めている。どうにかせねば本当に金波宮が落とされかねない」
 朝議の場はいつも以上にぴりぴりとした空気が満ちていた。
 玉座は空だ。内容が内容だけに宰輔の姿もない。それだけでこの場がいかに寒々しく虚しいと感じるものかと、浩瀚は改めて王という存在の大きさを再認識させられる思いだった。
 「地官長殿は何をおっしゃっておられるのか。真偽こそが大切なのではないですか。大号令を出されたのが間違いなく主上であらせられるなら、我々は正真正銘の逆賊になったのですよ!」
 「主上はあのような愚かな号令を出されるお方ではない」
 「ではなぜ楊州師が禁軍の旗を掲げていたのです!」
 「だからそれは偽りの龍旗だと申しておろう!楊州の策だ。実に巧妙かつ効果的な策だ。ここにもこうしてどっぷり策にはまる者がいるほどな!」
 その言葉に、まっすぐ指をさされた官が顔を真っ赤にして浩瀚をふり返った。
 「冢宰はいかがお考えか。そう黙ってばかりおられず、お考えを示していただきたい」
 その言葉に皆が一斉に浩瀚を見た。その視線を受けて、浩瀚はゆっくりと一同を見回す。この男が何を言うものかと皆が待ち受ける中、浩瀚はゆっくりと口を開いた。
 「王師を立て直す。六千を失ったとはいえ、まだ一万九千は無傷。それに、黒備には足りぬが中軍も控えている。まだ、十分に戦える」
 「冢宰は事態を把握しておいでか!」
 官の一人が非難するように声を上げた。
 「問題は数の理論ではありません。相手が紫の軍旗を掲げていることが問題なのですよ!禁軍の旗を掲げた楊州師と王師の旗を掲げた我ら。民衆はどちらに正義有りと思うでしょう!現にすでに城下では、国府は主上に楯突いているらしいと噂が広がっているのです!その噂を打ち消すためには、こちらが本物の禁軍を出すよりほかにありましょうか」
 「その禁軍をどうやって出す?主上がおられないのに」
 「その主上をお救いするための戦ではありませんか!慣例にこだわるのも結構。しかし非常時には臨機応変に対処することも必要でございましょう」
 「我々の面子を保つために禁軍を出せと申すか?それは主上のためという言葉を借りた己の保身に他ならない」
 「国府の面子を保つことが、ひいては主上をお守りすることではありませんか」
 「誰の許しあって禁軍を出したかと、主上はお怒りになろう。先の乱のことを忘れたか」
 「あれは、靖共の独断で行われたこと。三公六官の承認あれば、主上もご納得いたしましょう」
 その言葉に一同がうなずく。それを見やって、浩瀚は小さくため息を落とした。
 「三公六官の同意あっても、たかが官吏が王の権を行使することは出来ない」
 「冢宰!」
 「勘違いしてはならぬ。禁軍とは王の宣下あって初めて動くもの。宣下とはつまり勅命である。我らの誰に勅命を下せる権があろうか」
 浩瀚の言葉に一同が押し黙った。
 「布陣し直し、改めて楊州師を迎え撃つ。と同時に中軍を動かし、相手の補給路を断つ。出撃はさせられぬが、この金波宮を守るためなら禁軍が使える。仮に楊州師がここまで攻め上ってきたところで、黒備三軍を相手に金波宮を墜とせはしない。全責任は冢宰である私が取る」
 その言葉に、官らは一応納得顔を見せた。しかしその後朝廷内では、こんな噂が囁かれるようになったのである。
 主上に従順であるように見せて、実のところ冢宰は主上がどうなっても構わないと思っているのではないか。いやそれよりも、今回の首謀者こそ冢宰ではないのか。
 あけすけに囁かれる冢宰批判。だが浩瀚にとって、そんなものは痛くもかゆくもなかった。浩瀚の胸にあるもの。それは、いかな非常時と言え、王がいなくとも何とか朝は回るのだという思いを一片たりとも官吏に抱かせてはならないということであった。そして、いかに寵を頂く冢宰の身であっても、主上の許しなく勝手は出来ないのだという態度を示し続けることの必要性であった。
 ―――主上に、長く玉座に就いていただくためには、官吏が分を越えた行いをするのを決して許してはならない。
 しかしそう思いつつも、先を見すぎて今主上を失うことになれば本末転倒ではないのか。形振り構わず主上をお助けすることこそ第一ではないのか。
 そんな相反する思いもまた抱えていたのである。
 そして宮中内で事件が起きたのは、その日の夜のことであった。


◇     ◇     ◇


 かたり、という密やかな音に、浩瀚は筆を止めた。
 時間は日をまたごうかという深夜。下官らを下がらせた冢宰府はしんとした静寂に包まれていた。
 他の者なら気にも留めなかったであろうその密やかな音に浩瀚が反応したのは、これまでの平坦とはいえない数々の経験の賜であったとしかいいようがない。
 意識を外へと向ければ中を伺っているらしい複数の気配。
 浩瀚はわずかな物音も逃さぬように耳を澄ませながら、忍ばせていた剣をそっと引き寄せた。
 「―――誰だ」
 不意打ちのように声をかければ外の気配が揺れた。
 ―――少なくとも四人。
 揺れた気配を数えて、浩瀚は瞬時に思いを巡らす。
 曲がりなりにも人の出入りの管理されている冢宰府だ。警護の目をかいくぐってきたのでなければ、外にいる者達は表向きの用を携えてきた振りをした官吏ということになる。
 浩瀚の内乱対策に何かと文句をつけてくる秋官の者か、それとも日頃から自分らの処遇に不満を抱いているらしい天官の者か。あるいは夏官ということも考えられるが、まあ、それを言うなら春官だって地官だって理由ならいくらでもでっち上げられるだろう。
 ―――いかんな。心当たりが多すぎる。
 浩瀚は思わず苦笑した。
 数人の男達が乱入してきたのは、その直後であった。


 乱入してきた男達の先頭にいる者を見やって浩瀚はわずかに笑った。
 「こんな夜更けに何用だ」
 浩瀚はわざわざそう問いかけたが、来意は問うまでもなく明らかだった。手には抜き身の剣。連れている男達は成りこそ下官を装っていたが素人でないのは一目瞭然だった。この状況にあって落着きすぎていたからだ。
 「―――あなたには、冢宰は大任過ぎたようだ」
 「そうか」
 浩瀚は軽く笑った。
 「その諫言を受け入れるのはやぶさかではないが、一言言わせてもらうなら、私は主上直々に冢宰を任された身だ。つまりそなたは、その主上の思し召しそのものが間違いであったといいたいのかな?」
 「ここであなたと議論する気はない。―――時間稼ぎはあなたの得意な手でしょうから」
 首謀者の男が「ヤレ」と小さく呟いて身を引くと、それが合図であったかのように控えていた下官風の男らが一斉に浩瀚に襲いかかった。
 瞬時、浩瀚も剣をぬく。
 振り下ろされる白刃を受け止め、流して刃を返す。キイイイイインという金属の打ち合う甲高い音が室内に響き、賊徒の一人が剣を取り落とした。浩瀚は躊躇わずに急所を突く。
 仙ではなかったのだろう。男は血飛沫をあげながら倒れるとそのまま絶命した。
 その様を見て浩瀚は一瞬顔をしかめる。留守を預かる宮城内を血で汚すことになったことに不快感を覚えたのだ。
 その思いが一瞬の隙を生んだのだろうか。
 気づいた時には小刀のような物が自分めがけて飛んできていた。とっさに身をよじったが、刃物は浩瀚の左腕をかすめていった。
 だがそのくらいの傷、仙たる身には何ほどのこともない。はずであるのに―――
 ぐらり、と均衡を失いそうになる体を浩瀚は慌てて支えた。賊徒らがにやりと笑う。それを見やって浩瀚は悟る。
 「―――毒か」
 かすんでいく視界を忌々しく思いながら、浩瀚は襲い来る刃をどこか緩慢に見つめた。


◇     ◇     ◇


 時同じ頃地官府。大司徒である端厳もまた深夜まで執務に追われていた。
 地官は戸籍を司る。そのため、万が一民から徴兵せねばならない事態に陥った時、素早くそれが行えるよう必要な名簿を準備しておくことも地官の役目であった。気の進む仕事とはいえないが、いざという事態に備えておくには必要不可欠なことであり、膨大な時間と手間がかかるくせに早急にせねばならない仕事であった。ゆえにこのところの地官府は不夜城の様相を呈していたのだが、連日連夜寝ずに仕事をするのはさすがに仙とはいえ堪える。能率も悪くなるし機動力も落ちる。よって端厳は部下らに「今日は適当なところで帰るように」と申し伝えていたため、珍しく地官府はひっそりとしていた。
 そして最後まで残っていた端厳も、今日は自分も久々に官邸に帰るかと腰を上げたその時、ふとある男のことを思い出す。
 その男の朝議で見た顔色の悪さ。おそらく自分同様たいして寝ていないに違いない。だが、日頃顔色など読ませぬあの男があれほど顔色を悪くしていたのは、別に寝ていないという理由だけではないことを端厳は重々承知していたし、寝ているよりも何かをしている方が気が紛れて返って落着くのかもしれないとも思う。それでも、睡眠は必要だろう。なにせ現在の状況であの男が倒れでもしたら、この王朝は本当にどうなるかわかったものではないのだ。
 「ついでだ。あいつも机から引きはがしていこう」
 端厳は呟くと、冢宰府へと足を向けたのだった。


 おとなった冢宰府は意外にもひっそりとしていたが、案の定閉じてはいなかった。門番に聞けば、冢宰が下がる姿を見かけていないのでまだ中にいるのだろうということだったが、
 「とは申せ、冢宰は常日頃からめったに府第からお下がりになりません。ああでも、先ほど秋官からのお遣いの方が見えられたので、まだ応対中かもしれません」
 「秋官が?この時間に?」
 「ええ、何でも急ぎの御用とか」
 門番の男はそういうと、眉間を寄せてわずかに声をひそめた。
 「下官の方が三人で随分大きな箱を抱えていましてね。中を確認したところ、なぜか龍旗で。しかも紫のですよ。そのことで冢宰に至急お知らせすることがあるのだとおっしゃっていましたが。―――禁軍の軍旗といえば、いま問題になっているやつがあるでしょう?」
 嫌な情報を持ってきたのでなければいいのですが、とその表情は語っていたが、端厳は別の可能性が脳裏をよぎって顔をしかめた。
 「なぜそれを秋官が持ってくる必要がある?しかもこの時間に」
 わずかに強くなった語気に、男は戸惑うように端厳を見た。
 「そんなこと私に聞かれても困ります」
 「―――嫌な予感がする。ついてこい」
 「え、しかし」
 持ち場を離れることに男ははっきり躊躇した。門を守っているのは一人ではないが、躊躇う理由はそればかりではない。勝手に持ち場を離れることは懲罰の対象だ。しかし端厳は戸惑う門番に短く言い放った。
 「責任は私が取る」
 そうして二人が冢宰の執務室に駆けつけた時、そこはすでに血の海であった。

 
 

  
 
 
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