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 閉じこめられて七日が過ぎた。
 ただ、じりじりと過ぎていく時間に焦りだけを覚えつつ、陽子はどうしていいかわからずにいた。
 外が気になる。だが、自分の軽はずみな行動で罪のない者の命を奪うことなど出来ない。でも、文饒の言葉がどこまで真実なのか、という疑いを持てば、呪のこともただの虚言ではないのかと思えてくる。
 ―――試してみようか。
 ―――しかし、本当だったら?
 思考は堂々巡りで、答えの得られないものを考え続ける陽子の精神は確実に疲弊していっていた。
 「主上、どうぞ食事を」
 榻(ながいす)の上にうずくまるようにして座っている陽子に、女官の一人がおそるおそる声をかけてくる。
 ここに閉じこめられて以来、陽子は何も口にしてはいなかった。何を入れられているのかわかったものじゃないのだ。安易に口にすることなど出来ない。
 「どうかせめて一口なりとも。それではお体を壊してしまいます」
 陽子は身じろぎひとつせずに女官の言葉を聞き流した。
 彼女らに罪はない。それはわかっていたが、彼女らと気安く接する気分にはとてもなれなかった。
 「あの、もしご希望のものがありましたら何なりとおっしゃってくださいませ。次に文饒様がいらっしゃった時に揃えていただくようにお願いしますから」
 文饒。その響きに、陽子はようやく顔を上げた。細った面。精彩を欠いた表情。しかし翡翠の双眸だけは鋭く光っていた。
 「―――文饒はここに顔を出しているのか」
 低いその問いに、女官がびくりと身を震わせた。陽子の覇気に明らかにおびえていたが、陽子は構わず女官を見つめる双眸を細めた。
 「答えろ」
 「あ、あの。二度ほどいらっしゃいました。主上のご様子をお尋ねになって、数日後にまた来るとおっしゃっておられたので、そろそろいらっしゃるかと・・・・・・」
 「では、来たら文饒に伝えろ。私の前に姿を見せろと」
 「―――承知・・・・・・いたしました」
 しどろもどろに答える娘から視線を外し、陽子は膝を抱えなおした。
 ―――次に会った時。その時こそ、逃がしはしない。要は殺さなければいいのだろう。仮にも仙だ。腕の一本や二本切り落としたところでどうせ死にはしない。
 州城全体の空気を震わせるほどの歓声が響いてきたのは、その時であった。


 「―――何だ?」
 陽子は顔を上げて耳を澄ます。
 途切れることなく沸き上がる歓声。それはかつて和州で聞いたものに似て、陽子にはふと嫌な予感が脳裏をよぎった。
 「・・・・・・まさか」
 陽子ははっとして立ち上がり、あわてて窓辺へと駆け寄った。
 何も見えない。だけれども、聞こえ続ける歓声がただならぬほどの喜びと興奮に満ちているのだけは嫌というほどに伝わってくる。
 窓から何かを見つけることをあきらめた陽子は、露台へとかけた。今の陽子に許されている行動範囲は、閉じこめられている建物内とその建物に付随する小さな露台までだった。
 ここは雲海の下。下を覗けば、州都の町並みとそれに続く楊州の大地が一望できる。だが、眼下を見渡しても、特になにかを見つけることは出来ない。
 しばし粘ってあきらめようとした時、陽子はようやく視界に恐れていたものを見つけた。
 州城から飛び立つ空行師。あれが、戦況を伝える伝令士であることを陽子は知っていた。
 なればどこかで戦端が開かれたということだ。そして、今州城を包む歓声から彼らが持ち帰った戦況がいかなるものか。それは火を見るよりも明らかだったが、彼らの掲げている軍旗があり得ないもので、陽子の思考は混乱した。
 「―――どういう、ことだ?」
 なぜ、禁軍の旗を掲げた空行師が州城から飛び立っていく?
 ならば禁軍によって、州城は落とされたということだろうか。あの一行は、州城に戦況を持ち帰ってきたのではなく、今まさに戦況を伝えんと飛び立ったということだろうか。
 だが、と陽子は思う。
 禁軍が攻めてきたなら、それは紛れもなくここにいる王たる自分を救うためであるだろう。未だその目的を達したとは言い難い状況の中で、禁軍が軽々しく歓喜の声を上げるとは思えなかった。
 しかも、
 「私の許しなく、禁軍が動くか?」
 それが陽子には解せなかった。
 禁軍が動く時、およそ冢宰が関与せぬことはない。浩瀚はどこか合理主義の上にくせ者だというのは重々承知しているし、先の王の勅もあれこれと理由をつけて実質無視していたことも知っている。だから、そういう面から浩瀚を考えれば、彼が禁軍を出してもおかしくないような気はするが、それ以上に陽子は、浩瀚という男が己の領分を越えぬように細やかな注意を払っていることも知っていた。
 もし真実、浩瀚が禁軍を動かしていたとしても、陽子は彼を咎める気は一切ないし、そうすることが最善であると彼が判断したのであろうと思うだけだが、それでも浩瀚が自分の許しなく禁軍を動かすとは思えなかった。
 それは、禁軍を動かすのが王の権であると同時に責務であるからだ。王の責務を簡単に肩代わりしてくれるほど、浩瀚は甘い男ではない。
 ならば、今見たものをどう捉えるべきか。
 陽子は、ここに至るまでの状況をひとつずつ思い出しながら考える。
 文饒の目的は、陽子を楊州へ連れてくることだった。そして国府の非を訴え自身の理論を陽子に認めさせることであっただろう。だが一方で、それがうまくいかないことも考え準備していた。王が自分に賛同してくれない場合、文饒には閉じこめてでも王を楊州に留め置く必要性があり、結果として陽子は、ここに捕らえられた。
 必要なのは楊州に王がいるということ。そのことで楊州の行動が王の命令によるものだと正当性を示そうとしたに違いない。
 ―――真実を暴き慶を正しき姿に戻さねばなりません。そのためには、我が手を血に染めることも厭いません。
 あの文饒の言葉。兵が動いているという事実。
 「・・・・・・文饒は金波宮に対して兵を挙げた」
 しかも、王の勅であると見せかけて。その証左が、勝手に掲げられた紫の龍旗。州城を包んだ歓声は、楊州の勝利を伝えている。
 「だが、私がここに閉じこめられてまだ七日だ」
 この期間で金波宮を墜とせるはずがない。兵の進軍速度を考えれば、戦場はせいぜい瑛州に少し入った付近のはず。だが、文饒の目指しているところは間違いなく金波宮で、禁軍の旗を掲げて勢いに乗った楊州側は、このままどんどん金波宮へ向けて進軍していくだろう。
 王の存在を背景にして。
 つまりは、自分がここに居続けることは楊州の行動に正当性を与え続けていることになる。自分が動かねば戦は終わらない。
 ―――大切なものを全て失うまで。
 はっとして、陽子はふり返った。
 いくつもの部屋の向こうに、この建物の面する院子が見えていた。あそこまで出てしまうと呪が発動する。それは同時に、この呪縛から逃れる出口であることを意味していた。
 陽子は吸い付けられるように、陽光に煌めく穏やかな院子をじっと見つめた。


◇     ◇     ◇


 一歩、また一歩。陽子は出口に向かって歩を進める。
 さらに一歩。
 院子が近づき、視界の捉える光景がより広さを増した。
 吸い寄せられるように、まっすぐ前だけを見据えて、陽子はゆっくりと歩み寄っていく。
 もう一歩。もう一歩。出口まで、あと三歩
 外から運ばれてくる風が陽子の頬を撫で、院子から差し込む日の光を陽子の足先が踏んだ。
 「主上!」
 若い娘の叫びが唐突に静寂を切り裂く。陽子はその叫びに、びくりと身を震わせて立ち止まった。とりつかれたかのように外に向けられていた眼差しが揺れ、外までわずかな距離を残して、陽子はぎこちなく振り返った。
 見ればそこに、二十対の瞳が息をひそめるようにして陽子を見つめている。
 「それ以上はどうか!」
 女官の一人が陽子の足もとに身を投げ出し、血の気の引いた表情で陽子にすがるように懇願した。
 「お願いでございます!ここを出られるなどとおっしゃらないでくださいませ。死にたくありません。死にたくないんです。どうか哀れに思し召し、私たちをお助けくださいませ!」
 陽子は血色のない顔で、足もとの娘に視線を落とした。
 今更ながらに、ここを出ることは、この目の前の罪もなき二十人の娘達を犠牲にすることだと思い出す。
 だが、行かねばならない。
 陽子は、娘から後ずさるように、また一歩歩を進めた。
 「主上!」
 お願いです!お願いです!と泣き叫ぶ娘の姿が耳目に痛い。
 陽子はその視線から逃れるように瞑目した。
 刹那、色んなことが脳裏をよぎる。
 自分がここに留まっていても、実は何とかなるのではないか。ただの憶測だけで決意して、罪もなき二十人の娘達の命を犠牲にすることは許されるのか。
 でも、自分の考えた通りだったら?
 二十人の命を惜しんで、千人が犠牲になるとしたら?
 でも、千人を守るためだということが目の前の罪なき二十人を犠牲にしていい言い訳になるのか?
 堂々巡りの思考に陥ろうとしたその時、ふと浩瀚の言葉が脳裏をよぎる。
 ―――なすべきことをお間違えになりませんように。
 なすべきこと。王として自分がなすべきこと。
 それは何だろう。
 民を哀れみ、民に慈悲を施し、民に平安をもたらすこと。天地を収め、国を安寧に導き、平和を約束すること。
 ―――ソンナタテマエノハナシジャナイダロウ?
 自分が動くことによって確実に死を賜る二十人の民が目の前にいる。自分が動かぬことによって死ぬかもしれない千人の民がいる。
 その時、王としてなすべきことは何?
 大を取り、小を捨てること?それとも、確実に失われる二十人の命を哀れむこと?
 王は小事にこだわらず大局を見なければならない。だが、命は大事だ。命とは替えのきく性質のものではない。ひとりにひとつ。死ねばその人の一生はそこで終わりだ。どんな大義名分を掲げたところで、犠牲になった者一人一人にとっては、分母の数など意味を成さない。十五万分の一でも三千分の一でもなく、いつだって一分の一。
 国にとって小事と切り捨てるそれが、その人ひとりにとってはすべて。言い訳のしようもない。
 「わかっている。これは罪だ」
 でも、罪を意識しながらも王としてなさねばならぬことがある。
 それは―――
 「現実を直視すること」
 陽子は目を開いて少女を見つめた。
 「私は王だから、現実をきちんと受け止めなければならない」
 逃げるわけにはいかない。何かを言い訳にして目を閉じるわけにはいかないのだ。ここに居続けることは、自ら目と耳をふさいで現実を逃避するに等しい。どんな悲惨なことが外で起きていても、自分は知らなかった、知りようがなかった、何も出来なかった、無理だったんだと自己弁護のための言い訳を並べ立てたてても何もどうにもならないのだ。
 そう、ここはある意味、予王の愛した箱庭と同じ。
 官が何もさせてくれぬと政を忌避し、美しき園林で夢想に遊んだ先の景王。
 見たくない現実に蓋をしてそこで見たいものだけを見、受け入れたいものだけを受け入れた彼女は、きっとこう思っていたに違いない。

 自分が出て行っても何も出来やしないのだから、ここでおとなしくしていても何も変わらない。

 でも、それは間違っていたのだ。彼女にはすべきことがあった。やらなければいけないことがあった。正面から受け止めなければいけないことがあった。
 同じ轍を踏むわけにはいかない。
 「・・・・・・だから」
 陽子はさらに一歩出口へ近づいた。
 瞠目する少女。その唇は血の気を失って震えている。
 外と内を分ける柱がすぐ横にあった。陽子はその柱に手をかける。
 院子から差し込んだ日の光が、陽子の影を室内に落としていた。
 「・・・・・・だから、行かなければ」
 最後の一歩。ついに陽子の足が庭についた。あまりに重い意味を持つ一歩だった。
 直後、ぷつっと小さな音が響いて、陽子の手首から紐釧がはらりと落ちる。同時に、目の前の娘達の頭が一斉に断ち切れ、室内が真っ赤に染まった。
 断末魔をあげるでもなく一瞬に、ごとっと重たい音を立てて娘達の体が床に転がり落ち、何もかもが鮮血に染まった室内からむっとする臭気が立ちこめた。
 目を背けたくなる惨状。足もとから駆け上ってきた震え。無意識に逃げださんとする足を必死に踏ん張り、陽子は目の前の光景を焼き付けるように目を見開いた。

 
 

  
 
 
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