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 主上の勅をうけた冢宰から官吏らに緊急の招集がかけられたのは、正午を少し過ぎた頃だった。つい先ほどまで朝議に参列し、冢宰の不明について喧喧諤諤やり合っていた者達は、突如出されたその通達にとにかく仰天した。
 結局冢宰は無事だったということか?
 というより、主上がお戻りに?
 誰もが何となくよくわからぬ状況に、もやもやとした思いを抱えたが、勅によって招集されたのならばとにかく一刻も早くその命に従わねばならない。四の五の言う暇もなく官吏らは退出したばかりの朝堂に再度駆けつけた。
 「主上の勅というのは真ですか?」
 「それは疑いようがないでしょう。あれほど禁軍を出すには主上の勅をいただかねばならぬと言い張っていた冢宰です。偽りの勅など出すはずがない」
 朝堂に集まった官らは、抱えた疑問を少しでも消化しようとするかのようにあちこちで密やかに雑談を交わす。
 「では、やはり主上がお戻りになったのですね」
 「それはまず間違いないかと」
 「では、ご無事だったということですね。軟禁されているなどという話だったので心配申し上げていたのです」
 「主上は武断のお方ゆえ、おとなしく捕まっているのをよしとはしないでしょう」
 「いかにも、いかにも」
 頷いてほっとした顔を見せたのは、実は一人や二人ではない。
 主上が戻られた。そして戻ってすぐ官を招集された。それが無事であった証であると官らは受け止めたのである。
 「―――で、冢宰も結局無事だったのですね」
 「怪我をしたのは間違いないようですがね。命に関わるほどじゃなかったのでしょう」
 そんな会話を交わしているうちに、全員がそろった旨の銅鑼が鳴る。朝堂に整列していた官吏らは、その銅鑼の音にぴたりと私語を慎むと、本日二度目のその銅鑼の音を聞きながら、粛々と外殿へと向かったのだった。


◇     ◇     ◇


 浩瀚が約束通り一刻の後に陽子を迎えに行けば、彼女は身を清めていつもの朝服に身を包んでいた。だが、血糊を落とした主の表情は、より一層憔悴の深さを露わにしていて、浩瀚は今からでも前言を撤回させたい気持ちに駆られた。
 「諸官そろいましてございます」
 「―――うん」
 浩瀚の言葉に頷いて、陽子は重い体を持ち上げる。浩瀚はその体をさりげなく支えつつ、気遣わしげに陽子をのぞき込んだ。
 「今日のところはどうか輿に」
 浩瀚が提案するも、陽子はわずかに首を横に振る。
 それを見やって、浩瀚は小さく息をついた。
 彼女が輿に乗るのを異様に嫌がることは前々から承知している。本来であれば、王が王宮内を移動する時には輿に乗るものなのだが、儀礼をのぞけば、浩瀚は陽子が輿に乗っているのを見たことがなかった。
 本来女王のすべき格好を「動きにくい」という理由で一刀両断し忌避する彼女のこと、輿に乗るのを嫌がる理由などあえて問わずとも推測できる範疇であったし、鮮やかな緋色の髪を揺らし颯爽と歩く彼女の後ろにつき従うことは、浩瀚にとって何とも胸がすくことだったのでわざと放置していたところもあるが、普段と今とではあまりに状況が違う。今は少しでもその身の負担になることは避けて欲しかったし、避けさせるべきが己の勤めだと浩瀚は感じていた。
 「―――しかたありませんね」
 輿の乗るのを拒否した陽子に、浩瀚はため息混じりに続けた。
 「では、私がお抱きしてお連れいたします」
 思いもしないその一言に、陽子は思わず浩瀚を見た。張っていた気がゆるみそうになって、自然柳眉がそっと顰められた。
 「・・・・・・こんな時にお前が冗談を言うとは思わなかった」
 「冗談ではございません」
 「では、本気だと?」
 「輿の乗るのが嫌だとおっしゃるのですからしかたありません」
 「―――歩ける」
 「主上の目的は、歩いて外殿まで行くことですか?」
 その問いかけに、陽子は思わず言葉に詰まる。そんな陽子の様子を静かに見つめながら浩瀚は続けた。
 「まず間違いなく主上には一刻も早い休息が必要です。それはおそらく主上も自覚なさっておられるでしょう。今かなりぎりぎりの状態で意識を保っていると。しかしそれでも、諸官の前に姿を見せる必要性があるとお考えであらせられる。そしてその必要性は、私も認めるところです。なぜならば、主上が間違いなくご無事に宮殿にお戻りになったと示すことが、これ以上の混乱を押さえ官らの気持ちを静めるからです」
 「―――その通りだ。浩瀚の報告を聞く限り、朝はかなり浮ついている」
 「それは私の力不足にて、申し訳ないことではございますが・・・・・・」
 「王の存在をちらつかせながらあのような大号令を出されれば仕方ないと思う。むしろ浮ついたくらいで良く踏みとどまったと言うべきだろう」
 「恐悦にございます。しかし、官の気を静めるためにお姿をお見せになると言うのなら、少しでもお元気であられることが肝要かと。意地を通して外殿まで歩かれ、諸官の前でお倒れになったらいかが致します。官の気を静めるどころか、朝は益々混乱いたしますでしょう」
 浩瀚の言葉に陽子は少しの間言葉に詰まり、
 「・・・・・・お前の言う通りだな」
 ため息混じりに呟くと、小さく苦笑を浮かべた。
 「ここはお前の言に従おう」
 言えば浩瀚が、では、呟いて陽子を抱え上げた。
 その突然のことに、陽子は驚く。
 「ちょ、ちょっと待て、浩瀚!」
 「はい?」
 何でしょうと言わんばかりの視線が間近にあって、陽子は思わず赤面した。
 「まさか本当に外殿まで抱えていく気じゃないだろうな?」
 「おや?主上はつい今し方、私の言に従うとおっしゃったばかりではありませんか」
 「まさかそっちを取るとは思ってなかった!っていうか、それが本気だとは思わなかった!」
 「私はいつだって本気ですよ」
 さらりと言ってのける男の顔を睨み付けながら、陽子は声をあげた。
 「あーーー、もう!どうでもいいけど、まさか諸官の前に冢宰に抱えられていくわけにはいかないだろう」
 「私は一向にかまいません」
 「私がかまうんだ。これじゃ本当に、冢宰におんぶにだっこだって言われちゃうだろう」
 「物事の本質を読みとれない、そんな愚か者の言など気になさることはありませんよ」
 「とにかく降ろせ。今すぐ降ろせ!」
 陽子が叫ぶと浩瀚は苦笑した。
 「しかたありませんね」
 そう言って降ろした先が部屋の前に用意されていた輿の上で、陽子は一瞬きょとんとしたあと、思わず頬をふくらませた。
 「・・・・・・お前、さてはからかったな」
 「滅相もございません」
 恭しく頭を下げながらもその口元がゆるんでいる。それを見やって陽子はふんとそっぽを向いた。
 「お許し下さいませ。主上がお戻り下されて、少々浮かれてしまった忠臣の出来心にございます」
 「・・・・・・お前は浮かれると人を抱きかかえるのか?」
 「主上限定でございますよ。何はともあれ、少々お元気が出たようで何よりにございます。少し血色も良くなられたようで」
 「―――お前」
 陽子は何事か言いかけたが、小さなため息をひとつ落としただけで口をつぐんだ。
 確かに、無理をおして官の前に姿を見せるというなら、空元気でも何でも出して、少しでも堂々としていなければならない。
 陽子は表情を引き締めると、背筋を伸ばした。
 さて、これから意地の見せどころだ、と陽子は思う。
 王としてなすべきことをせなばならない。
 「行くぞ、浩瀚」
 言えば浩瀚も表情を引き締め深々と一礼した。
 それを合図に、輿はゆっくりと外殿へ向かって動き出した。


◇     ◇     ◇


 銅鑼の音を聞きながら外殿に入った諸官らが整列してその場に跪くと、銅鑼は打ち方を変えた。それを合図に目の前の御簾が下ろされる。いつもなら間を置かずに現れる主の姿が遅いことに官らの間にわずかな緊張が生まれたが、やがて御簾の向こうに久方ぶりにまみえる主の気配を感じて、官らは一様に安堵の息をついた。
 何はともあれ、これで逆賊にはならなかったのだ。
 だが、再度銅鑼がひと打ちされて御簾が上げられると、安堵の空気は一転、瞬時息を呑むような気配が辺りに漂った。
 その姿を無事と言ってよいものなのか、誰もが判断に迷った。
 細った面、明らかに憔悴の深い気配。それでも官らを威圧するほどの気概を発していて、居並んだ者達はその鋭い眼光の前に身の置き所を失ったようにそわついた。
 安易に無事だったのだと思った者は己の浅慮を恥じ、逆賊にならずに済んだと安堵した者はその心の内を見透かされたような気になって萎縮した。
 そんな官らに王の声が降り注ぐ。
 「まずは私の至らなさから、諸官らをいたずらに混乱させたことを済まなく思う。と同時に、真偽不明の中にあっても己の職務を投げ出さずに責務を遂行し、さらには賊徒の謀計から金波宮を守り抜いた諸官らのことを誇りに思う」
 力強い王の言葉に官らは深々と頭を下げる。
 「奸計にあって楊州の謀略を許した。だが、楊州の行動は常軌を逸しており私は決して楊州の行いを認めはしない。だが、今金波宮に刃向けている彼らの多くもまた謀略に巻き込まれた哀れな被害者だ。真偽の証拠をつかむこと叶わず、反賊の首魁の発した大号令を真実と思って行動している。彼らの自覚なき暴走を止める手だては、王たる私がここにいるということを示すこと。ゆえに間違いなく私がここにいることを示し、早急に武装を解除するように申し伝えようと思う」
 「彼らを許されるのですか?」
 どこか非難めいた声に、陽子は視線を向けた。
 「彼らもまた私の守るべき慶の民。道を見失っているのなら、正しき道を示してやらねばならない。―――だが」
 陽子は大きく息を吸い込む。
 「それでも尚、金波宮を攻めるというなら逆賊と見なし容赦はしない。そして、そんな彼らを支援し援助する者もまた逆賊と見なす。ただ、これだけは皆に心得てもらいたい」
 そこで一度言葉を切ると、陽子は一同を見回した。
 「私は慶の安寧を心より願っているし、そのための努力は惜しまないつもりだ。それはひとえに、民に当たり前で平穏な日々を送ってもらいたいからに他ならない。真面目に田畑を耕していれば喰うに困らず、己の夢や希望に向かって努力することができる、そんなごくごく当たり前の日常を民に送ってもらいたい。世が乱れればそのしわ寄せは民に行く。今回の内乱、あれだけの兵を動かして一体どれだけの食料を必要とし、貧しい生活を余儀なくされている楊州の民にとってそれがどれほど負担になったか。徴兵していない、戦火に民を巻き込んではいない、だから民を巻き込んではいないなどというのならば、それは物事の表面だけしか見ていない愚か者の言い訳だ。兵を動かすということは、すなわち民の平穏を犠牲にするということ。その自覚なきことこそ罪と思わねばならない」
 一同ただ黙って玉座の王を仰いでいた。
 「文饒は言った。これは私のためであると。だが、民を踏みにじるだけでしかない今回のこの事態の一体どこに正義があるだろうか。私のためという言葉は同時に民のためと同義語でなければならない。それでなければ私は認めはしない。それは今回のことばかりではなく、この先もずっとだ。諸官一同、それを重々心得てもらいたい。―――桓魋!」
 陽子が呼べば、身なりを改めた禁軍将軍がその場で声をあげて礼を取る。
 「王のいる証として禁軍を出す。おとなしく武装を解除し首魁を差し出すなら、偽りの大号令に従ったというだけでは罪を問うたりはしないと申し伝え、速やかに彼らの武装を解除させよ」
 「は!かしこまりました」
 「猶予を三日とする。三日経っても応じぬならその時は容赦しなくて良い。私が許す」
 「は」
 ごくり、と何人かが息を呑む気配がした。
 時々に相手を威圧するほどの覇気を見せてきた女王であるが、この時ほど鋭く切れるような気を感じたのは初めてだと誰もが思った。
 その細い身の内のどこに、これほどの鋭気を隠し持っていたのか。
 かのお方は、慶において女王の概念を変えておしまいになるかもしれない。
 そんな予感を抱いたのは、一人や二人ではなかった。

 
 

  
 
 
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