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 巨大な門の前に杜真は佇んでいた。眼前には広い岩棚。その先には初夏のさわやかな青空が広がっていた。しかし先ほどから杜真は、そのさわやかな光景には似つかわしくないほどのしかめっ面を浮かべており、槍を片手にぴくりともうごく様子がなかった。
 その表情は柔和な彼には珍しく、異様な緊張感をその場に生み出しており、普段気軽な同僚たちもさすがに声を掛けるのを遠慮していた。だが、そんな彼らとて杜真の胸中は重々理解していたし、同じような心持を抱いてもいたのだ。
 「不満を顔に出すのはやめろ」
 見かねたようにそう声を掛けたのは凱之だった。しかし杜真は変わらずぴくりとも動かず、眼前の光景をにらみ続けている。その様子をちらりと一瞥し、凱之は小さくため息をついた。
 「そんなことでは官吏は務まらんし、やりたいことばかりが出来るというわけでもないのが仕事ってやつだ」
 変わらず杜真からの反応はなかったが、それでも凱之は続けた。
 「それに、ここは燕朝に直結する唯一の門。ここを守るということは、ひいては主上をお守りすると言うことだ。主上のために戦うことと主上のために守ることは、同じくらい重要なことで、ここにいることで自分は何も出来ていないと思うなら、それはここの職務の重さを理解していない証左でもあるぞ」
 諭すようにそう言いつつも、杜真とてそれは重々承知のことだろうと凱之は思う。わかっているが気持ちがうまく整理できないのだ。その気持ちもよく理解できる。
 何といってもあの時の主上のあの姿を見れば、ここでただじっとしておけというのは若い彼には耐えがたいことだろう。それに、ようやく出陣できるとなった時の同僚らの生き生きと輝いたあの顔を見れば、なぜその中に自分が入れぬのかと不満に思う気持ちが沸いてもいたしかたないだろう。
 実際杜真はその不満を上官にぶつけていた。自分も出兵する陣の端に加えてほしいと。主上のために戦いたいのだと。だが当然のことながら、その申し出が受け入れられるはずはなかった。
 「――――じゃないですか」
 唐突に杜真がつぶやいた。
 「え?」
 ぼそりと呟かれたその言葉を凱之は拾いきれずに杜真を見やった。杜真はやはり変わらず眼前をにらみ続けてはいたが、聞き返すような凱之の視線にもう一度ぼそりと呟き直した。
 「事実じゃないですか」
 「なにがだ」
 そう問おうとした矢先、杜真は睨み付けるような視線の矛先を凱之に変えた。しかしその表情は鋭いと言うより今にも泣きださんばかりだと凱之は密かに思った。
 「伍長のおっしゃる通り、ここを守ることの重要性は重々理解しているつもりです。三年前のあの騒動の時から、この場所だっていつ誰が攻めてきてもおかしくないのだと肝に銘じています。でも!」
 杜真は声を荒げて唇をかんだ。
 「いくら俺が心の中でそんなことを思っていようと、実際は何も出来ていやしないのです。主上が楊州に捕らわれている間も、一人満身創痍に戦っていらっしゃった間も、俺はここに突っ立っていただけなのです。・・・・・・本当に、突っ立っているだけしかできなくて、・・・・・・瘍医を呼びに行くことさえできなくて。
 ―――――――――これで禁軍の兵だなんて自分で笑っちゃいますよ」
 杜真の表情がゆがんだ。自嘲を浮かべようとしたその仕草は、むしろ泣き顔に見えた。 凱之はその顔を見て、杜真は自分のふがいなさこそを憂いていたのだと理解した。
 「お前の嘆きはよくわかる」
 だがな、と凱之はつづけた。
 「誰もがそんなふがいない気持ちを抱えながら成長していくんだ。まあもっとも、その気持ちを成長の糧にできるかどうかは自分次第だがな」
 凱之の言葉に杜真はただ唇をかみしめて、視線を落としたのだった。


◇     ◇     ◇

 杜真が悶々とする気持ちを整理できないまま禁門の警護にあたっているさなか、地上ではついに楊州師と禁軍の戦いの火ぶたが切って落とされた。六月二十四日黎明、銅鑼の音を合図に先発の空行師が一気に飛び立ち、楊州師の人馬の上に槍の雨を降らせたのである。それは、当初宣言していた通り猶予期間を過ぎた四日目の早朝のことであった。
 だが、禁軍のその攻撃は楊州師にとって予想済みだったのであろう。その攻撃によって楊州師らに与えた被害は予想をはるかに下回り、白兵戦は予想外の混戦となったのである。
 「右翼が切り崩されました!」
 飛び込んできた伝令の言葉に桓魋は思わず顔をしかめた。数の上では絶対的に有利であったが、最後の一兵にいたるまで死力を尽くさんとする楊州師の指揮の高さは敵ながら見事なもので、攻めては引くその絶妙な戦法に禁軍はどこか翻弄されていた。
 「右翼が崩れたら囲い込みは無理だ。逆に背後にまわられるぞ」
 桓魋は唸る。
 「左翼に引くように伝えろ!」
 「は!」
 短く答えて飛び出していく伝令を一瞥し、桓魋は卓の上の地図に目を落とした。
 どうにもこちらの気概が上滑りしているような気がしていた。いや、一気に叩こうとしたその気持ちを読まれたのだ、と桓魋は思う。敵はじっくりこちらを切り崩していくつもりなのだろう。一時の戦局に焦ればあちらの思うつぼだ。
 「我々も一旦引くぞ。腰をすえなおす」
 桓魋がそう口にしたその時、天幕の外がざわめいた。また伝令が何事か伝えてきたのかとそう思った矢先、目を射抜くような緋色の髪が目に飛び込んできた。
 「主上!」
 桓魋はあわてて膝をつく。他の者たちも思わぬ人物の登場に一時取りみだしたようにざわついた。
 「かような場所にお越しとは。台輔や浩瀚さまの許可はちゃんともらってきたのでしょうね?」
 桓魋が伺うように視線を向ければ、少女はわずかに苦笑した。
 「当然だろう?まあ、少々もめはしたけどな」
 少々ですか?と思わず心の中でつっこんだが、桓魋はあえて口にしなかった。すでにここに姿がある以上、それまでの課程をここで今取り上げても意味のないことだ。
 それに自分はどこかでこうなることを予想していたような気もする、と桓魋は思う。
 「苦戦しているようだな」
 陽子のつぶやきに桓魋は殊勝に頭を下げる。
 「主上より大軍をお預かりしたのに申し訳ございません」
 「あれは兵を動かすに天分の才があるようだ」
 どこかその才を惜しむような響きに、桓魋はわずかに顔をしかめた。だがそれは認めざるを得ない事実だと桓魋も思う。軍をしっかり掌握し、数の上での不利も見事にはねのけているのだ。軍師としての才だけをとるならば浩瀚とためを張るのではなかろうか。
 「まことにおしい男です。ただ使い方を誤るのも才の内かと」
 陽子は苦笑して視線を上げた。
 「確かにそれも一理」
 だが、と陽子はつづけた。
 「才の使い方を間違ったか否かなど、そんなものは本当の意味ではわからないのかもしれない。ただ、時代に受け入れられれば是とされ、受け入れられなければ否とされる。その程度の違いしかないのかもな」
 「主上は、文饒のしていることに理解を示されているのですか?」
 「まさか」
 陽子はわずかに首を振った。
 「でも、和州の乱と今回の戦、紙一重のような気はするんだ。でも両者には絶対的な違いがあって、それをうまく言葉にできないけど、文饒のやり方はやはり間違っていると私は思う」
 陽子のその率直な言葉は、すんなりと桓魋の心に入った。
 桓魋とて内心ではよくわからないのだ。何が正しくて何が間違っているかなど。麦州にいたころ腐敗した国府の状況を耳にするたびに、そんな朝は討ってしまえと思っていた。きれいさっぱりすべての人を入れ替えれば、朝は正しく生まれ変わるのではないかと。時の主浩瀚がそう決断しさえすれば、自分は迷いもなくそれを実行に移しただろうし、そこに罪悪などみじんもなかったに違いないとも思う。
 だが朝に身を置く今となっては「国府は腐っているから討ってしまえ」という意見に賛同するわけにはいかない。確かに先王の代までに溜まった膿はいまだ出し切ってはいないし、まだまだ多くの改革が必要なのは事実である。ただそれは認めても、朝そのものを否定することはできないのだ。
 だからそういう意味において文饒の主張は受け入れるわけにはいかない。だが、こういう行動を起こす決意をしなければならなかった文饒の気持ちを推し量ったとき、桓魋は禁軍左将軍という立場にありながら文饒を完全に否定することはできなかったのだ。
 そしてこのような気持ちを人々が抱くことこそ浩瀚が何より警戒していることも感じていたし、だからこそ禁軍は絶対的に勝利する必要があることも理解していた。
 文饒は主上を監禁し、主上から権を奪い取って支配者になり替わろうとした大罪人。後世の人々が文饒を語るとき、そうでなければならない。
 「桓魋」
 陽子の呼びかけに桓魋は静かに主を見た。見上げた翡翠の双眸は、悠然と嗤っていた。
 「私はこの戦を長引かせる気はない」
 「―――しかし、焦りは禁物かと」
 「お前はこのまま軍を率いて徹底抗戦の構えを見せよ。文饒の首は私が取りに行く」
 「!」
 陽子の言葉に桓魋は瞠目した。
 「まさか敵陣の乗り込むおつもりで?」
 「それが手っ取り早いだろう」
 「お待ちください!」
 桓魋は思わず声を上ずらせた。
 「どこに敵陣に乗り込む王がおりますか」
 桓魋が言えば「ここに」と陽子はしれっと返す。
 「ああ、あとお隣の国もしそうだ」
 「主上!」
 「お前がしている心配の類はよくわかる。だがな、あの男は私が、王自らが殺らねばいけないと思うんだ」
 それに、と陽子はつぶやく。
 「私自身、もう一度文饒と相対する必要があると思う」
 「―――しかし」
 「あちらは少なくとも主上のためという大義名分を掲げているのだ。私が堂々と現れれば手出しできないだろう。それに、万が一に備えて景麒から借りられるだけの使令を借りてきているから心配には及ばない」
 それでも、と渋る桓魋に陽子が勅命を下したのは言うまでもない。

 

 
 

  
 
 
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