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 「移動させた荒民は、いまはどこへ?」
 陽子が文饒にそう問いかけたのは、閑地のあちこちをくまなく見回って後のことだった。見回りながら陽子は、時々に思いついた楊州の様子や荒民達の生活について文饒にたずねていたが、その中で何気なく出てきたのが先の質問だった。
 しかし陽子には何気なくとも、それは文饒が待っていた一言だったのである。
 文饒はひそかにほくそ笑んだ。
 「街の外です。しばらくは住民達との接触がないように気をつけております。幸い今は気候のよい季節ですから、とりあえずはそこで我慢してもらっております。冬前には手を打たねばならないでしょうが・・・・・・。ご覧になっていかれますか?」
 「―――そうだな」
 文饒のさりげない提案に陽子は頷く。
 「せっかくの機会だ。荒民の様子も見ておこう」
 「では、しばしお待ちを。騎獣をご用意します」
 「遠いのか?」
 「いいえ。街を出てすぐのところでございます。ただ、歩けば半刻ほどはかかるかと・・・・・・」
 文饒の気遣うような視線を受けて、陽子は苦笑した。
 「私はそんな柔じゃないぞ。半刻ほどなら歩こう。それに、騎獣で乗り付ければ目立ってしょうがない」
 「―――では、仰せのままに」
 文饒は一礼すると、護衛の面々をそっとうかがった。
 女王をこの街から誘い出すことになった会話を誰もいぶかしんでいる様子はない。それほどに会話の流れは自然であり、文饒はうまくいったことを確信して密かに笑った。
 「ではご案内いたします。どうぞこちらへ」
 

◇     ◇     ◇


 荒民が野営する場所へと向かった陽子達一行が草寇のような者達の襲撃を受けたのは、もう間もなく目的地に到着しようかというころだった。
 突如現われた男達は二、三十人はいようか。手には武器。たった六人の集団は、あっという間に囲まれた。
 桓魋とその部下達は、緊張の色を走らせて陽子を守るようにさっとその周りを固め、陽子も反射的に腰に下げた水禺刀に手をかけた。
 向けられた切っ先が、血を求めるようにきらりと光る。
 何者か。そう陽子が誰何する前に、男のひとりが口を開いた。
 「―――お前ら、街のもんか」
 その低い問いかけに陽子はぴくりと反応した。
 「何?」
 「ここに何をしに来た」
 「―――ひょっとして、お前達は荒民なのか?」
 男は応えない。ただ、睨み付けるように陽子達一行を見据えていた。その視線をまっすぐに受けて、陽子は努めて穏やかに口を開く。
 「私達は荒民に害をなすつもりはない」
 「―――ならば武器を捨てろ」
 「……」
 間髪入れずに返ってきた返答に陽子は沈黙した。
 男はいかにも手負いの獣のように見えた。その事実に、男の要求に応えるべきか否か、陽子はしばし逡巡する。
 武器を捨てることは、己の命を危険にさらすということだ。しかし武器を捨てねば彼らの気を静めることは不可能だろう。それに自分たちは仙。よほどのことがない限り傷つけられることはない。
 ここに何をしに来たのか。陽子は自分自身に問いかける。争いをしにきたのでも、荒民達を傷つけにきたわけでもない。それと同時に陽子は、彼らの心境が理解できるような気がした。
 巧で彷徨った時、意味もわからず追い掛け回され、いろんな人に裏切られた。誰も信用が出来ず、剣だけが己のすがる唯一のものだった。
 近づいてくる者はみな邪心があるのだ。傷つけられる前に傷つけてやろう。そんな暗い思いに囚われて、誰も信じることができなくなっていた。
 荒民狩りとも呼べる、あのような仕打ちを突如受けた彼らにしてみれば、人を信じることが出来なくなってしまっていても仕方ないのかもしれない。
 しかしそれが如何に悲しいことか、陽子はよく知っている。
 「―――わかった」
 陽子が水禺刀を腰からはずして地に置くと、桓魋が驚愕したような声を上げた。
 「なりません!」
 「お前も武器を捨てろ」
 「何をおっしゃいます。出来ません!」
 「命令だ」
 「……っく」
 苦悩の表情を浮かべて桓魋が呻いた。
 しかし、王に命令といわれて従わないわけには行かない。しぶしぶ桓魋は、構えていた槍から手を離す。それに倣って他の二人も武器を捨てた。―――直後、
 「かかれ!」
 「なっ!」
 振り上げられる刃。最初からそのつもりだったのか。陽子は舌打ちしつつ、思わず顔をしかめた。
 凶刃が迫り来る。その場に喊声と怒号と悲鳴とが入り混じり、反射的に桓魋が陽子を守るように両手を広げた。
 「班渠!」
 叫ぶ陽子の声に影が反応した。飛び出してくる銅色の妖魔。その姿に男達が一瞬ひるんだ。
 生まれたわずかの隙。
 「今のうちにお逃げください!」
 桓魋が叫ぶ。
 その声に反応したように、男達に突っ込んで行っていた班渠が身を翻し、陽子の体を掬うようにしてその背に乗せた。 
 「待て、班渠!」
 あっという間にふわりと持ち上がった感覚に陽子が慌てて声を上げる。地上はあっという間にはるか下方となり、入り乱れた現場の様子を俯瞰できた。
 いつの間にか熊の姿になった桓堆が、迫り来る刃をなぎ払っている。その力は圧倒的であったが、陽子はある事実に気づいて眉根を寄せた。
 桓魋の体をかすった刃が、桓魋の体を傷つけているのだ。それは男達が持っている武器が冬器であることを意味している。荒民や草寇が持っているはずのない代物。
 「もどれ、班渠」
 「なりません」
 「勅命だ!もどれ」
 「御身の安全が何よりも優先されます。安全なところまでお連れしたら、命に従いましょう」
 「お前は、主にそっくりだな!」
 遠ざかる現場を見やりつつ、陽子は忌々しげにはき捨てた。
 「とにかく、桓魋たちを見捨てるわけにはいかない。近くに別に兵がいるはずだ。彼らに連絡を」
 そう呟いた時、前方の上空からやってくる騎獣の一団が目に入った。何者かと見ていれば、州師の徴(しるし)が見て取れた。
 彼らは陽子が何者か把握していたようで、陽子のそばに騎獣を寄せると、騎乗したままではあったが丁寧に礼をした。
 「おひとりでございますか?」
 男の問いにうなずきつつ、陽子ははるか後方を指差す。
 「ちょうど良かった。荒民らの野営する場所へ向かっている途中に賊に襲われた。急いで助けに行ってくれ」 
 「なんと!」
 陽子の言葉に男は驚愕に目を見開いた。お怪我は、と即座にかけられた問いに大丈夫と答えつつ、陽子はとにかく急いで行って欲しいと繰り返す。
 「では、すぐに参ります」
 「頼む」
 「主上はこのまま州城へお戻りください。伯備!主上の供をせよ」
 「はっ!」
 では、とあわただしく去っていく一行の中で一人残った男が陽子を促す。
 「主上。州城へ戻りましょう」
 「―――ああ」
 後ろ髪を引かれつつも、陽子は州城へと帰城した。


◇     ◇     ◇


 路門の前の広い露台。そこに降りて陽子は班渠から水禺刀を受け取った。あの混乱の中でもちゃんと拾って咥えてきた班渠の優秀さには舌を巻く。
 「戻って桓魋を助けよ」
 陽子が言えば、班渠は御意と答えて姿を消した。州師の兵も駆けつけたのだから大丈夫とは思うが、それでも置き去りにしてきてしまった一行が心配だった。間に合ってくれ。そう願いつつ現場に続く空を見やれば、一騎の騎獣がやってくる。見れば騎乗しているのは文饒。加勢に駆けつけた州師の騎獣を借りたのだろうか。しかし何よりも陽子は、文饒の袖が鋭く切られ、そこが赤く染まっているのを認めて目を見開いた。
 「文饒!」
 駆けつけると、しっかりした視線を返しつつもその表情からは血の気が引いている。ぐらつく体を陽子は支えた。
 「やられたのか?」
 「申し訳ありません。不甲斐ないばかりに賊に後れを取りました」
 「何を言う。そもそもお前は文官じゃないか。置き去りにするような真似をしてしまって済まない」
 「何をおっしゃいます。何よりも主上の御身が大事。お怪我はありませんでしたでしょうか?」
 「ああ、私は大丈夫だ」
 「―――本当にようございました」
 「とにかく手当を」
 「大事ございません。私とて主上より仙籍を賜っております。・・・・・それよりも大事なお話が」
 「大事な話?」
 「ここでは・・・・・・」
 いいよどんで文饒は、ひと目を気にするように周囲に視線を走らせた。
 「願わくば、我が官邸にお越し願えませんか。すぐそこでございますゆえ」
 「わかった」
 陽子は頷く。
 「ただし、お前の手当が先だ」
 「―――かしこまりました」
 陽子はふらつく文饒の体を支えてやりながら、文饒の官邸へと向かった。

 
 

  
 
 
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