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 現場は凄惨を極めていた。
 死屍累々と転がる死体と立ちこめる血の匂い。その中でぶつかり合い、火花を散らす男達。
 陽子の命を受けて現場へと戻った班渠は、一瞬状況が飲み込めずに固まった。凄惨な現場などものともしない。むしろ妖魔としての本性がうずき歓喜に震えそうなほどだが、何がどうなったらこういう状況になるのか、ここを立ち去った時の様子からは全く想像できない状況に、珍しくもどうしたものかと迷いが生じたのである。
 禁軍の兵と州師が対峙し、将軍の援護に駆けつけたはずの州師が当の本人に襲いかかっている。どちらも王を守るべく動いていたはず。なのになぜ今、両者は対立しているのか。
 ただその迷いは、本当にほんの一瞬にすぎなかった。
 仮に受けた命が「一行を助けよ」というものだったら班渠は迷い続けたに違いない。しかし、王が最後に言った言葉、それは「桓魋を助けよ」その一言。
 ならば自分はそれに従うのみ。
 班渠は地上に飛び出すと、将軍に群がる州師達に襲いかかった。
 一方の桓魋は、王についているはずの使令が現れたことに驚いた。
 「主上は!」 
 「州城へお連れした」
 「だめだ、楊州城は安全ではない!」
 「・・・・・・」
 桓魋の叫びに班渠がぴくりと反応した。
 「すぐに主上のもとへ戻り、金波宮へお連れしてくれ!」
 「何を言う!お前こそ主上を殺し奉らんとした逆賊ではないか!」
 州師の男が叫ぶ。
 ――― 一体、どうなっている。
 全く状況が飲み込めぬが、班渠に命令できるのは王と宰輔の二人だけだ。それ以外の命に従う謂われはないし、仮に王の身が危険だと言われても事実確認が出来ない以上、王の命を遂行することを優先しなければならない。
 班渠にできることは、とにかく一刻も早くこの男を助け、王の許へ戻ること。それのみ。
 班渠は考えるのをやめた。


◇     ◇     ◇


 「で、話とは?」
 文饒の官邸に場所を移し、文饒の手当が済むのを待っていた陽子は、身なりを改めて現れた文饒を見やって問いかけた。
 やはりさすがは仙なのか。先ほどの顔色の悪さは随分と薄らぎ、足取りもしっかりとしたものであったが、代わりにその表情には険しさが増しているような気がした。
 「―――恐れながら主上」
 文饒は唐突にその場に伏した。陽子はその様子に驚いて目を見開く。
 陽子は初勅にて伏礼を廃した。それは慶の全土にあまねく知らされ、よって楊州城にて迎えられた時も、州官は一同そろって跪礼していた。ゆえに文饒が今こうして額ずくには、それなりの理由があるはずなのだ。
 王の勅を破るとわかっていながらも、伏さずにはいられないほどの理由。それが「大事な話」とやらと結びつくのだろうと容易に想像できて、陽子は顔をしかめた。
 一方の文饒は、よほど言いにくいことなのか、何度も言い躊躇うようなそぶりを見せ、いたずらに沈黙ばかりがその場に落ちた。いい加減に焦れて陽子が促せば、文饒は大きく息を吸い込んで後、ようやくぽつりと言葉をこぼした。
 「―――青将軍の謀反が発覚してございます」
 「・・・・・・・・・は?」
 一瞬、紡がれた言葉の意味が理解できなかった。
 「主上におかれましては、信じられぬ話とは思いますが、拙が申すことは嘘偽りなきことにて、どうかお信じくださいますようお願い申し上げます」
 「いや、まて。何がどうなったらそういう誤解が生まれるんだ?」
 「誤解ではございません!」
 戸惑うような陽子の呟きに、弾かれたように文饒が顔を上げた。
 「あのあと。主上が無事お逃げになった後、将軍が唐突に言われたのです。失敗した、と」
 「・・・・・・しかし、あの時逃げろと言ったのは桓魋だぞ」
 「本当に逃げられるとは思わなかったのでしょう。そもそも最初に襲ってきた者達も将軍の手の者達だったのです。彼らが持っていたのは冬器でした。荒民や草寇が冬器など手に入れられるはずございません」
 「―――確かになぜ冬器を持っていたかという疑問はあるが、それだけで桓魋が関与していたという証拠にはならないだろう」
 「その通りです。それだけなら、私とて確証は持てませんでした。しかし、あのあと州師が駆けつけ、さほど間をおかずに護衛についていた禁軍の兵らが駆けつけてきた時に正体を現したのです。彼らは突如州師に襲いかかり、騎獣を奪って主上を追いかけようとしたのです。州師はそれをさせてはならぬと禁軍の兵らと対峙し、私は見たままを主上にお伝えせねばと隙を突いてその場をうまく逃げ出して参ったのです」
 「・・・・・・文饒」
 必死の形相で訴える文饒を戸惑い顔で見つめながら、陽子はそろそろと口を開く。
 「悪いがお前は何か勘違いしている。私は桓魋の為人をよく知っている。桓魋はそんなやつじゃない」
 「しかし私はしかとこの目で!」
 「お前の言を疑っているわけではない」
 陽子は文饒の必死の様子に戸惑いつつ、気をなだめるように穏やかに言った。
 「ただ、目にしたことの捉え方に早とちりしているところがあるのではないのかと言っているんだ」
 「では目にしたことをそのまま申し上げます。主上がお逃げになった後すぐ、州師が参りました。主上にお会いになり、主上の命でここへ参ったと州師は告げました。間をおくことなく護衛に当たっていた禁軍の兵らも駆けつけました。すると禁軍の兵は、突如州師に襲いかかり、騎獣を奪おうとしたのです。これはどう解釈しても、青将軍が謀反を企んでいたとしか思えません」
 「―――しかし」
 「・・・・・・ただ、ひとつ気になることを申し上げれば、あるいは、将軍自身の計画ではないのかもしれません」
 「というと?」
 「黒幕がほかにいるということです。将軍を手先として使えるところに」
 「―――何が言いたい」
 「そもそも将軍は冢宰の腹心。冢宰に命じられれば、否やはいえぬはず」
 「それこそあり得ない!」
 陽子は文饒を睨み付けた。
 「浩瀚こそそんなやつじゃない。浩瀚は、もし私が王たるにふさわしくないと思ったら、そんなまどろっこしいことなどしない」
 「そうでしょうか?主上を王たるにふさわしいと思っているかどうかが問題ではないのかもしれません。彼の者は幸運にも冢宰の位を授けられ、さらなる欲が出てきたとしてもおかしくはないでしょう。王を屠り、仮王としてその頂に立つ。しかしそのためには、間違っても自分が手にかけたなどと、ばれるわけにはいきません。全ての罪を楊州になすりつける。それこそが冢宰の思惑だったに違いありません」
 必死に言いつのる文饒を睨み付けるようにして眺めながら、陽子は大きく息をついた。ここでいくら話し合っても、平行線を辿る一方だと思われた。どう見ても文饒は、浩瀚や桓魋達を誤解している。しかしそれも無理からぬ事なのかもしれない、と陽子は思った。自分とて、最初は浩瀚をはじめ多くのことを誤解していたのだ。彼らの日常の様子を伺うことができない文饒にとっては、浩瀚を信用できないと判断するなにかがあるのかもしれない。
 だが―――
 「悪いが文饒、私は桓魋を信用している。もちろん浩瀚もだ」
 陽子が迷いなく言い放てば、文饒は唇を噛みしめてうつむいた。痛みに耐えるように顔をしかめ、しばし黙した後にぽつりと呟く。
 「その信用はどこから生まれるのでしょうか?」
 「え?」
 「彼らの日々の言動ですか?しかしそれがどこまで真実か、わかったのもではないでしょう?」
 「文饒。それは聞き捨てならない」
 陽子が顔をしかめれば、文饒は憂いをたたえた顔を陽子に向けた。
 「恐れながら主上は胎果でいらっしゃる」
 「それがどうした」
 「こちらのことには疎くていらっしゃる。こちらとはこういうものだと言われれば、納得せざるを得ないことも多々あるのではないですか?」
 「なるほどお前は、私の判断力に疑いを持っているわけだな」
 「違います!」
 文饒が声を荒げた。
 「彼らが狡猾なのです。官吏は必要とあればどこまででも真意を隠して演技します。それが国のため主上のために必要であるというならば是でしょう。しかし彼らは往々にして自分の利益のためにそれを行うのです」
 「つまりは桓魋や浩瀚も自分の利益追求のために真意を隠し続けていると言いたいのだな。しかし文饒、それは責められることか?人は心の奥底までさらけ出さなければいけないのか?そうではない者は信用に値しないと?お前が言うように浩瀚は心の底からは私を認めていないかもしれない。あるいは、私に仕えることよりも冢宰という位の方が大切かもしれない。だが人とは結局、表に現れてきたものでしか判断はできないし、心の底を疑って表に現れた言動を疑っていてはきりがない。そういう意味において、私は日々の彼らの言動は信用するに値すると思っている。なぜなら、彼らは間違いなく国のために働いているからだ。もちろん私も人であるから、人から信用されたい信頼されたいという思いはある。だが人の心を縛ることはできないし強制することもできない。彼らの心が欲しければ、それは私自身が努力しなければならないことであって、私を信用しない他人を責めるのはお門違いという物だ」
 「―――そのお心は誠に立派だと思います。しかし主上はこの国の王。心の底からの忠誠を誓う者でなければお側に寄せるべきではありません」
 「その忠誠はどうやって測る?言葉の巧みさか?私の欲する物を差し出すことか?それともより苛烈な命を遂行することか? 心を疑っていてはきりがない。大切なことは彼らが私のために何をするかではない。彼らが国を良くするためにどのような働きをしているかだ。そして彼らが私を信用するのではなく、私が彼らを信用するのだ」
 「その信用をあっさりと裏切るのが国官らではありませんか」
 「その時は、私の見る目がなかったということだ」
 陽子が苦笑気味に笑みを浮かべれば、文饒は唇を噛みしめて黙り込んだ。
 「―――まこと主上はすばらしいお方でいらっしゃる」
 ややして文饒はぽつりと呟いた。
 「主上のような王を戴けたこと、この上なき幸せにて天帝に感謝申し上げます」
 そう言って微笑んだ文饒の顔を見て、陽子はほっと息をつく。
 理解してもらえたのだ。しかしそう思ったのも一瞬のこと。文饒の双眸に浮かんだのは、深い深い憂慮の色であった。
 「ゆえに残念でなりません」

 
 

  
 
 
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