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 楊州より出された大号令により、金波宮は一気に騒然となった。
 その混乱は、偽王の乱以上であったといっていい。なにしろ陽子が正当な王であるということは誰にも疑いようのない事実で、また、陽子が楊州へ行ったということも国官ならば誰もが知る紛れもない事実であったからだ。
 官府のあちこちで大号令の真偽について意見が飛び交い、多くの者が「そんな馬鹿なことがあり得るか」と一蹴しつつも、主上のおわす楊州から嘘や冗談でこんなものが発令されるはずもなかろうという思いも捨てきれず、中には「忠を試されているのでは?」と勘ぐる者もあり、真偽のどちらであっても不忠を問われない身の振り方は、留まるのが正しいのか下るのが正しいのかと、そわそわと身の振り方を考えている者も少なくはなかった。
 赤王朝が開いて五年。少しずつ地盤を固め落ち着きだしていた朝は、一夜にして浮ついたものとなってしまったといっていい。そんな朝廷内の空気に危険を感じた浩瀚は、内心に抱えるいらだちや焦りを必死に押さえながら宰輔景麒のもとを訪れた。
 「―――台輔」
 おとなった仁重殿で、景麒は南方を眺める窓辺にぽつんと佇んでいた。
 浩瀚は深々と一礼してからその背に声をかける。その表情は、いつも涼しげな笑みを浮かべている彼からは想像もつかぬものであり、陽子が見たら驚くほどに険しかった。
 「何か新たな情報は得られましたでしょうか?」
 浩瀚の問いかけに、景麒は窓の外を眺めたまま小さく首を横に振る。
 大号令が出されてすでに三日。浩瀚らは未だ、陽子に関する情報をほとんど得られてはいなかった。
 当然、慶全土に激震が走った直後より、浩瀚をはじめとする陽子の側近らは、陽子の所在や現在の状況をつかむべく奔走している。ただ、いち早く情報を持ち帰ると思われた景麒の使令、驃騎によってもたらされた情報は芳しいものではなかった。
 いわく、州城のどこにもお姿がない―――と。
 それが何を意味するのか、側近らは議論に議論を重ねた。その結果、妖魔が入れぬような呪の施してある場所があるのかもしれない。主上はその中に捕らわれておいでなのかもしれぬ。それが一番しっくりくるひとつの答えであったが、本人との接触が叶わぬ以上、彼女が今どういう状況にあり何を思っているかなど本当のところなど知りようがなかった。
 今は、その裏付けとなるものがないかと使令に探らせているところだが、未だ情報を持ち帰ってはいないようだ。
 斥候も当然放っているが、こちらが情報を持ち帰るにはまだもう少し時間がかかる。
 「・・・・・・さようでございますか」
 浩瀚は、景麒が眺める窓の外にちらりと視線を投げた。
 大号令が出されて以来、景麒は一日の大半をこのように窓の外を眺めて過ごしている。
 麒麟とは王を慕うもの。それはわかっていても、浩瀚はこのまま台輔が転変でもして楊州へ駆けて行ってしまうのではないかと一抹の不安を抱えていた。
 王も台輔も失っては、金波宮は余州に対して正当性を示す物を失ってしまう。そうなってしまえばいかな浩瀚とて、金波宮を支えきる自信はなかった。
 「ところで台輔。問題は、外ばかりにあるのではございません」
 お気づきでいらっしゃいますでしょうか?と言外に含ませて、浩瀚は問いかける。
 「大号令が出されて以来、官吏らが浮ついております。主上が真実楊州にいらっしゃるなら、楊州へ向かうが忠義ではないかと考える者達がいるのです。しかし、それを許しては、朝は内部分裂を起こして自滅するは明白。とにかくまずは、金波宮の官吏らをどうにかせねばなりません」
 「・・・・・・私に何をせよと」
 「主上がおられぬ以上、天意の正当性をお示しできるのは台輔のみにございます。玉座はここ金波宮より動くはずがないという姿勢をお見せくださいませ。と同時に、主上は楊州に囚われの身であるとの見解をお出しになり、楊州より出された大号令に正当性がないことを諸官にお示しください。台輔よりそのお言葉を頂ければ、諸官は一応の落ち着きを見せましょう」
 「―――しかし、冢宰」
 景麒は初めて、わずかにふり返った。
 「大号令に正当性がないなどという確証はどこにもない」
 その言葉に、浩瀚は思わず顔をしかめた。
 ―――朝の浮つきには台輔にも責任の一端がある。
 浩瀚はそう思って舌打ちしたい気分だった。
 何しろ大号令が出されて以来、景麒はとにかくその紫の双眸に憂いを湛え、ちらりとも大号令を否定する言動を見せることがない。その様子を見た官吏らの中には、
 「台輔は主上のもとへお行きになりたいのに、冢宰らが何やら画策して行かせぬようにしているのではなか」
 などと囁き回っているのだ。それが朝の浮つきを助長しているのだ。
 ―――台輔がしっかりなさり、主上のお帰りを信じて待つという態度をお示しくださるだけで状況は変わるというのに。
 だが、これが麒麟というものなのかもしれないと、浩瀚は漏れそうになったため息をこらえた。
 「正当性?これは随分と台輔にあるまじきことをおっしゃるものです」
 浩瀚は景麒を見据えた。
 「台輔におかれましては、主上をお見送りした際おかけいただいた言葉をお忘れでしょうか」
 景麒は、わずかにまつげを揺らした。
 「主上はおっしゃったではありませんか。留守と頼むと。そうおっしゃっておきながら、あのような大号令を出される主上でありましょうか?」
 「――――――」
 「そしてなにより、私に何の相談もなくこのような大それたことを主上が画策なさるとは到底思えません。私たちが数年かけて築いてきた信頼関係とは、そのような薄っぺらなものでないと確信しております。そしてそれ以上に主上は、台輔を戦渦に巻き込むような真似をなさる方ではございません。金波宮を戦場にするのも厭わないとお考えになったなら、どんな無理矢理な理由をつけてでも台輔を金波宮から遠ざけられたでしょう。それに、そもそも主上が楊州へ行かれたのは、楊州での荒民狩りの一件が始まりです。あれがなければ主上は楊州へ行かれることはなかった。逆に言えばあれは、主上が楊州へ赴くための口実として用意されたものであると考えられます。では誰が用意した口実なのか。仮に、主上ご自身が示唆なされたものであると考えてみましょう。もしそうであれば、主上は随分と前から楊州と秘密裏に連絡を取り合い準備を行っていたと言うことになります。ではそれが可能か、と考えた時、私は否と断言できます。なぜなら私の目を盗んでそのようなことがお出来になる才覚をお持ちなら、私ごときを冢宰に任じる必要など最初からなかったからです。しかしそんなことを考えるまでもなく、国籍を問わず不遇な民の誰をも哀れむ主上が荒民狩りを示唆なさるはずがございませんし、主上のこれまでの日々のご様子、苦慮されてきた事柄、私や太師、台輔の言に真摯にお耳を傾けられ努力されてきたお姿を拝しておれば、いたずらに民の命を奪い慶を焦土としかねない選択をなされる方でないのは明白。なのに、なにゆえ台輔はあの大号令に正当性があるかもしれないとお考えになられるのか。私には不思議でしょうがありません」
 息もつかせぬ浩瀚の言葉に、景麒の瞳が揺れた。
「留守を任された我々は、主上がお戻りになる場所を是が非でも守り通さねばなりません。そして、主上がお戻りになる場所とは、王宮という入れ物だけをさすのではありません。まだ数年ながらも、主上が苦労して作り上げた朝をも含むのです。私の言はどこか間違っておりますでしょうか?」
 浩瀚の強い視線に景麒が目を伏せた。
 「台輔は、帰るとおっしゃった主上のお言葉が信じられぬのですか?」
 浩瀚の言葉に、景麒は見送った時の主の姿を思い浮かべる。自分の小言に苦笑しつつも、出迎えの自分の姿を見るまでは気を抜かないからと元気に出かけていったあの姿。
 ―――景麒だけは、私を信じなくてはいけない。
 かつて聞いた主の言葉が蘇る。
 景麒はわずかに唇をかんだ。
 ―――ああ、そうだ。私のするべきことはただひとつ。主上のお帰りを信じて待つことのみ。
 そんな単純な答えを導き出せずにいた自分に呆れつつ、景麒は小さく息を吐き出した。
 「わかりました」
 景麒は瞳をあげて、浩瀚を見返した。
 「冢宰のいう通り、我々は主上のお帰りになる場所を守らなければならない。あの方の帰る場所は、ここしかないのだから」
 景麒の言葉に浩瀚は深々と一礼した。これで一応内部は落着くだろうと一安心しつつも、その思考は、すでに次に打つべき手へと移行していた。

 
 

  
 
 
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