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   曹家から州府に納められる荷駄の列が続々と皋門をくぐっていた。その先頭を行く洵由は、ハラハラする胸の内を必死に押し隠しながらいつものようにふるまう。
 曹家が州に納品する食料品をはじめ、州に納められるありとあらゆる品物は一度検めを受ける。その場所は皋門をくぐってすぐの州府のごく浅い場所にあり、洵由率いる曹家の荷駄の列は慣れた様子で粛々とその場に向かっていた。
 やがて洵由の視界が、四方に壁のないだだっ広い建物を捕える。その名も検品殿という名のその建物に荷物は続々と運び込まれた。
 「そっとだ。そっと降ろせ」
 荷物を運び込む下男らに洵由はいつも以上に厳しく声を掛ける。平静を装っていても洵由は非常に緊張していた。
 「やあ、ご苦労」
 その時、舎人班素が現れた。班素は何やら確認しているのかそれともただの手慰みなのか、並ぶ荷物をぽんぽんと叩き時々気まぐれに中を覗きながら洵由のもとへやってきた。
 「毎回大儀であるな」
 「ありがたきお言葉でございます」
 洵由は軽く拱手して班素を迎え、今回納める品物の目録を渡した。それにざっと目を通し、班素は軽く頷いた。
 「塩に味噌、青菜もあるか。青菜の入った荷はどれだ」
 「こちらにございます」
 洵由は言って近くにいた家人に目配せする。
 「ほら、ふたを開けて中をお役人様にお見せしなさい」
 「へい」
 「ほう、これか」
 「今朝取ってきたばかりの青菜でございます」
 「うむ。悪くなさそうだ。で、金鶏はこれか?」
 「はい。そのかごの中です。開けられるときはご注意を、中から飛び出してくることがございます」
 そこまで言ったとき、大甕を抱えていた家人が大きくよろめいた。荷を落としては一大事と周囲がざわめいて一気に手をのばした。おかげで大甕は大きくぐらつきはしたが、倒壊は免れた。
 「気をつけろ!」
 「へい、すんません」
 洵由の一喝に大男が身を小さくして地にはいつくばった。それを一瞥して洵由は、もういいとばかりに視線で下がるように促すと、男はもう一度地面に額をこすりつけてにじり下がった。
 「それは何だ」
 「葡萄酒にございます」
 「ほう、もう手に入ったのか」
 「曹家にそろえられぬ物はございません。堯天で手に入る物よりよほど上等な葡萄酒ですよ。お試しになられますか?」
 洵由がたずねると班素はにやりと笑った。
 「確かに初めて入れる荷だからな。確かめておく必要があるだろう」
 班素の答えに、洵由は甕を開けた。柄杓ですくって杯にそそぐと班素に手渡す。
 これが葡萄酒という物か、と班素は心の中で感心したが、初めて飲んだと知れれば何となく矜持が許さない気がして、鷹揚にうなずいてみせた。
 「なかなかのものだな」
 「ありがとうございます」
 「今後定期的に手に入るのか?」
 「葡萄酒を扱う雁の商人と誼を結びましたので、ご連絡いただければいつでも」
 「そうか」
 班素はにやりと笑うと、帳簿をパタンと閉じた。
 「では、後は引き受ける。大儀であった」
 班素がそう告げると、ひかえていた州府に勤める下男下女らが曹家の使用人らから荷物を引き取った。これより先は彼らが上まで運びあげるのだ。
 洵由は、彼らの荷の扱いをそっと横目に見ながら湧き上がる心配を押し殺した。
 

 下男下女らによって上まで運ばれた荷は、食品庫に運び込まれる。全ての荷が納められるとガシャリと外から錠が掛けられた。ここの鍵を持っているのは舎人である班素と膳夫を務める可韓の二人だけ。班素は納入した荷をここに詰め込み、可韓はここから必要な食材を調理場へと運ぶのだ。
 静まり返った食品庫の中で、ひとつの樽がごそごそと動き出した。やがて樽の蓋が開き、中からぬっと影が現れる。
 影がぶるりと身を揺らすと、明り取りの窓から差し込む日に赤い髪が煌めき、同時に辺りに豆が数個散らばった。
 「……ふう。何とかなったな」
 中から出てきた影―――陽子は、ひょいっと樽から飛び出して小さく息をついた。飛び出した拍子にまた豆が数個散らばって辺りに小さく乾いた音を立てた。
 中身を確認されても良いように二重底にして上に豆を入れていたので、どうしても出てくるときに豆にまみれてしまうのだ。だがそんなことよりも、上に運ばれるときにかなりゆっさゆっさと揺さぶられたのが響いていて、頭がくらくらしていた。
 陽子はちらりと明り取りから覗く光を確認する。
 やつが現れるまでまだしばらく時間があるだろう。
 しばらく休もうと、陽子は荷の影に身を潜ませた。


◇     ◇     ◇


 荷の納入を終えて自分の書房へと戻ってきた班素は、二重棚の奥から小さな箱を取り出した。その箱の中から包み紙をひとつ取り出す。それを慎重に懐に押し込むと、箱を元に戻した。
 にやり、と口元に小さな笑みが浮かぶ。
 あとはこれまで同様、何らかの理由をつけて食品庫へ行き葡萄酒にこれを混ぜるだけでよい。今まで混ぜていた蜂蜜には紙封がしてあったため、未開封を装うのに少々苦労していたが、今回はそんな細工をする必要もない。
 ―――楽勝だな。
 こんな簡単なことで懐に大金が転がり込んでくるのだ。
 班素はたまらずククッと笑いを漏らした。
 班素に温恭と名乗る男が接触してきたのは昨年の暮れの頃だった。温恭は自分の身元の詳細をはっきり言いはしなかったが、どうやらどこぞの郡府につとめる官吏だということはわかった。
 温恭の提案は実に単純明快であった。
 ―――われわれの計画に手を貸せば、見返りにかなりの額の報酬を約束しよう。
 舎人という役職について数十年。前任者からの引継ぎで仕事はほぼ曹家に丸投げして良い楽な仕事であったが、面白味もうま味もあるわけではなかった。そんな仕事にうんざりしていた班素は、提示された条件に二つ返事で了承した。
 やるべきことが難しいことではない、ということと、手に出来る報酬の大きさ。それに何より、陰謀に加担しているというスリルに魅了されたのだ。
 宣州候を廃人にして、その後温恭らがどうするつもりなのか班素は知らない。ちらりと聞いたことはあるが温恭から答えを聞くことはできなかった。しかし、自分がこうして薬を混ぜ続けていれば自ずとその答えを知ることもできる。
 結末を知りたいという欲求。ちっぽけだとどこかあきらめていた自分の存在が大きな意味を持ったような快感。それが班素を支配していた。
 班素は一刻ほどしてから書房を出た。
 深夜に侵入するなどという愚かしいことを班素はしない。
 自分が食品庫に出入りするのに理由はいくらでもつけられる。誰かに見とがめられた場合、如何にも怪しげな深夜より、昼間の方が安全なのだ。
 食品庫の鍵を持った班素は、悠々と食品庫へと向かった。


 いつものように班素は誰にも見とがめられることなく食品庫へと辿り着いた。錠を開けてきしむ戸をゆっくりと開く。ひんやりとした空気が中から漏れ出てくるのは、氷室からの冷気が食品庫を満たすように工夫されているからだ。
 班素は先ほど搬入した時に位置をしっかり確認していた葡萄酒の甕の前に迷いなく進んだ。そしてためらうことなく蓋を取ると、懐から薬包紙を取り出した。
 その時、突然に外から人の話し声が響いた。一瞬動きを止めた班素だったが、声は回廊を行く足音と共に遠ざかる。気を取り直したように班素は甕の上で包みを開くと、包みを傾けて中の粉を甕の中へと落とした。
 はらはらと粉が舞って葡萄酒の中に溶けていく。その様子を確認するように眺めていた、その時―――
 「!」
 急に腕を掴まれた。
 班素は反射的につかまれた腕を見やり、ぎくりと身をこわばらせた。
 息を押し殺しながら振り返る。薄暗い室内にほっそりとした人影が浮いていた。
 「何を入れた?」
 問う声は低く抑揚がない。
 ―――こいつは誰だ。
 一瞬パニックに陥りかけた班素だったが、かろうじて理性を保ったのは、そばに立つ人影がまだ二十歳にも届かぬような若者に見えたからだ。
 ―――衛士ではない。
 そう判断した途端、班素の天才的とも得る言い訳能力がフル稼働し始めた。
 「お前こそここで何をしている?誰の許しを得てここに入った?」
 班素の言い様に影は一瞬動きを止めた。存外に堂々と言い返されたことに驚いたのだろうか。その事実に完全に冷静さを取り戻した班素は、つかまれた腕を振りほどくと、戸に向かって駆け出した。
 背後から影が何かを叫んだ気がしたが、班素は気にも留めずに外へ飛び出す。そして大声で叫んだ。
 「誰か、衛士を呼べ!食品庫に怪しいやつが潜んでいるぞ!」


 「な!」
 その叫び声に驚いたのは陽子である。まさかこんな行動に出るとは予想もしていなかった。
 班素の叫び声に反応してすぐさま数名の衛士が駆けつけてくる。班素は尚も大声で叫んだ。
 「食品庫の中に怪しい奴がいる。捕まえてくれ!」
 その声に衛士が食品庫内へとなだれ込んで来る。陽子は抵抗する隙さえなく、すぐさま捕縛された。
 「あなたは?」
 駆けつけた衛士のひとりが班素に問う。その問いに班素は堂々と答えた。
 「舎人の班素だ。今日納められた品を確認しに食品庫に来たら中にあの者が潜んでいた。しかも葡萄酒の甕になにやら怪しいものを混ぜていたのだ。これが証拠だ」
 班素はそういって持っていた包みを衛士に突き出した。
 陽子は驚きに目を見開く。
 ここまで狡猾で機転のきくやつだとは予想外もいいところだ。
 衛士は班素の言葉を疑う様子もなくうなずいて包み紙を受け取ると、部下らしい男に葡萄酒の甕も差し押さえよと言っている。
 そして捕縛された陽子を静かなまなざしで見やった。
 「連れて行け」
 その一言に陽子は衛士らに連行された。
 ちらりと班素を一瞥すれば、班素は勝ち誇ったような表情で陽子を見てにやりと笑った。



 
 

  
 
 
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