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 乾いた大地に砂塵が舞う。頭上の太陽は容赦なく大地を焦がし、地上を行く者の水分を奪い去ろうとする。
 あつい…。
 紫琉はあごを流れる汗を手の甲でぬぐい、わずかに天を仰いだ。
 蒼天の空は憎らしいほど澄んでいて、雲の欠片すら見て取れない。
 奇岩地帯に入って三日目でこれだ。先が思いやられると、思わず弱音を吐きそうになる。
 自分の後ろを、丹英と李郁が並んで歩く。丹英の足取りは感心するほどしっかりしたものだったが、一方の李郁はばて始めているようだった。
 「―――巌堅」
 紫琉が声をかけると、先頭を行く巌堅がちらりと振り返った。言いたいことはわかっているのだろう。何も言う前から返答があった。
 「少し先の岩陰がいいだろう」
 それに頷いて、紫琉は後ろを振り返る。
 「休憩にする。岩陰までがんばれ」
 言えば李郁が少し顔を上げて、力なく頷いた。
 紫琉たちが奇岩地帯を昼間行くことにしたのは、やはり何と言っても壮勇率いる大集団が迷いも何もなく昼間を選択したのが一番の理由だ。だがほかにも、巌堅が他の剛氏たちから色々と集めてきた情報をまとめたところ、岩の間隔の狭い前半は昼間行った方がよさそうだったこともある。疲れれば岩陰で休憩も出来る。
 しかし、太陽が真上にくれば日差しが強くなるわりに影が狭くなるので大人数がひとつの影に入ることは難しい。だから昼間は小集団に分かれて歩き、夜になると何となくひとつの集団に集まるような形になっていた。
 岩陰に入ってのどを潤す。本当はがぶがぶ飲みたいところだが、先を考えればそれも出来ないので、本当に湿らせる程度だ。
 「大丈夫か?」
 紫琉の隣では、丹英が李郁の世話を焼いていた。休憩時、丹英は岩陰の座りやすい場所にさりげなく李郁を座らせる。それに紫琉は気づいていた。
 丹英に差し出された水袋を、李郁が礼を言って受け取り、わずかに口に含んで返す。丹英は、それに口をつけることなく片付ける。
 紫琉は、丹英がめったに水を口にしないことにも気づいていた。
 「丹英」
 声をかけると、力強い翠玉の瞳が己をまっすぐに見返す。
 「何?」
 「お前も水分補給をしろ。体が持たんぞ」
 「私ならまだ大丈夫」
 「―――さっきの休憩の時も飲んでないじゃないか」
 紫琉がわずかに顔をしかめると、丹英は困ったように笑った。
 「人より丈夫なんだ」
 「しかし……」
 「本当にまだ大丈夫だから。これで十分」
 言って丹英は、腰に下げていた袋から乾いた草を取り出す。李郁が教えてくれた薬草の一種だ。噛めば唾液が出て、わずかにのどが潤されるのだ。
 丹英は意外と頑固だ。それをもう十分わかっているから、紫琉もそれ以上言うのはあきらめた。事実、巌堅の次に元気なのは彼女だった。
 「少し離されたな」
 巌堅が前方を見据えながら言う。巌堅の言うとおり、先を行っているはずの先頭集団は奇岩の陰に隠れて姿が見えない。
 「少し騎獣に乗るか?」
 紫琉が言うと、巌堅は少し考えるように黙り込んだ。
 今騎獣には四人分の水が積んである。結構な重量だ。それに人が乗れば、騎獣にとって相当な負担だろう。だが、集団からはぐれてしまえば、わざわざ行動を共にしてきた意味がなくなってしまう。
 「まだ、大丈夫だろう。しかし、少し急ぐ」
 巌堅の言葉に紫琉は頷いて、他の二人を見た。李郁が力なく顔を上げて、それでも頷いて見せた。
 弱音を吐けないことを知っているのだ。それに、ばてていることはわかるが、がんばれとしか言いようもない。
 その時、こうしてはどうだろう、と丹英が口を開く。
 「李郁は少し体力の消耗が激しい。無理して歩けば、結局先々行き詰まるだろう」
 「……そうは言っても」
 「私がひとつ水袋を背負っていくから、李郁は孟極の背に乗って行っては?」
 丹英の意見に紫琉は眉をひそめた。李郁も隣で、そんなこと出来ません!と声を上げる。
 「それではお前がつぶれるだろう。本末転倒じゃないか」
 「私は人より丈夫だと言っただろう」
 「それにしたって限度がある。そもそも丹英は女性だろう」
 「今この時に女性かどうかは関係ないと思うけど」
 「ある」
 紫琉はむすっとして答える。
 「女性に苦労を背負わせて男が楽をするなんてありえん」
 「そうです。僕、歩けます!」
 李郁もどこか不機嫌そうに立ち上がった。男の誇りというやつなのだろうか。
 「李郁には蓬山へたどり着かねばならないはっきりとした理由があるだろう。意地を張るのは良いが、それで目的を達成できないならそれこそ本末転倒だと思う」
 丹英が苦笑して言えば、紫琉が険しい顔をした。
 「それは違う。そもそも李郁は、己の手で大切なものを守ろうと決意して今ここにいる。それは並々ならぬ覚悟で、一人でも昇山しようと思うほど確固たるものだ」
 「―――それはわかっている」
 「いいや、お前はわかっていない。お前の言葉は、李郁の思いを完全に無視している。お前は、自分が手助けできる力があるからといって簡単に考えている。一方的な手助けは親切でもなんでもない。己の気持ちを満足させるための独りよがりだ」
 その言葉に丹英は苦笑を引っ込めた。
 「李郁には助けたい確かな者がいる。だから、歩く必要があれば意地でも歩き通すだろう。俺はそう思っているし、その意地に簡単に割り込むのは逆に無礼だと思う」
 厳しい言葉に少女は一瞬黙り込んだ。
 「……わるかった。私が浅慮だった」
 「―――では、話が付いたところで行くぞ」
 巌堅の言葉に、一行はまた歩き出す。


 四人は日の沈みかけた頃に集団に追いつき、実に簡単な食事を済ませてさっさと寝に入る。黄海に入って以来、食事は実に質素な物だったが、荒野に踏み入れてからはますます質素なものになっていた。薪になる物がないから煮炊きが出来ない。だから乾燥させた米のような物を水で戻すだけなのだ。あとは、今まで少し炙って食べていた干し肉をそのままかじって食べるのだ。
 しかし口を動かすのも億劫なくらい疲れている李郁には、硬い干し肉が辛い。それを察して丹英が、自分の荷からちょっと変わったものを李郁に与えていた。簡単に言えば、果物を乾燥させて固めた物らしい。何でも慶国の軍人が使っている携帯用の非常食で、かなり栄養価が高いらしかった。
 紫琉も巌堅も試食させてもらったが、味も食感も悪くない。巌堅などはかなり感心して、どうやったら手に入るのだと興味津々であった。
 そして、夜は静かにふけていく。
 今夜は月がない。真の闇が、地上にいる者たちを包み込む。


 ぎゃー!という悲鳴が上がったのは、真夜中だった。正確に何時なのか、わかる者は誰もいない。誰もが飛び起きたが、そこの広がるのは闇ばかり。自分の手すら見えない真っ暗闇だ。
 「……みんないる?」
 小さく丹英の声がする。それだけで紫琉は何となく安心した。
 「動かないで。声からすると遠い」
 言われて頷くが、そもそもこんなに暗ければ動きようがない。
 「これだけ暗けりゃ逃げられん。やつらが腹いっぱいになって満足するまで、襲われんように祈るしかないな」
 ふざけたような口ぶりだったが、それでも巌堅の声は硬かった。
 少し離れた所から、次々に悲鳴があがる。現場はまさに恐慌状態だろう。紫琉もどうしたって体が震えた。奥歯ががたがたと鳴るのがばれたくなくて、己の腕に噛み付いた。
 暗闇の向こうで灯がともった。誰かが松明をつけたのだろう。次々と灯がともされて、遠目にも現場の様子がかすかに見えたが、そこに妖魔の姿は見えなかった。
 ただ、人々の喧騒と血なまぐさい臭いだけが流れてくる。もう誰も朝まで眠ることは出来なかった。


 日が昇って人々は、改めて現場を確認して声を失った。犠牲になったのは馬が一頭と山羊が二匹、それに人が五人。それらが喰い散らかされて、辺りに肉片が散らばっていた。
 いや、これは……
 現場を見て巌堅は眉をひそめる。
 喰われたというより―――
 そこに季徳が近寄ってきて、ちょっとこっちへ来てくれという。行けばそこには剛氏が集まっていて、神妙な顔を突き合わせていた。
 「今話していたんだが、現場を見て妙に思わなかったか?」
 季徳の言葉に、やはり、と巌堅は渋い顔をする。
 「ああ。喰われたというには、体が残りすぎてる」
 巌堅の言葉に、そこにいる面々が頷く。
 「しかも、あれだけ血が流れたのに他の妖魔がまったく集まってこなかった」
 「それで助かったのは事実だが、逆に怖い」
 「……おそらく」
 その先はそこに揃った者には言わずもがなであった。
 おそらく、他の妖魔が近づけないほどの妖魔がいるのだ。
 「とんでもないやつの縄張りに、足を踏み入れてしまったかもしれん」
 そう言う男の顔は、少々青ざめていた。
 「―――あんたのところは、騎獣で一気に駆け抜けるのも手だぞ」
 一人が巌堅を見て、皮肉めいた笑みを浮かべた。
 確かに吉量ならそうだろうが、しかし二人を乗せた孟極は厳しい。本当に切羽詰れば、紫琉だけを抱えて吉量の健脚にまかせて逃げるが、今は迷う。
 「狩る方法はないか?」
 「相手の正体もわからん。なんともいえんな」
 「戻って別の道を探すか?」
 「戻れば妖魔が見逃してくれるならな。しかし、選択肢の一つではある」
 男は言って肩をすくめた。どちらがいいかなど、誰にもわからない。戻る者を妖魔が追いかければ、進む者が助かるかもしれない。しかし進む者を妖魔が追いかければ、戻った方が遠回りになっても助かる可能性が高くなる。
 「完全に賭けだな」
 「あんたはどうするんだ?」
 季徳が巌堅に問う。この男は、やはり巌堅らの一行に付いてくるつもりなのだろうか。
 巌堅は厳しい顔をしたまま季徳を見た。
 「とりあえずやつらに話してくる。決めるのはおそらく、あの坊ちゃんだろう」

 

 
 

  
 
 
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